芥川賞についてちょいと

 ⇒ノッフ! - 芥川賞が欲しくなる理由を考えてみました
 このエントリはとくに感想ないんだけど、ちょいと関連して思ったこと。
 以前斎藤美奈子が言っていたが、芥川賞の選考は評論家じゃなくて作家が、というのがミソ。会社と同じなんだよね。で、会社と同じということは案外会社の権力・派閥というかそういう論理がけっこう働いていて、で、それってつまり、あれです、縁故っていうか閨閥というか。あまりこの側面分析されたの知らないけど、けっこうありそうですぜ。
 村上春樹よしもとばななを落としたあたりで、芥川賞は自然死していたはずなのに、文春ってうまくもりあげるなと思った。週刊誌では敵対しているげなのに、この分野では文春と新潮ってカルテルみたいだし、って、そりゃね、編集者の……(フェイドアウト)。 そういえば、このしょーもない業界構造は戦前もあって、太宰とかはよく知られているが、中島敦が落ちているのだよね、あまりこれも指摘されているを知らないが。まあ、当時はメディアといえば活字くらいなものだし、作家はけっこうなカネになった。吉行淳之介くらいまでは作家で飲めたんじゃないかな。その後は、こういうと下品だけど、純文の人なんか食えないので、適当に食わせるて、そして育てるのが出版社の社会的役割というか責任というか。つまり、海外旅行とかさせて体験させてエッセー書かせるとか……(フェイドアウト)。
 純文だと3年に一作クオリティが出せれば2サイクルで出版社カルテルでなんとか賞が回っていくというかなんだか昔の日本社会の勲章みたいだが。
 そういえばニューアカ時代、近代小説批判がけっこうあったけど、あれもなぁ、なんというか知が知でぐるぐる回るみたいなもので、なんというのか漱石も実は朝ドラというか渡鬼みたいなメディア性があるので、その部分の大衆小説の流れのほうが日本の近代を色づけているのだけど、そのあたりの研究は難しい。真田十勇士とか貸本というか。
 林真理子芥川賞を欲しかったのだろうと思う。その執念で直木賞をもらったわけだし、でもなんかまだ芥川賞への怨念はありそうだ。なんでそこまでと思うが、そのあたりの階級感みたいのはあるのだろう。