このところ吉行淳之介のものを

 振り返りつらつらと読む。
 もの凄い美文家だと思っていたが、この歳で読み返すと、そうでもないかなとは思う。逆に美文ではない文章技術というか小説技術の切れ味がわかってぞっとした。
 先日書棚の整理をして、もう吉行を読むことはないだろうし、また買えるだろうと思ったが、ジュンク堂とか行ってももうないのだな。古書あさりか。自分が手放した本をまた買ったりして。
 ⇒「 夕暮まで: 本: 吉行 淳之介」
 「夕暮まで」を読んでいて、佐々がせいぜい45歳くらいの設定ではないかと思って、ちょっと驚いた。30代ではありえない。50代でもない。42歳くらいかとも思う。女は22歳くらいなので、42歳くらいと読むべきか。
 佐々の妻と娘の関係を思うと、20代で結婚の時代でもあるし、やはりせいぜい42歳くらい、厄年くらいかとも思う。
 執筆している吉行淳之介は50代半ばだろう。ああ、この筆致というか目は俺より老けているなと安心するところがあるし、食の嗜好の描写は少し狂いがありそうだ。それでも女はよく描けている。

江藤淳氏が牙を向けた愚作, 2006/1/5
レビュアー: misidazai (多摩区) - レビューをすべて見る
 極端に文字数が少ないページ、それに比例して、緩慢な内容。
男女の弛緩した気鬱陶い現今的状況が、ゆるゆるの文章、平板な描写、語彙の極端な貧相で書かれている。
 江藤淳氏が「自由と禁忌」で叩いていた一作である。現在の文壇下落を象徴するような一作。三十年前の作品らしい、当時から、文学の漫画化は始まっていたのだ。…正しくこの馬鹿作品は、現代のレディコミックである。…そういうのも漫画家に失礼かもしれない。

 意外とこういう評は当たっているかなと思う。ただ、江藤淳には吉行淳之介は読めない。そのあたりの機微はとてもにがいような酸っぱいものがある。江藤とその奥さんと自殺の関係を思えば。

オリーブオイル, 2005/10/13
レビュアー: cbe55320 - レビューをすべて見る
かたくなに処女性を守り抜こうとするヒロインと逢瀬を重ねる中年男の物語。境界線があるようでないようなふたりの情欲の揺れるさまが、研ぎ澄まされた筆致で綴られています。短い会話やさりげない仕草の描写に、その奥に隠されたものの気配を感じ取られることでしょう。語られないことによって、より饒舌さを増すこともあります。たまたまこの本を読む前に団鬼六の小説を読んだのですが、ふたりは性愛へのアプローチの仕方がまさに対極に位置するのではないでしょうか。「動と静」・・・そんな言葉が浮かんできました。

 性愛を読むあたりで私のようなものはちょっと微笑んでしまうのだが、時代は変わるということだ。
 吉行淳之介は病をおしてよく生きた部類だと思ったが、70だったか。
 ⇒吉行淳之介 - Wikipedia
 そのようだ。
 私の父より一つ年上だったな。父もあと10年は生きてよかったなと思う。
 「夕暮まで」を読み返して、子供時代の回想とおもちゃの描写が美しかった。フェリーニ的な映像感がある。そして吉行にとって女と性は、いつまでも少年の恐怖の問題でもあったのだろう。
 ウィキには作品に年代がないが、性の領域については事実上、「夕暮まで」で終わったと見てもよさそうだ。たしかに、この先なさそうでもある。そしてそれが55歳くらいか。
 性といえば谷崎や川端みたいな先達はいるが、吉行はまるでそこに行こうとは思わなかっただろう。

吉行は本妻との間に一女をもうけており、三兄妹のなかで唯一子供を残したことになる。

 娘さんはもうけっこうなお歳だろう。孫もいるのではないか。
 ⇒「 砂の上の植物群: 本: 吉行 淳之介」
 これは30代半ばの物語だなと思った。
 はてなぶいぶいの30代のかたには面白くない物語だろう。時代というものだな。