日経春秋 春秋(8/23)

 くさしはなしだが、この話をこの短いコラムで書くことかねと思う。

不慮の事故で亡くなってからきのうで25年を迎えた向田邦子さんはグラス氏とほぼ同じ世代に属する。戦争への坂道を下り始めた昭和初期、東京のサラリーマン家庭を舞台にして家族と男女の綾(あや)を描いた代表作『あ・うん』を山口瞳さんは「反戦文学の傑作」と呼んだ。文学もまた時代の業と呼ぶべきなのか。

 「不慮の事故」には違いないが……。それと、山口瞳をひょっこり出してくるのは執筆者の年代のせいか? 山口瞳の文学も読んだことがあればこういう発言の陰影もわかっているのだろうとは思うが。
 noon75さんとか山口瞳は読んでいるだろうかね。
 このあたり⇒「 血族」

日経社説 大胆な「超少子化」対策が必要だ(8/23)

 なんか奇妙に熱いな、日経。
 大筋では日本の少子化はなにをやってもダメ。ダメの上でどういう社会構想を描くかのフェーズ。もっと具体的に言えば、移民問題か。
 このところ町中を歩くと、中国人ばっかという印象を受ける。まあ、町中で声を出すのが彼らとうことか。台湾人も多いようなので観光客かなとも思う。そんなに多いわけないかなと思うが町中での実感でした。

読売社説 [横田空域返還]「民間機と安全保障の調和を図れ」

 ざっと読むに正論なのだが。

 やはり米軍が担当している沖縄進入管制は、07年度末に日本へ全面移管する方向で準備が進んでいる。

 これが手放しでよいことなのか疑問がちと残っている。物騒な話でもあるが。
 社説のメインかなと思われる横田基地だが。

 しかし、横田空域の設定には、安全保障上の要請もある。
 横田基地には在日米軍司令部が置かれている。在日米軍再編で航空自衛隊の航空総隊司令部も移転する。米軍は訓練のために十分な空域が必要としている。
 有事の際の管制の問題など、全面返還で安全保障上、支障が出ないかどうか、日米間で詰めなければならない。

 このあたり嘘とも言わないが重要性については疑問。
 この問題、トンデモ論をする気はないが、どうも何か隠れているという感じがしてならない。

読売社説 [自民党総裁選]「争点をもっと掘り下げなければ」

 いつもならスルーなんだけど、ほんとしょーもねーこと書いているな読売。基本的に総裁選は自民党内のことなので、国民としては国政への関与のインタフェースというかその関与のインフラみたいなものを整理しておけばいいと思う。
 参院不要論の私だが、次回の選挙はそうした国政へのメッセージを届ける機会にはなるだろうし、と思う。

朝日社説 医師不足 打つ手はたくさんある

 個別にはれれれもあるが概ねよい社説だと思う。医師は不足していない論は論としては成立するが社会問題の実態には即していない。理由は地域差であろう。

 地方に点在する病院の集約化も欠かせない。同じような規模の病院を統合するとともに、診療所との連携を強める。そうすることで、医師が少なくても効率的な医療が期待できる。
 これには地元の利害がからむ。抵抗を排して推し進めるには、地域の医療に責任を持つ県知事に勧告権を与えるのも一策だろう。

 大筋ではそういうこと。ただ、病院の集約化は知事権限でできても、問題は病院の集約化は地域住民の集約化や交通の問題が関連する。

朝日社説 子どもの誕生 平凡な暮らしの大切さ

 出生が若干増えることは予想されていたことなので特にニュースに取り上げるほどの意味はないのだが、ニュースという枠ではなく、それもなぜと考えると面白いには面白い。朝日は実際にはこの予想を知っていたらしくこう書いている。

 厚労省は、今のところ、景気が回復して若者の雇用が安定しつつあることや、妊娠中絶が減ったことなどが背景にあると見ている。だとすれば、そこに少子化に立ち向かう確かなヒントがありそうだ。何よりも若い人たちの暮らしが安定するように支援することである。

 雇用の効果はあるが、マクロ経済で言うような生涯賃金予測のようなものは庶民感覚としては成立していない。若者の生活に安定の要素が出るとしたら何かは、私にはよくわからない。親世代との合流かなとは思う。中絶の現象は戦後の日本が覆い隠してきた重要な問題かと思う。以前ちと調べた折、この実態解明の公的な資料がないのではないかと思った。
 と書いていて思ったが、一番の要素は団塊ジュニアということなんで、ネグっているのかな、朝日。
 くさしていうわけではないが、朝日のこの社説はそうダメ出しするほどのものでもないが、現在の日本社会へのインサイトも展望も含まれてないだろうと思う。

国を愛するということ

 ⇒H-Yamaguchi.net: 「愛国者」の3つの責務
 ちょっと意外な感じがした。もしかして「社会」と「国家」の違いをわかってないのかもしれないなという印象を持った。
 あるいは、共同体と国家の違いというべきか。あるいは、そんなものはないよということなのか。あるいは、啓蒙の文章を書くとき掬われる典型的なことというだけなのか。
 共同体は直接的な愛情なり信頼感なりで結ばれる。ルールであっても会衆として向き合うことができる。国家はその延長にはない。国家はまず権力として現れる。その権力をどのように公的な正義とするかが問われる。民主主義とは会衆の原理ではなく、国家の原理なのだ。多数決は会衆の手法の一つだが、国家はそれで動かされてはならないために各種の制度を持つ。くどいがこの権力を公的に正義とするために押さえ込む制度を作り上げることが民主主義の本質。
 その意味で、すこし言い過ぎだが、国家とは法であり、それは法の西洋的なイメージであるよにブラインドした女神(テミス)が計りと剣を持つ。
  
 ではその国家=正義を支える、根拠付けるものは何か? 
 端的に、自由、平等、そして博愛、なのだが、自由と平等はまさにそれが国家の原理性から来ている。そしてそれは、国家を個別の国家とはしない。個別の国家とするのは、博愛、なのだが、これはほぼ誤訳。友愛というか、fraternity 。つまり、これは極論すると、秘密結社的なアソシエーションである(このあたりあまり雑駁に言うのもなんだが柄谷行人はアソシエーションの背後にあるマルクスらのfraternityへの洞察を理解していないように思える)。ただ、秘密結社とすれば一見共同体のように見える。あるいは、共同体と秘密結社の差異が国家の本質を暗示しているかもしれない。さらに余談でいえば、共産主義における前衛とは秘密結社であり、その意味で、自由、平等、そして博愛、の変奏と言えないこともない。このあたりは、頭悪いわりにレーニンは直感的よくわかっていた。
 あ、社会= societyとすると英語のsocietyはほとんど秘密結社に近い意味になるので、そのあたりは議論が複雑になるかもしれない。ただ、この意味での社会=societyは日本人にはほとんど理解されていないと思う。というか、このsocietyの訳語は「協会」とすべき(一律にそう訳せではないが)。
 で。興として。「愛国者」の3つの責務。

  1. 見知らぬ同胞を愛し公共物を守ること
  2. 国家の権力を公義たらしめるべく見守ること
  3. 他国と異ならしめた歴史と文化を愛すること

 
追記
 この問題はもう少しやっかいかもしれないので、展開はあるかも。

"Abduction" & パティ・キム(Patty Kim)

 ⇒横田めぐみさん拉致題材の映画、ハリウッドでも公開 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 米国のテレビ・ドキュメンタリーなどを手がけてきたカナダ人のクリス・シェリダンさん(37)と妻のパティ・キムさん(36)が共同で監督、制作にあたった。韓国系のキムさんが2002年に拉致事件の記事をワシントン・ポスト紙で読んで驚いたのがきっかけという。

 ⇒MND: ≫ ‘Abduction’ ? A Tale of Independent Filmmaking

At their apartment in Washington D.C., Patty Kim and Chris Sheridan are packing for their weekend trip for filmmaking.
 
Kim was born in Korea, and Sheridan is a Canadian. They are a couple that gave up a stable lifestyle to pursue their dream of independent filmmaking.

 WMV⇒http://author.voanews.com/english/upload/Abduction_bb.wmv
 ⇒Abduction: The Megumi Yokota Story - Wikipedia, the free encyclopedia
 ⇒Abduction, The Megumi Yokota Story
 Patty Kimについて。
 Patty Kim - Wikipedia, the free encyclopedia
 この人は別人⇒Patty Kim - Harrisburg City Council

Dilbertの漫画にこういうのがあるのだが。

A: Do you mind if I spout obvious generalities about information?
If you have too much information, and it is not organized in any useful way, than it can't help you make decisions.
D: Are you a consultant or mildly retarded?
A: I wish I knew.

で。

it can't help you make decisions.
(決断を下す材料参考にはならない。)
I wish I knew.
(僕も知りたいんだ)

 訳はこれでいいのだろうか。いや、これで間違っているというわけではないが。
 ググるとこんなのがあり。
 ⇒Find a Perfect Database Tool - Database Market Research Solutions

さてそれは何処へ

 ⇒My Life Between Silicon Valley and Japan - 近藤淳也・令子夫妻、シリコンバレーへ

近藤の頭の中にある時間軸は、ベンチャーキャピタル(VC)の持つ時間軸と全く違う。しかも、近藤は「カネに全く興味がない」わけではないのだが「カネよりも大切なものがある」という信念の前に徹底的に頑固だ。つまり、当面このはてなという会社は、VCからの資金調達はできないということである(絶対にVCと意見が衝突するから)。ならば、今の事業から生まれる黒字をきっちりと維持・拡大しながら、コツコツとその収益を再投資するというやり方の中で、時間はかかってもブレークスルーを生む、という道を志向しなければならない(ブレークスルーが生まれたあとで、もしその実現に本格的にカネがかかるということがわかったなら、そのときに改めて資金調達をどうすればいいかを考えればいい)。

 さてその壮大なドラマがあと十年後なのか、五年後なのか、二十年後なのか。
 「カネよりも大切なものがある」には、「はてな」が含まれており、その「はてな」は近藤さんの思いからは疎外して独自の命を持ち始めている。というか、ここに奇妙な文化的実験が進行しつつある。
 ネットのポップカルチャーは今どういう相なのだろうか。

  1. 2ちゃん
  2. ミクシ
  3. お芋畑(がんばれgooとかexciteとか)
  4. はてなぶいぶい

そんな感じだろうか。
 既存メディアに一番近いのはお芋畑だろう。
 別の実験場と化したはてなと、近藤さんの思い(+梅田さんの思い)が、どのようなブレークスルーを生み出すのだろうか?

なんとなく

 ⇒ココヴォコ図書館 - 衆愚化は子猫の夢を見るか?

ある時期からブログに書かれていることって、凄くまっとうな意見が増えてきたように思う。というか、まっとうな意見しかいえなくなってきた、と言ったほうがいいかもしれない。僕らはいまやSBS他のツールに慣れつつあるし、そのいわば「検閲の目」に外傷的な反応はしなくなったけれども、深いところに内在化された監視の目になりつつあるような気がする。そしてその目はいまや「衆愚化」を指摘されるようになった。その時、僕らの内側にある「目」もまた、衆愚的なるそれになるんじゃないか。

 ちょっと心に触れるものがある。
 「内在化された監視の目」というほどのことはないのだが、これを言うと誤解されるだけだなというのはあまり言わなくなった。もっと言わなくなるんじゃないだろうか。
 黙っておくべきかこれは言うべきかというのが、だんだん、言うに疎くなる。
 私の政治的な位置は、ウヨサヨというよりこんな感じに近い。
 こんな感じ⇒finalventの日記 - 吉本隆明の後半生の戦いはソフト・スターリニズムとの戦いであった
 この問題意識はうまく通じないし、通じるとも思っていない。
 だからというのか、あまりBuzz makingなことをしてもしかたないかなとは思う。
 私を馬鹿だと思う人は多いだろうし、わざわざ言ったり陰で言う人もいるにはいるのだろう。ただ、私なんぞにそう思ったり言ったりするほどの意味はないんじゃないか。政治的な力もないし、未来もない。がんばる方向を間違えないほうがいいよ。
 私は自分を賢いとも思わないし、なにかの専門性の場から語りたいともまるで思わない。なので、そのあたりが衆愚に溶け込むのは大変によろしいとも思う。
 話が飛ぶが、吉本はその読者を四千人と見ていたと思う。そしてその読者とは銃を取る人だったはずだ。あの爺はいつ銃を取るべきか時代を睨み続けてその機会を失った。あるいは彼がボケ=自然=死を演じた迫力のなかに銃の気概が込められていたのかもしれない。そこにはしかしなにか大きな矛盾があるなと思う。
 私は自分が次第に老いていきながら、あんじょう、無になりつつある。銃とかいう思いもない。もちろんそれは歴史の意識がそうさせるものでもあるだろう。
 まあ、ただそれでも奇妙な孤独・孤立感のようなものはもう少し続くのかもしれない。

猫殺し?

 あまり関心ない。というか関心が向かない。それだけのことなので書くのも避けておくべきだが。
 無辜の人が殺されていくのは関心がある。困ったなと思う。
 
 そういえば⇒極東ブログ: 金魚救い?

どんな貧乏人でも凡庸な人でも

 どんな貧乏人でも人生の局面で、そうだな、二千万円くらいのカネにヘタを打つことがある。
 どんな凡庸な人でも、ぎょっとするような、愛と憎悪の局面に立たされることがある。
 まあ、そんなことがある。
 だめな人間でもその人から見た世界はたった一つなわけで、そのくらいの人生には、WoOっぽい隕石が二つくらい落ちてくる。
 不思議なもんだがそんなもの。
 なにもない?
 四十歳の童貞(処女)?
 どっかに巧妙に賢い嘘があるんじゃないか。巧妙に賢い嘘を捨てて生きるのは惨めといえば惨めだが、なんかあるよ、きっと。
 今日の裏黒江原啓之的スピリチュアルメッセージでした。