日経春秋 春秋(12/19)

絶対王制全盛期のフランスに君臨した太陽王ルイ14世は「朕(ちん)は国家なり」と豪語した。という証拠はどこにもないそうだ。しかし、いかにももっともらしい。

 ところが「絶対王制全盛期」という歴史概念ももうそのスジでは支持されてないんですよ。
 ⇒絶対王政 - Wikipedia

かつて、マルクス主義においては封建主義社会から資本主義社会への過渡期に現れたと位置づけられ、近年は社団国家などの概念を通じて説明されることが多い。

 ウィキペディアもまだ不十分だけど。社団国家ですよ。
 こっちに少し書いてある。
 ⇒現代的な基準外の国家 : 国家 - Wikipedia

なお、以上のような要件を満たさない支配機構や政治共同体も存在しうる。上記の国家は近代の歴史的産物(近代国家も参照)であり、それ以前には存在しなかった。例えば前近代社会において、しばしば多くの国家が多様な自治的組織を持つ多種多様な人間集団、すなわち社団の複合体として成立し、中央政府機構はこれら社団に特権を付与することで階層秩序を維持していた。こうした国家体制を社団国家と称し、日本の幕藩体制やフランスのアンシャン・レジームが典型例として挙げられる。
 
こうした社団国家においては個々の社団が中央政府機構からの離脱や復帰を行う現象が見られ、また江戸時代の琉球王国が日本と中華帝国(明もしくは清)に両属の態度をとっていたように国民の固定化は不完全であった。当然、社団の離脱、復帰に伴い領域も変動しえた。

 「中央政府機構はこれら社団に特権を付与することで階層秩序を維持していた」ということね。あと、実はこれらの特権とメディアの関係がありそう。
 話を春秋に戻して。

国家が教育を管理しろということではない。国を支えるのは人。その人をつくるのだからあだやおろそかにすべからず、の趣旨である。

 ところがね。
 ⇒コメニウス - Wikipedia

現代の学校での教育すなわち学校教育のしくみを構想した。今日、日本をはじめ多くの国でみられる同一年齢・同時入学・同一学年・同一内容・同時卒業といったしくみは、コメニウスの構想に発するものである。

 というわけで、一斉教育はある特定の時代から発生したもの。
 で。

コメニウスは、こうした学校のありかたを通じ、人びとがすべての知識を共有することよって、戦争が終わり、ヨーロッパが一つになると考えた。この考え方は、現在のユネスコに受け継がれている。

 これなんかはむしろ今のGoogle主義に近いのだけど、実際の一斉教育は民族主義国家というか、皆兵に収斂していく。というか、コメニウスの背景にあるフラタニティのなかにそういう市民国家=武装国家、の理念があったりする。っていうか、市民って銃を取る者なんですよ。
 まあ、このあたりはいろいろ難しい。