嗚呼、猫猫先生!

 ⇒連合赤軍事件はひたすら愚劣である - 猫を償うに猫をもってせよ
 このあたりは触れないほうがいいかとも思うけど、琴線に触れまくりなんで。

私はどうやら生まれついての個人主義者らしい。こういう、集団の中にいる人間の心性というものが、まったく理解できない。むろんそれは、企業であれ大学であれ学会であれ同じことだ。文学史におけるナップとコップとか、原水禁原水協の対立とか、集団というものの愚劣さを如実に体現したものだと思うばかりである。

 これはもう200%同意!
 私の場合、スポーツとかに関心ないのもそのせいかもしれない。
 ただ、厳密にいうと、私は猫猫先生のようなかっちりとした個人主義というより、隠遁者というだけかもしれない。というか、世界がそもそも所詮他人事。
 で、ここはちょっと踏み出して、異論的になるけど。というか、批判とかでは全然なくて、自分はこう感じるなというだけだけど。

 私は、連合赤軍あさま山荘事件について、オウム真理教地下鉄サリン事件と同様の、あるいは三島由紀夫自衛隊乱入割腹事件と同様の、愚劣な、無意味な事件だとしか思っていない。

 これについては、正直にいうとまったくそう思っていない。そのあたりのことは極東ブログに縷々書いてきたので、ここでサマリーは特にないけど。

のみならず私はドストエフスキーの『悪霊』についても、何の関心もない。

 ここも。
 ただ、このあたりは、たぶんキリスト教的な感性の差異かと思う。あまり言うのもこっ恥ずかしいが私はメンタリティとしてはほとんどキリスト教徒だし。
 そしてここも。

支持していない政党なら、その人にとってはダメな集団であるはずで、ダメな集団の長のやることがダメなのは当たり前で、そもそも君らがすべきことは、そのダメな政党を五十年間にわたって第一党として選んできた日本国民を「愚民」と罵ることなのだよ。

 私は日本国民を「愚民」とは思わない。私は日本国民だと思っているし、そのようにというかある種の知識人としてしか存在できない(吉本隆明がこういう関心領域をもつお前さんたちは死ぬまねでロクでもない知識人だよと喝破したという意味での知識人)として、その知は、大衆に劣ると思う。
 大衆が愚かであると考える知などなんの意味もない、と私は思っている。