それでも過ぎ去ったもの

 遠い日の失恋の痛みのようなものは、まったくなくなったというわけではないが、なんというのか、その過去から別の未来としての今などはありえないということだけは、心底理解できるようになった。
 『多崎つくる』で、つくるがクロ(エリ)と会話するシーンのなかで、過去に彼女の愛を受け入れることができたと思いつつ、それがいずれ破綻することも理解しているが、あの感覚はわかる。
 若い日に愛し合っていたように思えても、そこから何十年か生きて、己の正体のようなもの(「罪」と言ってもよいのだろう)を見つめると、その愛のようなものが開花することはなかっただろうと納得する。
 この人生しか生きられなかった。この愛しかなかった。それが自分の全てだったというのは、なんというのか、そのままに神の言葉のように受け入れることはできる。
 と、同時に。私を捨てていった人たち(私が主観的にそう思うだけではあるんだけどと自覚はしているが)が、幸福に生きていることが確信できるし、そこに祝福を送ることはできる。
 若い日の人との出会いは長く痛む傷を残すこともあるが、生きて行けば、自分を見出していけば、その傷は傷ではなく、今のありかたの恩寵のひとつに思えてくる。そんなことがあるものだなということ、それを知るのに、人間55年くらいは生きてみる価値はあったなと思う。