そういえば

 ⇒2008-08-09 - 南無の日記
 ⇒吉本隆明という巨人 - 愚民の唄 - コンテンポラリィ・ユニットG
 これね⇒「 心的現象論本論: 吉本 隆明: 本」
 おや読者評が妙に低いなと思ったら。

悪夢が再びー, 2008/7/23
By 柴風 (青森県弘前市) - レビューをすべて見る
 本書は、吉本同伴知識人による、吉本TEXTの、商業主義的囲い込みの極致である。
 山本哲士はかつて、「吉本隆明が語る戦後55年」と題し、「週刊読書人」紙上に掲載されたインタビューを水増しし、なんと1冊2千円もする本を12分冊で読者に売りさばくという、資本主義的大手出版社も顔負けの商法で、吉本思想を寡占しようとした輩である。
 そして今度は、未刊の主著である「心的現象論」の本論を、なんと8400円という高値で売りさばこうというのである。新たに書き起こされたものではなく、過去に雑誌掲載されたものをまとめれば良かっただけなのに。
「心的現象論」は、かつて吉本が主宰してした雑誌「試行」で、「言語にとって美とは何か」連載終了後、すぐに後を追って連載が開始されたものである。それが、1997年12月に発行された終刊号(74号)まで、延々と連載され、ついに完結を見ること無く終了した論考である。
 そのうち、「試行」28号まで発表分が、まず単行本にまとめられたが、それ以降の分は、「試行」を手に入れなければ読めない状態であった。かつての小林秀雄の新潮「ベルグソン論」みたいなものである。(現在では新版の全集で読めます)
 ただし、残りの部分がすべて完全に未刊であった訳ではない。
「試行」73号発表分が、ハイ・イメージ論の「母型論」におさめられていたし、実は、最初に述べた山本哲士の「吉本隆明が語る戦後55年」の7巻目から、「連載資料」と称して、「目の知覚論」〜「関係論」が掲載されていたのである!
 つまり、われわれ吉本マニアは、かなりの部分だぶって、お金を支払っていたわけだ。
 石油不況のこのご時世で、こんなあくどい商売が成り立つのは、マニアの世界だけである。
 ――肝心の内容に関してだが、三十年以上にわたって持続した思考を保ち続けた吉本さんの粘り強さにはただただ敬意を表するばかりであるが、ではさて、本稿の思想上の意義はと言えば、正直言って「?」である。
 本考がなくとも、現代思想はともかく、戦後日本思想史もやっていけるし、細かい部分で勉強になる箇所は沢山あるだろうが、少なくとも、吉本隆明おっかけ以外には、安易にお薦めできる代物ではない。
 一言で評するなら「素人四畳半思想の極限値」、あるいは「一人で頑張る人文科学分野の限界値」。たとえば、ジャレド・ダイアモンドの近作を読んだ後では、まるで......

 学生時代、安保闘争などで燃え上がった世代の、老後の楽しみには、うってつけであろう。
 そのうち、ご近所のお年寄りサークルなどで、「源氏物語を読む会」の代わりに、「心的現象論を読む会」などが開催される日も近いのかもしれない。

 一冊に上梓されたのは慶賀すべきことなのだろうが、願わくば、新潮社などの大手「資本主義的商業主義的」出版社が、4千円くらいで販売してほしかった。

 まあ、予想範囲の洒落の部類なんで、ご祝儀に星を5つくらい出してもよかったのではないかというか、こんなところで星1つなんてケチなことすんなよ的である。
 「なんと8400円」は南無さんも書かれているけど、これはむしろ下げたほうだ。
 本書あとがきを読んで、へぇと思ったのだが、吉本は「試行」終了後、これを出す機会を待っていたようだ。つまり、理解されないところで出してもしかたないと。そしてついにこのお年、そして山本哲士ということで、最近の糸井重里による吉本翁よいしょとか考えるとさらに微妙な世界になってしまった。
 が、しかし、ようするにこの本はこの本の命というのがあるので、いつか未来の読者が解き明かせばよいのではないかとは思う。
 と、ちょっと自分的に醒めた感じがするのは。
 というか、ちょっと南無さんに水をかけちゃう感じなのは。
 現時点で、心的現象論は母系論の流れにあり、さらに三木成夫の問題がある。
 というか。
 ⇒極東ブログ: 吉本隆明「心的現象論」、雑感

留守居役様の言わんとすることろはわかるが、この本が理解しづらいのは身体論・発生論・現象論的な領域に経済問題や言語論などごった煮にしている吉本隆明の混沌とした部分にもよるので、そうしたぐちゃぐちゃした部分は切り捨ててもいいのではないか。ただ、問題は心的現象論の成果として母型論を見た場合、心的現象論の理解が必要になるかということだろう。私の印象としては宮下和夫の配慮ともいえる「心とは何か(吉本隆明)」(参照)をもって、むしろ心的現象論の序説としていいだろうと思う。そしてそれに母型論があれば十分ではないのか。率直に言って、心的現象論は過去の書籍としたい。

 まあ、「過去の書籍としたい」はちょっと撤回しておく。
 でまず基本は「言語にとって美とは……」のヘーゲルな視点というよりむしろ。
 これ⇒極東ブログ: [書評]胎児の世界(三木成夫)
 そして包括的というか概要としては
 これね、いわゆる序説より、これが序説になっている。
 

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心とは何か―心的現象論入門: 吉本 隆明
 で、この問題系列からちょっとそれるけど。
 吉本から三木成夫へからはこの問題がある。
 ⇒極東ブログ: [書評]記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記(クレア・シルヴィア他)
 ⇒極東ブログ: [書評]内臓が生みだす心(西原克成)
 西原克成はややあっちの人の印象もある。
 この問題はいわゆる心身論の身体側なのだが、パラダイムを変えて、実は、この身体が肉体というより肉体のエイドスとして見るとどうなのかという問題があり、そこは微妙にベクルソンへの接点がある。観念論的に見えてしまうけど。
 このあたりで私が何を思索しているかについては、極東ブログを奇妙にフォローしている人がいたらなにか気が付くと思う。ほのめかしたいわけではないし、隠したいわけではない。絶対に通じないよな領域に近くなっていてうまく言葉にならないだけだ。オカルトに誤解されてまた変なバッシングされてもなという感じもする、というと、やっぱオカルトかよとかになりそうだな。まあ、心的現象論は抜きにして、最低限ここで触れた書籍くらい読んでから言及してね感はある。
 吉本に話を戻すと。ある意味圧巻。
 吉本隆明で1冊読むというならこれがいいのかもしれない。猛毒だけど。
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「情況への発言」全集成 1 1962~1975 (1) (Modern Classics新書 24): 吉本 隆明

読めば血が出る, 2008/3/12
By お留守居役様 (東京都品川区) - レビューをすべて見る
 
血湧き肉躍る評論集。
時事的な話題に対する批評と
多くの組織、学者、文学者、評論家、タレント、匿名者などからの
批判、中傷、誹謗、罵声に対する批判、反批判がなされています。
いま読み返すと『試行』を直接購読していた頃の興奮がよみがえります。
 
やはり一番の読みどころは、連合赤軍事件でしょう。
連合赤軍の組織原理を共同幻想論の立場から批判するだけでなく、
心理学者などのヤブ医者の見解が、心情的、論理的に批判されています。
また、中ソの世界戦略など、当時の世界情勢の解析もなされています。
 
政治、文学、思想、、芸能などあらゆる面で若者が熱かった時代に
吉本隆明も燃えていたと言えるかと思います。

 連合赤軍事件が戦後の必然の帰結で、そしてその延長にオウム事件があった。吉本隆明というが運慶作仁王像みたいに思えてくる。なんでこんな巨大な思想家が戦後の出現したのかと思うけど、あれね、おフランスの左翼みたいに実はブルジョワじゃないからじゃないかな。とはいえ、おフランスの左翼の知性に吉本隆明がかなうかといえば全然かなわない。昔吉本がサルトルと自身を比較して全然だめだわと言ったが負け惜しみは個人の問題より西洋文明というゲタだというのはわかった。
 吉本隆明森有正山本七平は評価しなかったというか、理解できていなかった。やなやつらと思っていたのではないか。私は、その中間くらいかな。西洋文明のゲタを履いている気がする。