晴天、風が強くなりそうだ

 8月1日か。そしてもう水曜日。世間は夏休みだろうか。そのわりに子供は普段の休日より多いとも思えない。出かけているのだろうか。赤ちゃんをつれた若い女性を比較的よく見かける。デパートやショッピングセンターに入ると人が多いが、と見回すと、意外と老人と団塊世代の初老の人も多い。人集りがあるとどうも安価な商品のようだ。この世代の消費活動は、実際のリテールのレベルでは時代逆境的になっていくのか、あるいはマーケティングが仕掛けていくのか。健康関連商品でもそうだが、この世代はあまり物をうまく使いこなしすノウハウを持っていないし、どこかで劣等感と誇りたい優越感のようなものの、べたなアンビバレンツがある。そして私の世代あたりをピークにしてバブルの夢よもう一度という感性がある。それが抜けるあたりからいわゆる失われた世代になるのだが、その接合点にはおそらく借金漬けのベルト地帯のようなものがあるのだろう。40歳くらいか。がんばりが効くがもう実際には人生オワタの層だ。本人たちも本当はつらいだろうがやっかいなものだと、と思ったらそこは女性だといわゆる負け犬ベルトか。負け犬ベルトの男性というのはあまり語られない。既婚率はそう低くもないが、高いわけでもない。はてなとかでもあまり見えない。35歳から42歳くらいの男性の層はどうなっているのだろうか。
 ベルイマンが死にアントニオーニが死んだ。英語のニュースを聞いて、ほおと思った。そういえば先日臨床心理学者アルバート・エリスが死んだ。日本ではあまりニュースにならなかったが、英語のニュースではトップ扱いだった。
 ベルイマンについては、ふと考えるとはてぶで話題になっていそうなものだと思ったが、見かけなかったようだ(だれかが啓蒙的に書けばぶくまが集まるだろうが、ちょっとそれはやめてね)。はてな世代になるとさすがに話題にもならないのだろうか、と、検索をかけるとそうでもない。ベルイマンについて語れるのは私世代からあとは蓮実などのフカシにのったニューアカ影響のお若い人たちだから、今の40歳くらいまでのあたりだろうか。
 私はベルイマンについては、白黒の西洋人のぶよっとした肉体を見たなあくらいの印象しかない。フェリーニを見たときのような陶酔感はなかった。つまりあまり記憶にもないというか、まわりにうるさいやつらがいてウンザリした。
 現代ではどうなのかわからないが欧州映画好きというのは私はなんかこいつら偽インテリという感じがして引く。本当の西洋の部分がわかってないだろとかこっそり思うが饒舌で攻撃的な彼らと議論をする気もないし、実際のところその膨大な映像ライブラリーの知識と議論する部分などない。そういえばその反動で日本映画好きみたいのもいた。まあ、それも引く。いずれにせよ、映画という時代があった。なんとかオスカーとかがあった時代だ。三本映画というやつだ。飯も食わずに見て、夕陽や木枯らしをあびる。青春。飯田橋にもあったな。高田馬場にもあった。

日経 春秋(8/1)

 おやこんなところでこの話題が。

舞台やテレビドラマにも挑んだエネルギッシュな人だった。イングリッド・バーグマンを起用した『秋のソナタ』では、この大女優と衝突して平手打ちを食らいながら演出を続けたと自伝に書いている。やがて、「その顔からはこわばった仮面が取れ、悩める人間の顔がフィルムにおさめられた」(木原武一訳)。

 「にやり」というところでしょうか。こういうところをにやりと読み取るのが文章を読むということなのだが云々。

日経社説 日米関係損ねる慰安婦決議

 これは良社説だ。

 決議は日本政府、首相の公式謝罪を求めている。政府は1993年の河野洋平官房長官談話で慰安婦だった方々に公式に謝罪し、アジア女性基金を通じた償いをしてきた。
 安倍晋三首相は4月訪米時のブッシュ大統領、議会指導者との会談で「辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、個人として、また総理として心から同情するとともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」と発言した。これも決議が求める公式謝罪に近い。
 安倍訪米前、米側がこの問題で対日批判を強めていたころ、私たちは「韓国、中国よりも米国で声高に批判されるのを日本で聞く違和感は、米先住民の過去の待遇を日本の国会が批判するのを米国人が聞く時の感覚に近いだろう」と書いた。さらなる謝罪を求める決議の採択を聞いて同様の感覚を禁じ得ない。

 もう少し引用したい。

 米側での対日イメージの低下や日本国内での反米感情の高まりにつながりかねない動きは、双方にとって有害である。それ以外にも日米間には否定的要因が増えている。
 日本ではブッシュ政権の融和主義的な北朝鮮政策に不満が強い。参院での多数を得た民主党小沢一郎代表は、テロ対策特別措置法の延長に反対を表明した。インド洋での海上自衛隊の給油活動が打ち切られれば、米側に失望感を与えるだろう。

 日経はけっこう踏み込んで言うなと思った。

毎日社説 民主党 与党と正面からぶつかれ

 面白いこと言うなと思う。実際にこれから正面からぶつかるしかないわけで、むしろそのリアクションに民主党がもちこたえられるかが問題。
 結局小沢頼みの傘に労組が隠れてたりカネを云々ということになったが、ある年代上の人なら小沢が田名角栄嫡流であることを知らないわけはない。そこを内部抗争でどうそぎ落とすかということ小沢の病気とのかねあいもある。民主党はいわば爆弾を抱えている。
 不思議だなと思うのだが、小沢こそがある意味で自民党なのだ。だからあれほど叩かれていた。だが、今表層的な自民党支持者は小沢を叩く。自民党はもちろん保守政党だが、今日の言論空間でラベルされるような保守的なイデオロギーを持つわけではない。むしろ、冷戦下でリベラルな政党でもあった。そのリベラルな部分と日本の土着性のなかで地域に根ざした民主主義の自覚があり、小沢はその一点は愚直に見ているし、たぶん胡耀邦系だと思うが中国も小沢をどんな逆境でも見捨てていない。私はこうした中国人の政治姿勢からいろいろ学んだ。もちろん、表面的には二股の一つにすぎないが、それでもその部分の中国人たちの頑固なまでの人物評価の強さは敬意を覚える。(余談だが香港が返還されるころ大陸やインドシナ半島の国民党はどう動くのか関心をもったが、直接的な政治の動きはなかった。あるいはそれが今に結実しているのかもしれない。私には見えないが、それでも中国大陸の内部に、括弧に国民党は残っているのではないかという妄想を私は捨てきれない。というか、あの文革の嵐のなかできっと生き延びると意志した一部中国人の強さこそ日本人にはない特質だと思う。)

読売社説 慰安婦決議 誤った歴史の独り歩きが心配だ

 決議は、「慰安婦制度は20世紀最大の人身売買の一つ」としている。
 そうした“慰安”施設は、旧日本軍に特有のものではなかった。戦後、米占領軍は、日本の“慰安”施設を利用した。朝鮮戦争当時、韓国軍もその種の施設を持っていたことが、今日では明らかにされている。
 第2次大戦中、ドイツ軍にも“慰安”施設があり、占領された地域の女性が組織的・強制的に徴集された。
 なぜ、日本だけが非難決議の対象とされるのだろうか。
 決議の背景には、提案者のマイケル・ホンダ民主党議員を全面的に支援する中国系の反日団体の活発な動きがあった。ドイツについては同様の運動団体がないせいだろう。もちろん、米軍の“道義的”責任を追及する団体はない。

 この問題を短くこうまとめてよいかわからないが、全体像を描く必要があるだろう。私はこの問題は表層的な戦時に留まらず本質的な動員と国家戦略に関連していると見ている。つまり、村落共同体を破壊すればそこでのそれなりの性秩序は解体される。
 イリイチのいう学校・交通・病院の次に、実は、売春宿は本質的に大文字の制度に埋め込まれているのだ。そこまでのリーチをもつ論者は私の見るかぎりいない。というか、イリイチの射程がよく理解されているとは到底思えない。はてななどでも「ソープに行け」メソッドがあり、そのレベルでいろいろ議論が沸くが、「ソープに行け」が可能な制度の意味については、十分に考察されたものを読んだことはない。一言だけ残せば、「ソープに行け」が可能な言説の空間こそが、労働者の動員を可能にする国家戦略と関係している。あるいは国家のもつ影の輪郭を描く。

朝日社説 慰安婦決議―首相談話でけじめを

 事実関係のレベルで間違っているような気もするが、たとえば。

 ところがその後、一部の政治家やメディア、学者らから、河野談話を否定したり攻撃したりする発言が相次いだ。そうした勢力の中心メンバーの1人が、首相になる前の安倍氏だった。

 これなんだが、そうだろうか? この件について安倍は基本的に一貫して河野談話を踏襲しているだけように私には見える。また、

 さらに決定的だったのは、国会議員や首相の外交ブレーンらが反論広告をワシントン・ポスト紙に掲載したことだ。

 安倍本人の言動と、この人たちの言動は直接的には関係はないと私は思う(つまりそれよって安倍に責が問われるかという意味で)。安倍の立場に立って見ると、この人たちなんだろ止まらないのか、という無力感があるではないか。
 この件で安倍ボクちゃんを擁護する気は全然ないが、切り取られマスメディアで増幅された安倍象と現実の安倍象は違うのではないかという印象を私は持っている。

そういえばその後の水泳

 その後っていつからかわかんないけど、週に二、三回泳いでいます。とくになんにも考えないですね。ちょっと時間の都合が付きそうで泳げそうならばしゃんと。
 泳ぎのほうは、微妙に変化していて。だいたい4泳法は均等というか、けっこう自由に。結局一番好きな泳ぎはバタフライになった。とても気持ちがよい。なんかこれって人間じゃないよ的な泳ぎというか身体の動きが身体の奥底になんか伝わってきて、それがなんというのか飛んでいる感じというか、ときおり空間も飛べそうな気がするときがある。人間の身体ってこんなふうに動かすことができるんだみたいな開放感がありますね。他の泳ぎでも全体のコーディネーションは必要なんだけど、バタフライだと身体全体で水をぐわんと動かすのでそのあたりがたまらない。
 理論的には、速度を得るためには蹴伸びスタイルというか抵抗を減らすほうがいいわけで、競泳的なバタフライだとやはりそうなるのだろうなというか、水面をはねるみたいになるのだけど、私の場合はなんというか、水生動物的。やはり波を起こしたほうが身体が楽。
 クロールは特に進歩ない。ああ、あったかな。そういえば6ビートをやったら、うひゃ、身体が間宮モーターみたいに進む。え?とか自分でも思った。足のフィン感覚がついてきたのか水の蹴りに無駄が減ったようだ。ただ、競泳はなと思いつつ、この速度はそれなりに快感。
 意外と進歩ないのが平泳ぎ。私は足を開くし手も伸ばす、遠泳的な泳ぎなんで、速度を出すにはもっとああすればいいのはわかるんだけど、どうもブレストで速度を出す気にならない。
 背泳は2ビートでどうってことなし。もっと速度を落としても足が落ちなくなった。
 そういえば。ヘンテコな泳ぎがいろいろできるようになった。バタ平泳ぎとか、背面平泳ぎみたいのか。バタ平泳ぎはたぶん昔の競泳平泳ぎってこうかもというのがわかった。
 あと、シンクロナイズドはやるきないけど、水のなかでの移動や方向転換とか楽になってきてますます、水生動物的。
 もともと太っているタイプじゃないけど、身体は少ししまってきた。筋肉むっちり系でもないし、いわゆる中年オヤジ体型でもないし、というか、76cm、30代では72cmだったか。皮下脂肪はもうちょっと落としていいんだろうけど、なかなか落ちないのではないか。
 そういえばヨガのナウリが以前よりうまくなりましたよ。腹芸っていうか。べたにキンモーっていうか。
 ⇒ナウリ - 旧・のほほんヨガ雑記