今朝になってぶくまのCSSがおかしい
究極の原因はInternet ExplorerのCSSのバグにある(marginとwidth)にあるのだが、なんか、はてな側でいじったのではないか。というわけで、暫定的なデザインに戻した。とほほ。
追記
午後になったら治っていた。ので、元のデザインに戻した。
今日の新聞各紙社説は…
郵政民営化の修正案だが、本質的な部分での修正ではないと思う。自民党の爺たちは二十九年までにリカバーできると思っているトチ狂いが悲劇を通り越して惨劇を通り越してこっちまで鬱になってくる。この狂った爺たちをどうしたらいいのだろうか。
このまま進めば、小泉は勝ったのだと思う。そういう歴史的な瞬間とまではいえないが、転機に日本人が向き合っている。それがいいことか悪いことかはわからないが、それがサバイブの道であり、次善の道ではあっただろう。ウォルフレンが示唆していたように、日本は変わることができない強固なシステムがある、が、少し崩れた。
橋梁談合については朝日のところでふれたが、シカケ側の権力の全体構図を描く必要がある。
放言だが、日本の社会権力は2つの柱があると思う。閨閥と暴力団だ。もう一つあるがモロに筆禍なので言わない。どちらも歴史的に形成されたものでなんともいいがたい。閨閥については、岸から今の安倍ちゃんを見ていると崩れつつはある。官僚と産業界は娘を交換しあって権力を形成してきた。ちょっと筆禍につっこむが、近代日本史というかそれ以前からそうだが日本は実際には女の交換が家名を通して実質の権力を維持するようになっていた。ある意味で外部の精子人材を家名に取り込む優れたシステムであった。
なにが壊れたのだろうか? 案外女の権力コントロールではないだろうか。女の権力はオモテに出ることがなかった。そこにはセレブなんて憧れえない修羅があるのだが、ある意味、そこで女たちは権力に倫理的だった。
それがくずれたのだろう。
と、だけ書くと奇矯な議論になってしまうのだろうか。
上流階級を覗いたこともなければ、そうした権力の娘たちにふれたことのないお芋が自由にネットに正論が書けるスバライ時代になった。
●日経社説 西武の再建を原点に戻せ
西武が戻るべき原点はこの時代にはもうないよ。
●日経社説 発注側も加担していたか?橋梁談合
書生爺その2。
●産経社説 道路公団捜索 「官製談合」の徹底解明を
他紙に同じ。
●産経社説 郵政民営化 発足に向け果敢に見直せ
修正のポイントは、民営各社の資本関係と郵便局網維持への配慮の二点だ。資本関係では、持ち株会社は二十九年までに郵貯銀と保険会社の株をすべて売却するとしていたが、両社の経営に影響力を及ぼす議決権を継続して持ち続けられるようにした。また国会答弁で郵貯銀・保険会社と窓口会社の持ち合いも認めることにしている。
これらは民営会社を政府の影響下におき、四社一体経営を維持する手立てだ。約三百四十兆円、日本の個人金融資産の四分の一に上る資金を市場の力学が及ばぬ状態に置く。しかも環境が厳しい郵便、窓口両社が郵貯、生保の経営を悪化させるリスクもはらむ。
やはり問題ないと思う。
●毎日社説 橋梁談合事件 天下り禁止して汚職を防げ
朝日と同じ。書生爺。
●毎日社説 郵政法案修正劇 「責任は取る」も方便だった
修正のポイントは、(1)完全民営化後も持ち株会社が郵貯銀行、保険両社の株を連続的に保有できる規定を置く(2)郵便局網を引き継ぐ窓口会社の業務として銀行、保険の代理業務を明記する(3)民営化の進ちょく状況について「3年ごとに検証」を「3年ごとに見直す」に変更する−−などだ。
つまり、民営化が完了するという2017年以降も郵便、貯金、保険3事業を完全に分離せず、一体的経営をしやすくするというものだ。持ち株会社には政府が3分の1を超える出資を続けるから、一体的経営が維持できれば、政府の影響力は貯金、保険にも残る。
問題ないと思うな。
自民党の爺たちいつまで生きていられると思っているのだろうか。
●読売社説 [橋梁談合事件]「道路公団の癒着構造が露呈した」
朝日よりトーンは弱いが同じ。
●読売社説 [郵政民営化法案]「多くの問題点を残した修正協議」
持ち株会社が貯金と保険の両金融会社の株式をいったん完全に処分した後、買い戻して「連続的保有」ができる措置を盛り込んだ。郵便局会社の代理店業務として郵便事業だけでなく、貯金や保険の両金融サービスも明記した。
とのことだが。
問題ないではないか。「できる」未来なんて来やしないのだから。
システム的に国家と断絶していればいいだけのこと。
●朝日社説 法案修正 ようやく器はできたが
私はこの修正案の意味がよくわからない。
朝日の記事は状況をなぞっているだけで考察はゼロ。
●朝日社説 橋梁談合 「官製」を洗い出せ
一見正論だが、どうも後味が悪い。まず、この事実を今更のごとく言う了見が好きではない。それと結果として朝日の正義は今回のシカケ側の権力の走狗となりはてている。シカケ側の権力の構図の全体を描く必要があるだろうとは思う。
イチホゲ
ちょっと真相がわからないのだが
⇒Sankei Web 国際 自衛隊標的か「確認できず」 豪軍報道官(06/29 21:22)
この話、どうも、変だと思ったのだが、豪軍の見解が妥当なら、なんだったんでしょ。
現状はよくわからない。
量子的ホゲともいうべきか。ホゲの味わいを深める一品です。
ネタナシ
ないな。
そういえば、昨日のネタというかホゲというか
⇒ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記
を早々にぶくましたもののこっちにはリストしなかった。ど忘れもあるが、ちょっと微妙な話題だなと思った。が、その後、ちらちらと拾うブログあり。
ま、微妙。
ひとごとでねーよ的な部分もあるにはある。
筆禍ゾーンにズドーンというよりも、国松様のお通りだい的な元気さは、祭はどこでつか羊を集めやすい。ま、それ自体がネタというわけで、そのあたりのネタと、つまんねブログはバーターなんで、オモスレー度を意図的に下げるのが防衛策でもある。
私は町山さんという人にそれほど関心なくて、というか、有名なのは知っているし、米大統領選ではがんばってんなとも思ったが、ま、知らないもんは知らんだけなのが、今回の騒動で実父が朝鮮人という話を知った。本人としてはそう言われても的であるだろうし、私もそういう人にわけあって交流をもったこともある。ま、それだけで朝鮮系というのはどうかとは思う。が、このあたりは、なかなか微妙なものはある。
DNAがとかアホーなことは言いたいわけではないし。
基本的に1000年スパンで見れば、日本人と朝鮮人と山東人は同じだろうし、そのちょっと下の層では、ベトナム(越人)もあるだろう(現代ベトナミーとは違うかも)。人種だの議論はくだらない。
といいつつ、48歳まで生きて奇妙に思うのは、よくわからないのだが、私などは、気取るわけでも威張るわけでもないが奇妙なところに武家の気風が残っている。意識のある根底もそうだ。父方の曾祖父は神官の家系からの養子でもあったらしい。どうもこの歳になってみて初めて奇妙に深いところの神道にうちあたいするものはある。
町山さんがコリアン系であるかというのは本人の意識にしてみればたまたまそうと以上ではなかろうし、他人からそう言われても返す言葉もないだろう。それはそこまでだ。
私の場合は、純ジャパであり父方祖母の系統は近衛兵の家柄でもあり父方家系も武家、母方は土豪でありどうもこれも武家の土着のようでもある。そういう感触は奇妙に自分が生きつつフィードバックを受けてしまう。そういうフィードバックの有無にどんな意味があるのかわからないが、そのあたりは微妙だ。ある意味、私は個人としては自由には生きていない。というか武家の生き様には腹かっぁばく以外の自由なんかないという逆説でもある。困ったものだ。
日記内で受ける私への罵倒
まず、実名想定は訴訟マターなのでやめてくださいね。
で、この日記内での範囲での罵倒はこんな感じですか。
そう見られることは、了解しますよ。そっかなとも思いますし。
意図的に法螺を吹くことはないし、実際、法螺の該当箇所はそうないのではなと思います。ブログサバトでぶくましてたのはいかんかったなと思うけど、法螺しているつもりではなかったですよ。
すべてを知ったかぶりはしてないと思います。自己満足と神経症はそうかも。神経症って古い言葉なので、罵倒は年配のかたかな。
似非キリスト教徒については、けっこうキリスト教徒ぽいこと書いているからそう見えるのでしょうね。これはしかたないなと思います。
「暗い部屋」は落としてもいいかな(暗くないです。マシンの都合で遮光することはあるけど)。「ブログに下痢糞を垂れ流す心が病気」はそうだと思います。心病んでいるなという感じです。ま、これはいつも書いているから。
「将来子供にこのブログを見られて恥ずかしい思いをさせるであろう」…、ちょっと思ったのだけど、子孫に誇りをという発想はもしかして…みたく思いました。私に子孫がいて私をどう思うか。まかせますよ。子孫というなら、私がいてはじめて存在しえた人でしょうから、まかせますよ。
finalvent日記および極東ブログ、炎上時、終了手順
- できるだけ人的に対処できるところは対処
- 実名想定は訴訟マターなので伏せ字編集します。他は、言論の自由というか、私が罵倒されたと感じるかという感性の問題なのでそのあたりはその時の感じで決めます。現状では2chとかgoogleで拾ったようなネタしか出てこない感じです。
- 人的対処できなくなったら
- できるだけコメント規制します。この日記はIP規制できないのではてなユーザーに限定するでしょう。
- それでも対処できない(切込隊長への攻撃レベル)
- コメント、トラバを閉じます。応答はmixiへ。というわけでmixiユーザーに限定することになります。
- コメント、トラバを閉じてもだめだめ
- 事態の想定はむずかしいのですが、そのレベルであれば、さっさと日記とブログを終了するしかないでしょう。本当なら、こういう社会による市民の攻撃は国家が守ってくれないと困るのですが、それがダメってことなんですから。
南の島暮らし
もう10日近く前になるけど、isologueの磯崎さんのブログを読んでいて、「将来は南の島で暮らしたい」って書いてあるのを発見。いいですよね、南の島って。僕もあこがれます、南の島暮らし。とか言うと、ご自身はナイチャーなはずなのにウチナー暮らしについて滔々と語るfinalvent氏に「ふーん」とか鼻で笑われそうですが。ま、笑われてもいいので、少し南の島ネタでエントリを書いてみようかな。
ふーん。
ま、お約束、と。
「南の島」と「沖縄」というのは違うのかもしれない。
ウブドのコテージを借りて半月暮らしたことがあった。つてがあったので、けっこうディープなウブドの生活を見せてもらったし、神事にも参加させてもらった。
どっかで、バリと沖縄は似ている面あるのだろうなとは思う。
沖縄が好きか嫌いかというと、どっちかというなら好きだ。でも、もう暮らせないとも思うし、好き嫌いという次元ではないものになってしまっている。
8年の沖縄暮らしが自分の人生に意味があったか、というと、意味を越えて、人生そのものになっている。
ま、滔々と語るしかないので、滔々とかたっているわけだよ。
亀の涙…
なんか心にひっかるなと思ったら、「亀の涙」だった。
罵倒者は「しかし禿げで法螺吹きの※※※に純ジャパと主張することに欠けられた亀の涙ほどのウンコ魂とは如何なるものなのか」というのだけど、なぜ亀の涙なのだろう?
なぜ、亀の涙という表現を想起したのだろう。
亀の涙がウンコ魂と結びつけられているところを見るとそれほどの意味はないのかもしれないし、もしかすると、亀の涙の意味を知らないのかもしれない。
知っていたとしたら、私は、この罵倒者を充分に理解してなかったかもしれないと思う。
亀の涙は、悲しみではない。しかし、そこに悲しみを人は読むのであり、そのような悲しみを読むなかから罵倒の思いが湧いたとすれば、私の理解の至らなさはあろう。
私は人種差別をさらに増長するような話を書いているか
あまり思い当たることがない。それこそがまさに人種差別的な無意識の問題である可能性はある。
今日のエントリでいえば、以下の部分が相当するのだろう。
町山さんがコリアン系であるかというのは本人の意識にしてみればたまたまそうと以上ではなかろうし、他人からそう言われても返す言葉もないだろう。それはそこまでだ。
私の場合は、純ジャパであり父方祖母の系統は近衛兵の家柄でもあり父方家系も武家、母方は土豪でありどうもこれも武家の土着のようでもある。そういう感触は奇妙に自分が生きつつフィードバックを受けてしまう。そういうフィードバックの有無にどんな意味があるのかわからないが、そのあたりは微妙だ。ある意味、私は個人としては自由には生きていない。というか武家の生き様には腹かっぁばく以外の自由なんかないという逆説でもある。困ったものだ。
町山さんがコリアン系であり、私が純日本系であるとする。そのことは人種差別でもなんでもないだろうと思う。
そしてそのことはどうかと問われても、町山さんも私も答えられるものではない、と、私は言いたいのだ、それが、そういう部分で、個人で自由に生きていないということだ。私は純日本系としているのは私の選択ではない。
そういう選択ではないものが理由で私は天皇に敬慕の念を持つ。コリアン系のかたと限らずそういうふうに天皇に敬慕の念を持たない人もいるかもしれないが、そのことは日本人でえあることの条件には関係ない。自由の範囲だ。むしろ、天皇に敬慕をもち、純日本系だという自己認識というのは不自由なものだと思う。
この罵倒者さんは、コリアン系なのではないかと思う
kagamiと名乗る罵倒者さんは、コリアン系なのではないかと思う。問題の関心事が、2chでひろってきたようなうわさ話ネタによる罵倒以外は、私が純ジャパということでコリアン系を差別しているかのように受け止めたことが罵倒のもとの怒りなのではないかと思う。
「子孫がどう思うか」という罵倒は中華的な極めてコリアン的な発想だし、「亀の涙(それは産みの苦しみに流す涙)」という言葉が想起されるものは、現代のぬぼぼんとした日本人には少ないと思うからだ。
しかし、kagamiと名乗る罵倒者さんは、コリアン系ではないのかもしれない。
私はわからない。
ただ、そうであってもいいのではないか。私の本名想定を書き散らすのであれば、堂々と自己の出目を語ってみてはどうか。いや、純ジャパだよというなら、なぜそのコリアン系に関心を持つのか語ってみたいと思う。
誤解をされるのかもしれないけど、コリアン系であれば、そのことに誇りをもってはどうか。この日記コメントの常連であるKagamiさんを擬して語っているのは、純ジャパの心情としては、この卑怯者と思う。しかし、それもこの日記の仕様でありその上で使っていることだから許容のうちだ。
私は日本人であることに誇りを持つ。コリアン系の日本人がコリアン系であることに誇りを持つことに私はむしろすがすがしい好感を持つ。「いやまだ日本国籍がもてない」というなら、日本人として不便をかけてすまないと思うし、「日本国籍などとりたくない」というならそれも認めたいと思う。日本国もそうしている。
しかし、たぶん、問題はそうでなく、ネットの社会などがそうだが、自分がコリアン系だなと堂々と言うこと自体がとても危険であり、そうした苦しみを純ジャパなどとぬかしているfinalventなどにわかるものか。だから苦しめ、というのなら、それは、ある意味、正当だと思う。
追記
本人はコリアン系ではないと言明されました。
了解しました。
コリアン系の想定はたとえばドイツ系の想定以上のものはないです
ちょっと誤解されているなと思うし、誤解が解けそうにもないですが。
はてなのコメント欄でIP規制ができていたらなと…
と思う。
もっとも、プロクシを使えばそんな規制はどって意味もないのだろうけど。
ブログの炎上だが、語り合うことで対応はできるか?
できなかったなというのが実感。
対話できなかったという敗北感はあり。
手のつけようがない、とっかかりがないという感じ。
こうした事態は想定していたのだけど、来たかと。
できるだけ語り合うことはできないかと努力したみたつもりだったが、落ち度はあったのかもしれない。
私としてはそれは誤解だよ、私が差別意識を持っているかもしれないから指摘してください、というスタンスをなるべくフェアに開きたかった。
だめだったな。
私の力量はここまでです。
インターネットの時代は変わる
昔といっても10年くらい前までは、インターネットはダイヤルアップのゲートウェイでしか使えなかった。それでもLynxで表示されるHPからメールを辿って世界の人といろいろ文通ができた。いつからか、それがスパムにかき消えた。
ブログのコメントもそうなるだろうなと思ったが、なった。
次はどうなるのか。
今回罵倒者が得たものは、この日記のコラム欄を一般ユーザーに開く可能性を潰すことだった。もちろん、そう決定したのは私だから、罵倒者のせいにできないとも言える。
それが罵倒者の欲しかったものだったのだろうか。
罵倒者が欲しかったものは、私の日記を潰すことだったのだろうか。
あまっちょろかったかな、finalventさん。IDも幼稚だしね。
そういえば親鸞は自らを愚禿と称した
ここに西田幾多郎先生の名文がある。
⇒西田幾多郎 愚禿親鸞
名文過ぎてなんかよーわからんかもしれない。
それはさておき。
愚禿というのは、「愚か禿げ」と読み下してしまいがちだが、禿げと「禿(トク)」は歴史的にはちょっと意味が違う。じゃ、禿げてねーのかよというと、あれだ、白頭掻短 渾欲不勝簪であり、ま、禿げは禿げかもしれないが、老いて零落しているという意味があり、今日的な、禿、というものでもない。
今日の罵倒者もだが、よく会ったこともない人に禿げ禿げと言われ、そしてそれは罵倒の文脈に置かれる。
ま、この歳だし、テストステロンも高そうだし(テストステロン自体は禿げの原因ではない)、そう見られるのもむべなるかだし、いや、ふさふさだよとも言わない。
単純にあまり身体的な特徴をここで語らないというだけだ。
と、言っても、納得されぬむきは多かろうし、ネジ巻き鳥クロニクルにあるように、禿げには、衰滅していく暗示はある。
しかし、な、人は、みな、死ぬ。
衰滅は、死のメタファーでもある。
どう死を向かい入れるかというのをきちんとレギュレートして考えさせるものでもある。
禿げとは、竹内久美子も考察しつつ結論が出てないようだが、死の明快な受容でないか。
ま、たぶん、違うか。
禿げはもてない。禿げはかっこわるい。ま、それは現実。
だから、罵倒にもなるのであろうな。
で?
いや、オチはないよ。