晴れ・ログイン

 今日明日はよい天気らしい。昨日は夕方ジョギング。少し身体に痛みが残る。というか疲れは遅く出てくる。季節のせいかベルギービールがあまり美味しく感じられなくなってきた。夜は英書を読書。もっとするする読めたらいいのだがと思いつつ、するする読める英文はそれなりに内容の知的レベルも低い。同じことは日本でもそうか。しだいに専門的な書籍は読まなくなる。クセで医学的な論文は読むことがあるが、そのあたりが結局最後まで残るか。なんとも。
 夢はよく覚えていないが、シェルスクリプトの映像が残っている。文書処理システム間のファイルをシェルスクリプトで繋いでいたり、AppleScriptとかでもといったつまらない、仕事のような夢だ。この手のプログラミングというかシステム管理とか、教壇に立っている系の夢は、あまり覚えていないが量的には多い。自分が生きなかった人生があちらで進行しているのだろうか。あまり覚えていないわりに、奇妙にデテールがありそうなのが不思議だ。
 そういえば昨日も、ブログサバトとかいいつつ夜、酔い覚ましふうにTwitterしていた。妖星伝とか、戦後教育とかまあ、その手のことに情念が引かれているだが、考えてみると、最近はこうしてブログというか日記を書いているときはあまり考えない。
 自分はどうもどっちかというと過去が好きでないのかもしれない。過去に引きずられているようでいながら、あまり自分を構成しているはずの過去への思い入れは少ない。それはどことなく恋愛経験みたいの似ているかもしれない。
 Twitterでは昨日のエントリの続きみたいに、言い方はよくないのだが、最近の人たちは基本がなってないなふうなことを言った。もちろん、今の若者はなっとらんとか、ゆとりがとかそういうことではない。情感と言葉の関係も若い人にはきちんとあるし、基礎をしっかり勉強している人もいるだろう。倫理性について言えば、私が若いころの世代なんかより今の若い人のほうが優れてもいるのだろう、総じて言えば。ただ、そのあたりはうまく言えない。言うだけ誤解される。最近はというか、実はとんとネガコメみたいなのものいただくなったが(たぶん私への関心が減っているのでしょうけどそれでいいけど)、ある種のネガコメは知的なレベルの低下だけを意味しているというか、それはほのめかしじゃなくて基礎知識みたいなのがあった。ただ、そういうのに向き合う気力みたいのがあまりない。いや、ネガコメに向き合うというのではなく、ああ通じないなという人にどう向き合っていいかわからない。
 この日記でも粗方のことは書き尽くしたので、自分は空っぽともいえばそうだし、でも、人に過去ログ読んでくれとも思わないし、当の自分が、過去はどんどんケセラセラな人だ。ああ、誤解されているなとか、バカな部分だけを見ていただいて私の思索は読まれていないなとか、ある意味でどうでもいい。
 うまく言えないのだが、いいよ、どうでもいいよ、オレは一人死んでいくよ、みんな勝手に勉強するとか快楽を極めるとかなんでもいいよ、虫たちの夏のさざめきのように勝手にしてれみたいな感じがある。
 もちろん、そこになんか自分のやりきれないニヒリズムというかはある。