簡単に応答してはいけないテーマではあるが
そしてうまく噛み合ってないのは申し訳ない。
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ちょっと反則的な言い方をしてしまうのだが、noon75さんは団塊後世代=戦争を知らない子供たち世代の後の白けた世代の私よりさらに若い。若いといってもいわゆる若者ではないので、若者的な配慮は要らないのだが、それでも、戦争と日本の言語文化が受け止めたものに対して、少しずつ老いを深めつつ、その感性を手折っていく地点に向かっているのかもしれないと思う(異文化的な背景は本質ではなくツールあろうと思う、村上春樹もそうであったように)。そういう表現者的な存在に対して、なんらかの配慮が必要なのだろうが、私がその任でもないのか逡巡する気持ちがある。
前回関連のエントリを書いたとき念頭にありながらためらったのは、小島信夫である。吉行淳之介、遠藤周作が死に、その戦後文学的な違和をある意味で完成させたのが小島信夫であり、おそらく村上春樹は直接的ではないにせ小島信夫を継いでいる。ただ、そう言うためには私はきちんと仕事をしないといけないので、そこを言うのにとても恥じる。
吉行淳之介、遠藤周作、彼らは大衆作家でもあった。太宰治や坂口安吾が戦後の空間にとてつもない違和感を覚えながらもそこで道化と狂気を巻き込むかたちでしか自滅しえなかった地帯で存在するには大衆作家である他はなく、遠藤周作は自覚していた。が、最終的に彼は逆に文学というものの報復にあって、大衆作家の地平に消えてしまった。吉行淳之介は大衆作家になりえないのを知って文学を切り離し、ふざけまくった。が、彼が生身の女を二人(相反する女を)残したのは奇譚というよりはむしろ文学的な出来事だった。恐らく「生」はこの二人の女と生きることを文学よりも命じたのだろう。
その後の文学はメタ文学になったのだろうと私は思う。
もちろん、いかなる時代でも文学は生きる。これは信念ではなく事実であるのだから仕方がない。だが、そういう文学がある局面で問いただす歴史と民族の言語経験というものに、事実としての文学もメタ文学(文学ゲーム)も対峙しえない。
そこには、どうしても大文学者というものが必要になる。そういうとせせら笑う人もいるだろうが、ドストエフスキーが政治的なコンテクストで読まれていないなら笑うがよかろう。
おそらく、あえて言えば、「わたしたち」の「文学がある局面で問いただす歴史と民族の言語経験」への向き合い方は、大文学者への志向を必然的に孕んでいる。
たぶん、村上春樹(もう一人はたぶん津島祐子)の現在はその光景のなかにあると思うのだが、私が自身の文学的な感性でいえばもはやついて行けない部分は大きい。小島信夫の今をきちんと描けないということもある。この問題に向かいうる批評家が私より若い世代から出るのかわからない。
話が支離滅裂になりつつあるが、noon75さんは、たぶん、そうした批評と大文学を捨象しても自身の文学的な感性を伸ばしたいのだろうと思う。そこは一人の新しい作家が現れる場であるかもしれないし、そうであれば、批評と大文学というのは別の課題かもしれない。