ネタナシ

 ないな。
 そういえば、昨日のネタというかホゲというか
 ⇒ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

 を早々にぶくましたもののこっちにはリストしなかった。ど忘れもあるが、ちょっと微妙な話題だなと思った。が、その後、ちらちらと拾うブログあり。
 ま、微妙。
 ひごとでねーよ的な部分もあるにはある。
 筆禍ゾーンにズドーンというよりも、国松様のお通りだい的な元気さは、祭はどこでつか羊を集めやすい。ま、それ自体がネタというわけで、そのあたりのネタと、つまんねブログはバーターなんで、オモスレー度を意図的に下げるのが防衛策でもある。
 私は町山さんという人にそれほど関心なくて、というか、有名なのは知っているし、米大統領選ではがんばってんなとも思ったが、ま、知らないもんは知らんだけなのが、今回の騒動で実父が朝鮮人という話を知った。本人としてはそう言われても的であるだろうし、私もそういう人にわけあって交流をもったこともある。ま、それだけで朝鮮系というのはどうかとは思う。が、このあたりは、なかなか微妙なものはある。
 DNAがとかアホーなことは言いたいわけではないし。
 基本的に1000年スパンで見れば、日本人と朝鮮人山東人は同じだろうし、そのちょっと下の層では、ベトナム(越人)もあるだろう(現代ベトナミーとは違うかも)。人種だの議論はくだらない。
 といいつつ、48歳まで生きて奇妙に思うのは、よくわからないのだが、私などは、気取るわけでも威張るわけでもないが奇妙なところに武家の気風が残っている。意識のある根底もそうだ。父方の曾祖父は神官の家系からの養子でもあったらしい。どうもこの歳になってみて初めて奇妙に深いところの神道にうちあたいするものはある。
 町山さんがコリアン系であるかというのは本人の意識にしてみればたまたまそうと以上ではなかろうし、他人からそう言われても返す言葉もないだろう。それはそこまでだ。
 私の場合は、純ジャパであり父方祖母の系統は近衛兵の家柄でもあり父方家系も武家、母方は土豪でありどうもこれも武家の土着のようでもある。そういう感触は奇妙に自分が生きつつフィードバックを受けてしまう。そういうフィードバックの有無にどんな意味があるのかわからないが、そのあたりは微妙だ。ある意味、私は個人としては自由には生きていない。というか武家の生き様には腹かっぁばく以外の自由なんかないという逆説でもある。困ったものだ。