例えば、「自由についての暫定的な理解について」

 朝目覚めると、自由についての暫定的な理解について、ということを考えていた。夢のなかで考え続けていたのだろう。

 この話はブログにでも書こうかと思い、とりあえず、どっかにメモしておくかと思って、この場を思い出した。

 夢からの継続であるかはわからないが、連想して思い出したのは、昨日のブログのなかで使った「負い目の倫理」という考え方である。私にとっては自明な考えなのだが、そういう考えに触れたこともないようだった。

 この考え方――負い目の倫理――が自分に定着しているのは、私の少年時代に遡る。端的に、三里塚闘争というものをどう考えるかだった。当時は、亜流のアンガージュマンの思想が蔓延していた。これに対して、村上春樹などはデタッチメントを提起したように見えた。村上春樹は私にとっては、20代の作家でもあった。

 ここで、ちょっと、あたらしいはてなブログの使い方をチェック。

チェック

 というわけでためしてみる。

 以前のはてなダイアリーの利点は、小見出しアスタリスクで簡素に表現できることだった。

 一種のMarkupじゃない、Markdown記法だったのだが、それはこのブログで使えるだろうか。

 と、テスト。

  やってみた。なるようだ。
 ところが、これ、スタイル指定がおかしいな。

 それと、話題が単一にバラけるか。以前のはてなダイアリーのほうがよかったな、この点。

 機能を探してみると、はてな記法Markdown記法も選べるようだった。

 じゃあ、そうするかというと、それでなんか納得してしまって、現行のままでもよいように思えた。

はてなのうざさ

 久しぶりにはてなに戻ってみると、はてなのうざさというのはなかなかなものだな。というか、基本SNSなのだろう。