とても簡単な構造主義入門

 構造主義とは何か? いかめしい定義はさておき。
 東京駅5時発の中央線の電車を考えてみよう。
 この電車は平日ダイヤなら毎日、5時に東京駅から出発する。
 ではここで問いかけ。
 今日の5時発の中央線の電車と、昨日の5時発の中央線の電車は、同じだったか、違ったか?
 答え、わからない。
 でも、そんなこと気にしなくてもいいじゃん、「同じ電車」なんだから、といって、強引に「同じ」にするのが構造主義
 同じ時刻に同じ駅から出発する電車は、つまり、同じ。それで何か不都合でも?みたいな考え方。
 そして。
 この「同じ」であることを保証しているのが、時刻表。
 時刻表という構造、正確にはダイヤという構造。
 このように。
 構造主義では、対象がまずある全体構造として捉えられ、その構成要素は、システム内部の差異(東京駅か秋葉原駅という差異や、5時か6時かという差異)によって同一または別物だと扱える。
 しかも、その要素はすべて、aとかbとかcとか任意の記号的に記述でき、解釈(aには意味がない、bと違うだけ)を必要としない。
 さて。
 このように思索の対象を構造として考えるのが構造主義
 構造主義によって、実体(個別の電車の特徴)や、意味=解釈(電車とはなにかの恣意的な議論)を一切排除できる。
 以上が方法論としての構造主義。実際にはもっともっと巧緻になりうる。
 でだ。
 いわゆる哲学的な構造主義とは何か?
 これは、社会活動を人間個々人や集団という主体の活動の総和として見るのではなく、社会構造・権力構造という構造が、がーんとまず存在し、個人や集団は、先の電車のシステムのように構造に割り当てられているだけと見なす考え方。
 なんでこんな考えが出てきたのか?
 個人の生き方とか主体とか、そういうことを考えてもまったく社会変革は不可能。そんなことより、社会や権力の構造をいうものを捉え、その構造の解析から一種の工学的に社会を変革できないものか、という発想。
 ただし。
 実際の構造主義では、変革の企図性は抜けちゃって、ぼくら構造の一部じゃん、ダメじゃん、人生オワタ、になりがち。
 以上で、とても簡単な構造主義入門終わり。
 おまけ。
 構造というのはそういうソリッド(固い)スタティック(静的)じゃないよ、もっとダイナミックなものだから、ニッチや抜け穴があるから、そこで逃げまくってもいいんじゃないかというかその手の考えかたが、ポスト構造主義