日経 春秋(7/26)

 うーむ、これは微妙。

 ハイファイはhigh fidelityの略で高忠実度と訳す。イヌのニッパーが蓄音機に耳を傾ける、日本ビクターのマークは「録音なのに、亡きマスター(飼い主)が話していると忠犬が思いこむほどの高忠実度を実現した『最高の技術と品質』」を象徴するそうだ。

 詳細を調べて書くのがめんどくさいが、こういうのは教養のうちだろうか、雑学になるのだろうか、常識か?
 つまりこれだが。

 これ⇒HMV.co.uk: Music CDs, DVDs, Games & More
 とか言いつつちとぐぐったら。
 ⇒イギリスは不思議の国! * ビクターの犬?!

日経社説 改革が決めた百貨店逆転劇

 伊勢丹の収益源は店舗別売上高で全国首位に立つ東京・新宿の本店にある。各階の面積が広く、正方形に近い理想的な売り場に加え、JR中央線沿線に住む、比較的高収入で、流行に敏感な消費者に対応した品ぞろえにも定評がある。

 「JR中央線沿線に住む」あたりはそうかなと思うが比較としてはそうかもしれない。
 以前伊勢丹の人と話したことがあるが、なかなかすごいビジネスだと思った。傍から見ているとふーんという感じだが。私の印象としてはブランド物と、日常の食生活や衣類などのクオリティの向上にまだまだ大きなギャップを感じる。こう言ってはなんだが、適当なレベルのブランド品なんかどうでもいいから、生活の質を上げる商品が必要だと思う。というか、そのあたり日本って貧乏臭い国だなという感じがする。それがいい面はあるにせよ、というかブランド品とか一品もっていたら恥ずかしいだろと思わないというのは、それはそれでいいことなのかもしれないが。
 ロハスというのも私の感じとしては貧乏臭いなと思う。私のような貧乏人が言うこっちゃないが。

毎日社説 公務員改革 「公」とは何かの議論がない

 深刻なのは官であれ、民であれ、著しく公共心が低下している点にある。この「公の再構築」こそ、小泉政権後の日本の指針を考える今回の参院選の大きなテーマの一つだったのではなかろうか。

 公共心というのと国家の制度としての公は別の問題。精神論が駄目だっていうのはあの敗戦でお腹いっぱい。

毎日社説 原発震災 リスク判定に情報徹底公開を

 原発に「絶対安全」はなく、新しい耐震指針も想定外の地震による重大事故の可能性を認めている。そうしたリスクがどの程度なら許容できるかを最終的に決めるのは国民だ。そのためにも、電力会社や国は原発の耐震性について徹底した情報公開を行うべきだ。

 その前に識者のきちんとした議論と識者の意見表明。というか、海外の主要な専門家を招いてドハデな会議でもやれ。

読売社説 原発と地震 原子炉の安全は確保されている

 大々的に「放射能漏れ」と煽(あお)り立てるほど、ひどい漏れが起きているのだろうか。

 もう少し冷静になってはどうか。

 いやまったく。

 「漏れた」とされる放射性物質はごく微量だ。政府と発電所が定めた排出基準の10億分の1から1000万分の1程度でしかない。経路や物質の種類から見て、原子炉本体からの漏れの可能性は極めて低い。無論、環境への影響はない。
 大気への放出は排気スイッチの切り忘れが原因で、今は止まっている。地震による機械的な損傷と言うより、人為的ミスだった。
 原子力安全委員会は19日に、鈴木篤之委員長の所感を公表している。
 最大のポイントは、緊急時に原子炉で最も重要とされる「止める」「閉じこめる」「冷やす」、という三つの機能が正常に働いて、今も安全性は確保されている、ということだ。
 原子力施設の耐震設計と建設、さらにその考え方を定めている政府の指針は基本的に有効だった、と言える。

 なんだか偽科学・似非科学と同じレベルの馬鹿騒ぎにしか思えない。
 しかし、海外が騒いだのはチェルノブイリやスリーマイルの連想があるのだろうなと思った。時間が経てば、日本ってすごいじゃんということになるのか、たいした事件でもないのだから忘れ去れるか。

朝日社説 原発の損傷―調査に時間を惜しむな

 大筋で異論はないというか大筋で異論だらけというか。

 新潟県中越沖地震の直撃を受けた東京電力柏崎刈羽原子力発電所で、6号機の原子炉建屋の天井クレーンに破損が見つかった。
 6号機は定期点検中だったが、運転中なら核反応が進む炉の真上でトラブルが起こったことになる。そう考えると、改めてぞっとした。

 だからその運転が正常に止まったんだよ。昨日のニューズウィークの記事を読んだが、なんとかニューズウィークも海外メディアのように煽りたいが、世界の識者たちは、むしろ日本の原発の安全性に驚いているふうでもあるというか、チェルノブイリとはもう構造が違う。もちろん、安全性は可能な限り追求しなければいけない。ただ、識者の見解を待ってもいいのではないか。

朝日社説 年金の制度―今のままか

 なんかここまで来るとご冗談でしょ、あははという感じがする。参院選がどうなっても年金問題はつめていけばいい。民主党に理があるというなら、国政選挙如何に関わらず国民に説得していけばいい。問題は、多分に机上の空論だということだ。だめな空論なのかなんとかなるのか。私はなんともよくわからない。そういえば、年金が貰えない騒ぎだがIchのニュースで見たら件数が実に少ない。こんなの国民全体で祭りをするようなことだったのだのだろうか。もちろん、潜在的にはもっと多いのはわかるがそれにしても初っぱなこれではなと思った。

晴天

 近畿地方では梅雨が明けたというのだから、東海・関東はどうなのだろうかと天気図を見るに、なるほど微妙。
 昨日の水泳はなんだか妙に息が上がらなかった。今朝方の身体の疲労感は普通。このところ寝る前にビールを一缶だけ飲む。寝付きがいい。
 宙ぶらりん状態が続くが、特に悩みむこともないというか暑さのせいもあってぼんやりする。夜の散歩はまだ涼しく夏という実感はない。
 夏夜の人混みのなかの人の姿を見ると、若いというのはいいなと思う。昔より美男美女が増えたかとも思う反面、身のこなしや腰のわるそうな若い人も多い。肥満も目立つし、あと20代から30代の痩せた女性が目立つ。20代の内はいいが30代で痩せているのは荒れた食生活(本人はダイエットのつもりだろうが)がありそうな感じがする。
 蝉の声がする。ミンミンゼミだ。

まったく、そ

 ⇒「突っ込みどころ満載だな」なんて言わずに素直に突っ込めばいいのに。 真性引き篭もり/entry

「突っ込みどころ満載だな。」
   「突っ込んでみてくれませんか?」
「とりあえずまず誤字な。あと、単語の意味間違って使ってる。」
   「誤字とかじゃなくて、内容の方で。」
「そんなに俺は暇じゃない。」

 ちなみに、私の場合誤字とか表記とかご指摘いただければ直します。

増田のこれに釣られると

 増田⇒嫁さんを選ぶなら

 服装で倹約力があるかどうかは簡単に判断できる。
 ニッセンとかユニクロのありがちな服を着こなしてる子の方が、ブランドモノだとかヒラヒラだとかで着飾ってる奴より遙かに堅実で印象も良い。一番危険なのはそれをだらしなく着こなしてるような奴だが。
 何が言いたいかというと、堅実でない奥様の勘違いブルジョワごっこに人生通して付き合うつもりはない男性諸君は
 そこら辺はちゃんと見定めないといけないってこと。年収が年代平均程度しかない男がそんな女と運悪く絡んでしまったら泣きを見るだろう。

 ええと。
 私は爺とかオヤジとか言われますが、こういうことは書かないですね。あるいはこういうふうに書くのが若いってことか?
 ちなみに純正オヤジふうに言うと……とか言ってまたやめちゃう(毎度ぉ!)。

それって世間でよくあることだが、増田

 増田⇒地味にドカン

 昔勤めていた会社が倒産してた。
 同族会社だし、倒産情報にのってないようなので、売れるものを売って倒産する前に解散したようです。
 なんだろう。この感じ。

 世間というのはそんな感じの連続というか、それに慣れていくことだが。
 が、というのは、こういう世間をまるで知らずに、というか、知らずに生きることはできないけど、渦中の人にならず、下界を見るように生きている人達も五万といる。五万くらいか。
 その内半分くらいはしっぺ返し的に、ふふふ、人生に辛酸有り、美味端麗に在り、みたいになる。
 あと半分くらいはそのまま楽に人生を優雅に終える。
 いやはやうらやましい。

おっと増田が言いこと言ったぁ

 増田⇒匿名実名論争で。

 記事にコメントつけれなくても結局ははてブとかでブクマコメントされたりするからなぁ。メタコメントできるwebサービスとかもあるし。
 ってことでblog4.0考えたよ!
 パーマリンク(Permalink)を無くしちゃおう!

 それってありだなとか思う、feecle使っていて。
 (まあ、厳密にはそうでないせよ。)

これね、問題意識はよくわかる

 おなじみ、スポンタさん。
 ⇒スポンタ通信2.2: アルゴの時代58:デジタルジャーナリズム研究会は、カルト汚染と果たして無縁だったのだろうか…。彼らが議論の前に行なうべきだったこと。
 ただ、私がいうと誤解の嵐になるし、実は、粗方極東ブログで言っている。それで通じた人には通じたし、通じない人には通じない。そんなものかなと思う。

ほぉ

 ⇒栗先生が転職か?:[mi]みたいもん!

ブログが更新されないと、生死の心配をしてしまうブロガーのツートップが栗先生とネタフルのコグレさんです。

 30代前半?

cover
四十歳からでは遅すぎる―野心家のための方法論: 邱 永漢
 ちなみに同書より、一言を引用。
 「一に財テク、二に健康、三に食べ物、四に旅行」

ブログとかやっていていろいろ語ったけど

 語っていないこともあるし、語れないこともある。
 もうちょっというと、語ることを抑えることもある。
 もっと自分が若かったら、自分の身体が嵐の中を疾走することができたら、そうだったらもっと語れたかもしれない。でも、そうではなかった。
 いろいろなものが壊れてしまった。自分の弱さに神をも呪った、パウロのように。そしてパウロのようにその恵みも得た。
 生きていたということは死を免れたということだ。済んでしまった人生の過去の部分はもう終わってしまった。今だけが全てで、無となった過去の幸不幸を考えることもないだろう。
 幸せであることと神の恵みは似ているが、その部分は、幸せとか神とかいう言葉で通じる部分ではない。
 なんだかポエムだな。
 「エリヤよ、ここで何をしているのか。」

変な人としての私

 高校生のとき、その学年で三大変人というのがあって、ノミネートされていた。一人は見るからに変(ほとんどヤクザ)、もう一人は毎日が演劇舞台(実際高卒で演劇に進んだらしい)、そして私。え? 僕? どこが変? とかきくと、いやそう言われるとどこが変ということはないんだよねとか言われた。
 この手のパターンはその後の人生も繰り返された。要素的に見るとどこも変ではなさそうだし、リザルトもまた。
 まあ、その内、そんなことどうでもいいやと思うようになったし、まあ、そういうふうに見られるものなんだろうと自覚しつつ、世の中に合わせてきた。
 ただ、こっそりと、私だけが変じゃないんじゃないだろうか仮説も未だに捨てないでいる。私が賢いとか思わない。私より賢い人はたんといる。私より愛情深い人もいっぱいる。でも、なんというか、もしかしたら、私はとてもフツーな人なんじゃないかと、こっそり、0.5%くらい思っている。まあ、その程度。