2.VI. Special Principles of Miracle Workers

 この節もかなり編集が入っているように思われる。いくつかの主題が混じり合っているように見えるから。
 癒やしが基本にあるが、叙述としては、Acim神学といった装いがある。そしてこれはキリスト教的には「異端」ではないかと思う。それゆえにというべきか、Acimこそが最も正しい福音書として読むことができないわけでもない。
 実際面では次の言葉が、Acimでは足り前のようだが、重たい。
"I will be healed as I let Him teach me to heal."(聖霊が私に癒しを教えてくれるとき私は癒されるだろう。)
 Acimの場合は、赦し(神の子である自覚)の理解から聖霊への信頼を通し、あとは、無意識的に癒しがなされるということで、信仰という形態はしている。
 "5. The level-adjustment power of the miracle induces the right perception for healing."(奇跡がもつレベル調整力によって、癒やしのための正しい知覚が生じる。)
 率直なところ、循環論法のように見えないこともない。奇跡が先行するのか、知覚の修正から奇跡がおきるのか、率直にわからない。