心の中の深い傷

 心の奥底に深い傷があり、人を愛することができない。自分は欠陥人間なのだと思う。というか、心底悲しい。
 もちろん、自分なりに人を愛するとはこういうことかと、賭けのように確信してみたり、そして、結果的に僕の人生はもうほとんど過ぎてしまったので、その中には、神の十分の恵みのもとで、愛は与えられたのだと思う。その意味では、愛することがなんとかできたのかもしれないし、そこにはなにか信仰のような思いはある。感謝もある。
 Acimを通しても、ある人への嫌悪はどうしても抜けない。それをもって愛することができないというならまだできない。赦すことができないかと問われれば、赦すことはできるようになった。Acimのイエスが言うように、それはなかったのだというならそれも理解できる。
 だがそれでも、沸き起こる嫌悪感は抜けない。そしてその奥になお怒りが隠れているのではないかとも思う。
 昨晩は寝つかれずそれを見つめて、泣きたくなるほど悲しかった、が、眠れはした。どこかにそっと救済のようなものがあるのかもしれない。
 現状では、嫌悪しつつ、なお愛するという、その両立くらいでしかない。心情に正直であれば、やはり嫌悪感は抜けない。
 なぜこんなに苦しいのだろうと思う。過ぎ去った苦しみがなぜ、今でも苦しみになるのだろうと思う。もちろん、その答えはわかっている。ACIMでも道元もそれをきちんと理路を説いていて理解はできる。
 それでも、理解が救済には至っていないのも自分の事実なのは悲しいほどだ。
 頭ではわかる。救済はいつかやってくるものではなく、今ここにある。でも、今ここに絶叫したくなる苦しみも悲しみもある。