今日の大手紙社説

 しいていうと日本の景気が話題。だいたい今年は半期終わったのだが好調。っていうか、普通に考えたら今年の日本は好調だろと思うけどなんとなく不安でいないといけないみたいな鬱陶しい空気はなんのだろう。たぶん、未来の不安を繰り込んでいるのだろう、その点は自分もそうだし。日本オワタが見えているとつらいものがあるし。
 個別には、矛盾はあるけど毎日がしっかりしていた。読売は読む点がなかった。朝日はちょっときちんと庶民の側に立ってほしい。消費は悪いことではないのだ。なんか清貧=正義だみたいなヘンテコな倫理の引っ張りはもう終わりにしてほしい。

日経春秋 春秋(5/17)

もっとも、もう一度学び直したい、資格の勉強をしたいという社会人は少なくない。最近は大学院がその受け皿になっているけれど、学部だってニーズをくみ取れれば夜学復権の道があるかもしれない。さて、夕爾の詩はこう続く。「学問のたのしさ/そしてまた何というさびしさ」。そういう時代は遠くなった。

 学問の楽しさとというのは、たぶんによき師に巡り会うとこだが、日本とか中国だと、師はいわゆる英語のメンター的なニーズになる。それはちょっとウザいなと思う。

日経社説 四川大地震は日本への警鐘

 言いたいことはわかるけど、この時期に他山の石論を持ち出すのは不謹慎だと思うけどね。まあ、それはそれとして。

 国内の小中学校の場合、耐震化されている校舎の比率は昨年春時点で6割未満だ。四川大地震は発生が昼過ぎで、校舎の倒壊による子供の死傷者が多かった。日本でも4割の校舎で同じような惨状が起きかねない。耐震化されていない建物は病院で5割近く、防災施設でも約4割というから、対策を急ぐ必要がある。

 ほんとそう思う。
 どうも地べたでは地方財政への締め付けで立て替えが進んでいない。
 ヒューザー馬鹿騒ぎのときあれだけマスコミは危険を煽っていたけど、危険というのならこちらのほうがはるかに大きかった。あの時は社会ヒステリーどうしようもないと思ったが、今ではすっぱり忘れている。あの時、ヒステリーを煽っていたブロガーとかもう以下略。

毎日社説 社説:GDP成長率 景気、物価両にらみの時だ - 毎日jp(毎日新聞)

 また、世界的な新物価体系への移行は受け入れなければならないが、同時に、インフレの芽は即座に摘むなど、果断な物価政策も求められる。労働の価格である賃金の見直しもされるべきだ。家計が消費を控えては景気は持続しない。

 こういうところは朝日なんかよりもはるかにマシなんですよね、毎日って。
 でも。

しかし、国内需要デフレーターは同0・5%上昇、民間最終消費デフレーターは同0・3%上昇と物価に目を凝らさなければならない状況になった。原油穀物などの価格高騰の国内消費財への転嫁が始まってきたからだ。この動きは4月以降、強まっている。

 という議論はなんだかなと思うし。

読売社説 GDP速報 高成長でも必要な足腰強化 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 率直なところ何を言いたいのか皆目わからないのでこの手の社説はいつもはスルーなんだけど、読売が変なこと書いても、読売だしなと思う。朝日だとなんかなんだよもっと研鑽してくれよと思う。

朝日社説 企業と景気―収益構造を見直す好機に : asahi.com:朝日新聞社説

 逆風が吹き始めた今こそ、企業の実力が問われる。収益構造を中長期的に見直していくべき部分はまだまだあるはずだ。人件費などのコスト切り詰めで利益を出しているだけでは、次の発展への素地はつくれない。

 とはあるものの、労働者の賃金を増やしたり消費の構造的な拡大が重要だとする論点はない。なんだかんだいっても朝日は企業や政府に顔を向けていて庶民の側に立って言論をしない。庶民の上にのっかって偉そうなことは言うけれど。

朝日社説 四川地震救援―開いた道をさらに広く : asahi.com:朝日新聞社説

 そういえば朝日は中国の建築事情が被害を拡大した、中共政府の指針は困ったもんだ批判って見てないような気がするな。日本だとなにかと天災を人災だとして批判をがなりたてるのにこと中国になるとそうでもないのだろう。他の国だしとは思うが欧米紙の論説ではそのあたりのいびつな発展への警句が多いのに。

晴れ・ログイン

 今日明日はよい天気らしい。昨日は夕方ジョギング。少し身体に痛みが残る。というか疲れは遅く出てくる。季節のせいかベルギービールがあまり美味しく感じられなくなってきた。夜は英書を読書。もっとするする読めたらいいのだがと思いつつ、するする読める英文はそれなりに内容の知的レベルも低い。同じことは日本でもそうか。しだいに専門的な書籍は読まなくなる。クセで医学的な論文は読むことがあるが、そのあたりが結局最後まで残るか。なんとも。
 夢はよく覚えていないが、シェルスクリプトの映像が残っている。文書処理システム間のファイルをシェルスクリプトで繋いでいたり、AppleScriptとかでもといったつまらない、仕事のような夢だ。この手のプログラミングというかシステム管理とか、教壇に立っている系の夢は、あまり覚えていないが量的には多い。自分が生きなかった人生があちらで進行しているのだろうか。あまり覚えていないわりに、奇妙にデテールがありそうなのが不思議だ。
 そういえば昨日も、ブログサバトとかいいつつ夜、酔い覚ましふうにTwitterしていた。妖星伝とか、戦後教育とかまあ、その手のことに情念が引かれているだが、考えてみると、最近はこうしてブログというか日記を書いているときはあまり考えない。
 自分はどうもどっちかというと過去が好きでないのかもしれない。過去に引きずられているようでいながら、あまり自分を構成しているはずの過去への思い入れは少ない。それはどことなく恋愛経験みたいの似ているかもしれない。
 Twitterでは昨日のエントリの続きみたいに、言い方はよくないのだが、最近の人たちは基本がなってないなふうなことを言った。もちろん、今の若者はなっとらんとか、ゆとりがとかそういうことではない。情感と言葉の関係も若い人にはきちんとあるし、基礎をしっかり勉強している人もいるだろう。倫理性について言えば、私が若いころの世代なんかより今の若い人のほうが優れてもいるのだろう、総じて言えば。ただ、そのあたりはうまく言えない。言うだけ誤解される。最近はというか、実はとんとネガコメみたいなのものいただくなったが(たぶん私への関心が減っているのでしょうけどそれでいいけど)、ある種のネガコメは知的なレベルの低下だけを意味しているというか、それはほのめかしじゃなくて基礎知識みたいなのがあった。ただ、そういうのに向き合う気力みたいのがあまりない。いや、ネガコメに向き合うというのではなく、ああ通じないなという人にどう向き合っていいかわからない。
 この日記でも粗方のことは書き尽くしたので、自分は空っぽともいえばそうだし、でも、人に過去ログ読んでくれとも思わないし、当の自分が、過去はどんどんケセラセラな人だ。ああ、誤解されているなとか、バカな部分だけを見ていただいて私の思索は読まれていないなとか、ある意味でどうでもいい。
 うまく言えないのだが、いいよ、どうでもいいよ、オレは一人死んでいくよ、みんな勝手に勉強するとか快楽を極めるとかなんでもいいよ、虫たちの夏のさざめきのように勝手にしてれみたいな感じがある。
 もちろん、そこになんか自分のやりきれないニヒリズムというかはある。

基本っていうか

 そういえば私が子どものころ、祖父が風呂に入りながら壺坂霊験記のさわりをうなっていたことを思い出した。そういえば風呂屋でも一節うなっている爺がよくいた。いつからか、爺はみんな戦後生まれになって、そういう風景を見なくなった。
 ああいうのは基本っていうのは違うのかもしれないけど、あの情感がわからないと、戦前に繋がる日本というものの感覚はわからないではないだろうか。
 たぶん、団塊の世代の人たちは、記憶を丁寧に思い出せばあの世界を再獲得できるというか、できないわけはないのに。

性同定の語りの変化というか

 いつからなんだろう、女が、女だからみたいなスタンスを前提に語り出したような気がするというか、現状はそればっかなのでむしろ、自分の感覚のほうが変かもだが。
 私が青春のころは、恋愛の内側にはそういう男や女の語りはあっても、そこからは出てこなかったように思う。というか、性のスタンスの語りは公的になると、男とか女とかの一般性のモデルになり、性の個人的な部分が抜け落ちる。ところが性というのはその個人的な部分の情感で生息している。
 80年代ころからこういう変化が起きたのは。
 女や男が、自身を、タイプとしての男や女に同定して語り出すというのは。
 もちろん、昔も「女なんてものは」というのはあったし、むしろ昔のほうが多かったのだけど、そういう語りはある種の原則的な抑制があった。つまり、「聞くなら聞きなさい聞かなくてもいいよ」といった。現代では、それを前提にしないとコミュニケーションにもならないよ的になっている。

頭ではわかるんだけど

 ⇒finalventさんが絡まれ続ける2つの理由 - 俺のターン
 ベタコピ。

  • (笑)を使わないので、何が本気なのかわからない
  • 中学生にわかるような解説をしてくれない

これが解決されない限りずっとずっと絡まれ続け、ネガコメに怒り続けることになりますよ。

 たぶん、それほど私に関心を持つ人は一定スレショルドを超えないと思う。というのと、ネガコメに怒るというより、まあ、いいか。
 で、戻ると。
 その2つをしない理由は、私のなかでは簡単で、それって上から目線の最たるものでしょという謙虚な思いがあるんですよ(笑)←とかするといいのかもだけど。
 一定の知性のある人に(笑)みたいに笑いのツボを明示する必要はないし、わかる人にはそこここにしかけた爆笑のツボがわかってもらえるはずだし(ごく少数かも)、それって一種の友情だよと思っている。そこで爆笑して涙が出たらオレの友だちだよみたいな。
 あと、中学生にわかるような解説は、つらいなあ。うまくいえないけど、自分って啓蒙のスタンスでいたくないんですよ。マジ自分ってバカだなつまらない存在だと思っている。愚劣だなオレと思っていますよ。なんかそこ勘違いしている人もいるみたいだけど。
 もうちょっとマジこくと、私は凡夫であるとわかったから自殺するのを辞めた。人はべたに生きるべきだし、べたに生きていたら生きていける。
 まあ、ちょっと醜い弁解かな。
 ご配慮はありがとう。

国産ではないかもだけど

 ⇒Diet supplements may carry heart risk | Herald Sun

THREE-QUARTERS of weight-loss supplements bought online as part of a study contained ingredients that could cause lethal heart rhythm disturbances, US researchers said today.
 
They tested 12 over-the-counter diet supplements and found eight contained at least one ingredient associated with life-threatening heart complications, such as ventricular arrhythmia, cardiac arrest or sudden cardiac death.

沖縄女子中生暴行高等軍法会議

 ⇒沖縄・女子中生暴行:米兵に懲役4年判決 強姦は認定せず−−高等軍法会議 - 毎日jp(毎日新聞)

 沖縄県北谷(ちゃたん)町で女子中学生に暴行したとして、16歳未満に対する強姦(ごうかん)、誘拐など五つの罪に問われた米海兵隊のタイロン・ハドナット2曹(38)に対し、米軍の高等軍法会議は16日、「16歳未満への性的虐待罪」で懲役4年(求刑・懲役8年)と不名誉除隊、2等兵降格などの判決を下した。公判前の司法取引により検察側は強姦、誘拐を含む四つの罪を取り下げた。海兵隊報道部によると、刑期のうち1年は免除される可能性がある。
 2曹は軍法会議で「下着の上から体を触った」と虐待行為を認めたが、強姦は否認。司法取引により、軍法会議は2曹が認めた性的虐待だけを認定して量刑を決めた。

 日本国内での司法は終了しているので、米側がこれで決まれば、「16歳未満への性的虐待罪」ということで、やはり未成年への問題ということに帰着し、強姦は成立しないということになる。真相がどうであったかはわからないが、取りあえずここが社会というか両国の合意可能な了解というところだろう。
 ⇒沖縄少女暴行容疑の米海兵隊員に有罪  国際ニュース : AFPBB News

同被告は被害者の下着に触れたことは認めたものの、性的暴行は加えていないと主張していた。裁判長を務めたデイビッド・オリバー(David S. Oliver)中佐は判決言い渡しの際、被告は少女の実際の年齢を知らなかったと述べた。

 そこが認められたという認定だろう。
 ⇒二等軍曹に実刑3年 米兵女子中学生暴行 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

 二等軍曹は5つの罪のうち、16歳未満の少女に対する虐待を認めた一方、残りの4つの罪を否認した。
 二等軍曹が米軍当局と司法取引を行い、1罪を確定させる代わりに検察側が4罪を取り下げた。これを受け、判事は有罪を認定した。
 二等軍曹は陪審制ではなく、判事による審理を選択した。裁判官はデイビッド・オリバー中佐。軍法会議は日本側報道陣にも公開された。二等軍曹は「少女やその家族、日本の人たちに申し訳ないと思っている」と謝罪した。
 在沖海兵隊報道部によると、二等軍曹は16歳未満の少女に対する女性暴行と虐待、偽証罪や巧妙な手口による誘拐など5つの罪に問われた。3種類ある軍法会議のうち、殺人など最も重い罪を審理する「高等」での審理となった。

 問題がライスまで出動する国際化したことも背景にはあるだろう。
 ⇒BBC NEWS | Asia-Pacific | US marine guilty of Japan assault

A US military court has jailed a marine for three years for sexually abusing a 14-year-old Japanese girl on the southern island of Okinawa.

But he was cleared of rape and other charges including kidnapping through luring, military officials said.

 国際的には、"he was cleared of rape"として理解されるだろう。真相がという意味ではなく了解の水準として。

Hadnott had admitted forcibly kissing the girl, but denied allegations he raped her in a car park. He said he did not know she was under age.

 そのあたりは国内報道になないな。
 ⇒The Associated Press: US Marine gets 4 years on sex charge
 APは背景を重視している。
 ⇒Marine jailed for Okinawa sex assault - ABC News (Australian Broadcasting Corporation)
 assaultの語感が微妙。日本の報道だと、レイプが暴行になってしまい、かえってレイプ問題がわからなくなってしまう。
 ⇒MWC News - A Site Without Borders - - US marine jailed for Japan assault

A US marine has been sentenced to four years in prison, and dishonourably discharged from the US military, for sexually abusing a 14-year-old Japanese girl.

 ある意味で欧米の無意識がわかりやすい。まず、Japan assaultであること。ちょっと補足すると海兵隊というのは名誉の存在なので同盟国へのこういう態度は彼らの内在的な倫理に許されないが、それは基本的に軍の倫理ということ。もう一つは、"abusing a 14-year-old Japanese girl"で、ようするに、未成年ということ。
 ⇒U.S. Marine guilty of 'wrongful sexual contact' in Japan - CNN.com

弾さん偉いなあ

 弾さんはマッチョだとか、ギークだとかいう人が多いみたいだけど。
 ⇒404 Blog Not Found:売り切れ
 この平身低頭こそ、その人生の成功の鍵の一つでしょうね。あとは、運でしょう。
 マッチョとかギークなんか些末なことだと思いますよ。
 この平身低頭を客先やられたらいちころですよ。それがビジネスってもんですよ。っていうか、本当のマッチョっていうのは、これですよ。強くなろうとして後ろに反り返ったらバカなだけですよ。

ぶくまかは気まぐれか

 ⇒気まぐれなはてなブックマーカーなんて、気にすることないよ - takoponsの意味
 そういう面では気まぐれなんだけど、というか、いつものご一行様とかはどうでもいいんだけど、というのと、なんでこんなにぶくまがもだけど。まあ、ぶくまの問題はそういうことではないのだけど。まあ、それはさておき。
 気まぐれは気まぐれで。
 承前⇒うぁすごいぶくまだ - finalventの日記
 例えば⇒はてなブックマーク - 超簡単!大トロなみの旨さ「アボガドの塩辛」
 作った人って見当たらないんですよね。
 その後不明⇒超簡単!大トロなみの旨さ「アボガドの塩辛」を作ってみた - esecuaの日記
 作ったらしい⇒アボカドの塩辛 - mizuno_takaakiの日記

昨年11月に注目されていたアボカドの塩辛を作ってみた。結構おいしくできて、満足だったんだけど、塩を適当に振ったので、ムラがあって、塩が効いているところと効いてないところができてしまった。塩を均等に振るのがおいしく作るためのこつだと思った。

 これもその後どうなんでしょ。
 ⇒はてなブックマーク - ストレッチのコツ、あるいは「実録! 体育教師に『なにその硬さ。お婆さん?』と嘲笑されたわたくしが開脚前屈で胸をぺったり床につけられるようになるまで」 - みやきち日記
 そういえばこれ。

cover
スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと: 小田 伸午
 買って読んだんだけど。
 これ微妙にトンデモ本ではないの?

そういえばパソコンの歴史について知りたいなら

 たぶんこれがもっとよい本だと思うよ。
 もう売ってないけど⇒「 パソコン革命の英雄たち―ハッカーズ25年の功績: P.フライバーガー, M.スワイン, 大田 一雄: 本」
 復刻希望に挙がっているけど。
 ⇒パソコン革命の英雄たち ハッカーズ25年の功績?ポール・フライバーガー マイケル・スウェイン 大田一雄? 復刊リクエスト投票
 たぶん復刻されないよ。
 チャック・ペドルとかもう知らない人のほうが多いんじゃないかな。(こっそり言うと、チャックのことを知らない人はモグリだと思うけど。)
 ⇒Chuck Peddle - Wikipedia, the free encyclopedia

Peddle aided Steve Wozniak with making his Apple computer functional. Peddle helped make it work and launched the fortunes of Wozniak, Jobs, and countless other Apple employees who would be unknown today without his help.

 ある意味、彼がいなかったら、現在のITシーンはないとも言えるのだけど、まあ、そういう人は他にもいるけどね。
 ご健在⇒http://youtube.com/watch?v=PBnmJhEOdC8

ジョギングのよい本がないなあ

 僕は中高生のとき陸上部にいたのでそれなりに我流はあるんだけど、さすがに昔の知識はなと。あと一般論はわかるとしても、ジョギングの基本がよくわからない。
 でこれ読んだんだけど。

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金哲彦のランニング・メソッド: 金 哲彦
 よくわからん。微妙にトンデモっぽい感じもする。
 そういえば。
 これもややトンデモっぽかったけど、良書だった。っていうかこれがやがてランニング界を変えたわけだけど。
 ⇒「 ゆっくり走れば速くなる―マラソン〓トレーニング (1985年): 佐々木 功: 本」
 すげープレミアム。
 ⇒佐々木功 (陸上選手) - Wikipedia

1994年8月31日にガン告知を受け、前妻と離婚して浅井えり子と入籍。浅井は妻として佐々木の194日間の闘病生活を支えた。
1995年3月13日、52歳の若さで逝去。
 
佐々木は、日本マラソン界に「時間をかけて、ゆっくりと、長い距離を」走る「LSD (long slow distance) 」を紹介した。佐々木のLSD理論は、身体の末端の眠っている毛細血管を目覚めさせ、競技能力を向上させることが可能となるというもので、「ゆっくり走れば速くなる」をスローガンに、今なお数多くのランナー、ジョガーに多大な影響を与えている。

 ある意味、引いた奥さん偉かったなあ。

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浅井えり子の「新・ゆっくり走れば速くなる」―マラソン・トレーニング改革: 浅井 えり子
 これは復刻か⇒「 ゆっくり走れば速くなる: 浅井 えり子: 本」

微妙に洒落っぽかった

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A型自分の説明書: Jamais Jamais
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B型自分の説明書: Jamais Jamais
 本屋で見かけた。最初のほうに血液型である示唆はあるけど、ごくわずかで基本的には洒落っぽかった。
 ただ、2冊ざっと眺めたけど、オレなんか両方に当てはまるで、あるある的な楽しみはできなかった。
 ま、そんだけかな。
 ついでに。
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夢をかなえるゾウ: 水野敬也
 これは世の中落ち着いたら読むかも。
 私は基本的に背景の思想みたいのがわからないのは苦手かな。
 インドの人が読んだらバカにされたと思うかな、とちょっと思った。よくわからないけど。

微弱に釣られる

 ⇒数学に関する質問です。なぜ一度正しいと証明された定理が覆されることがないのか? ということが理解できません。 「あらゆる科学理論は本質的には仮説であって真理ではあ.. - 人力検索はてな
 回答はけっこうこれで十分じゃないかな。
 弾さんはれいによって、洒落なのかめちゃくちゃなこと言っているっぽいけど。
 ⇒404 Blog Not Found:数学と科学の違い
 もうちょっと釣られると。
 学問の対象と方法論の問題。
 自然が対象化ということでもあるんだけど。
 宇宙=自然の重力が非常に難しい⇒統一理論ができない、というのみたいな。
 で、数学の対象なのだが。
 数学は基本的に公理系におけるトートロジーでかなりFAなんだが。
 数学でも自然数論は自然を対象としているわけで、そこれでは反証可能な命題は出しうるかな。たとえば、πのなかには「9が20個連続する部分が存在する」という仮説は、反証可能に近い。
 ただ、それも具体的に見つかれば反証になるけど、見つからない可能性が高いというか、この命題は真とも偽ともわからない、で、FAになっている。
 自然数論における仮説というのはどういう仕組みになっているかというと、そこはちょっとわからんという感じがする。
 というか、なぜ自然数だけに大小関係が存在するかは、数学の内在からは証明できないのではなかったか。