こういうのついてけない自分がいる
ついけたらそれはそれでキンモーだろうけど。
⇒何かのスペース。: もう一生女なんて信じない その1
女クラスと個別の女の誤解があるように思うけど、まあ、そういうメタな話は無意味でしょう。
こういうのを延々と議論できるのがすごいなと思う。
若さ特有の孤独かもだし、この手の孤独は40歳くらまで続くもんだし。
女と向き合っているというか、長く生きているとどうしても諸処に向き合うし、なんとなく女クラスを思う。そして現実の女インスタンスは女クラスを継承してはいるのだけど、そこがなんとも奇妙。
男が、どうしても、僕ちゃん=子供=正しい世界はどこどこ、というメタモードと、やりたい=やりたい=性欲というモードがあって、実際のところ男なんてそこがうまく切り替えられないというか、切り替えられる一群の男たちに、ああはなれねー、ああなるのはやだ、と思っている。
どっかに純愛指向とか、あるいは純愛なんてケとかいいながら奇妙に自動車とか酒とかに凝る男の美学=照れだろくだらね=純愛指向と同じだよ、がある。
ま、男にしてみると、「僕ちゃんだけの内面の僕ちゃん」というのの始末の付け方は難しい。かっこつけても頭よくなってもそういう外的なモードとしての死滅は詰まるところ社会インタフェースでしかなく、つまりそれはやっぱり僕ちゃんの孤独が残っているに過ぎない。
ただ、なんというか、女クラスに「餌」プロパティになっている男(あの寒流スターとかかな)がもてるのと違って、僕ちゃんに始末をつけた男はもてるかもしれない。もてるというのは違うのだろうけど。女だって大人になれば性欲と生活と自分の折り合いのバランスがわかるように、ってかわからないのはナチュラルにスルーできるようになれば、……ま、略、と。