食肉偽装事件のその後で

 ⇒ミート社以外からのひき肉に偽装なし・日生協が調査まとめ : NIKKEI NET(日経ネット):社会ニュース−内外の事件・事故や社会問題から話題のニュースまで

日生協によると、遺伝子検査や工場点検で、商品のいずれも仕様書通りの原料が使われていることが確認できたという。

 それが確かならあのバカ騒ぎはなんだったのだろうと。姉歯問題も、これについても陰謀論とか混乱した議論を展開する人が多いが、当の問題としてみれば、やはり姉歯という特殊な人の問題だった。
 一般論としては、ミートホープにしても姉歯にしても、そんなやつありえないというのが規制からするっと抜けていて、おやびっくりということだった。話を端折るが、そういうのが普通は業界規制や商慣例で出てこないはずだった。どちらも出てきたのはコストとプロセスのインチキからだった。
 だが、バカ騒ぎは起きた。そしてこの問題を冷ややかみると、警笛というメリットはあるかもしれないが、風評被害に似たような被害を受けた人を出した。ミートホープの雇用者は困窮しただろうし、ヒューザを買った住人は屋上にあって降りる梯子がない状態。こんなことを言うと私がバッシングされるかもしれないが、ミートホープは社長の首を切り改革し雇用を維持すべきだったし、小嶋には一生償わせるべき事業に取り組ませるべきだった。(ヒューザーの物件がすべて耐震偽装だったわけではなく、ようするにこのビジネスモデルを業界が潰したということ。)

産経社説 【主張】元長官詐欺事件 総連の闇も徹底解明せよ

 またこれかと読むに、まあ、悪くない社説だった。

 検察の描く構図が詐欺事件に変わったとはいえ、仮装売買の疑惑が消えたわけではない。この取引で総連が果たした役割もきちんと解明すべきだ。
 朝鮮総連北朝鮮の統一戦線部に直結する組織として、さまざまな工作活動を行ってきた。原敕晁(ただあき)さん拉致事件には、総連傘下の在日本朝鮮大阪府商工会幹部らが関与し、昭和48年に失踪(しっそう)した主婦の2児が拉致された事件は、総連幹部が設立した都内の貿易会社が舞台になっていた。
 朝銀信用組合の破綻(はたん)の原因となった不正融資事件で、総連中央本部の元財政局長が警視庁に逮捕されたが、朝銀から総連に還流した巨額のカネが、どれだけ北に流れ、何に使われたかなど詳細は不明だ。
 国民が本当に知りたいのは、こうした疑惑だ。検察、警察当局は、朝鮮総連の“闇”に迫ってもらいたい。

 もうちょっと思うことはあるにはある。ある意味で参院選の争点というものがあるとすればこれなんだろうとすら思う。
 大衆を信じるということは政治的な立場において欺瞞となりやすい。吉本の「大衆の原象」というのはむしろ政治を捨象した人々の在り方だった。これはある意味で物理学的な発想であって現実的ではなく、現実の社会は権力の構造として考慮されなくてはならない。
 おそらくマスメディアは権力として機能している。ただ、これは一部の人がいうように自民党とか安倍政権が操作しているというほどのものでもないし、左翼が出版界を牛耳っているとかそういうものでもない。これは基本的にマーケット従属なのであり、マーケットの構造が変わりつつある現在、その限界は見えつつある。
 が、にも関わらず、私は、日本の大衆の直感というものをもう少し評価したい感じはする。

毎日社説 EU新条約 憲法が死に欧州合衆国遠のく

 あれ、これでよかったのか。

 ブリュッセルで6月、開かれた首脳会議は全加盟国の批准を確保することを優先し、争点となる項目を憲法から次々に削った。
 合意文書をみると、連邦国家とみなしうる要素やシンボルを徹底的に追放したことがわかる。名称の「憲法」そのものを「改革条約」といいかえた。「外相」は「外交上級代表」と呼び、「共同体(コミュニティー)」は「連合」といいかえた。「法」も使わず、旧来の「指令」などを残した。「国旗」(青地に12の星)、「国歌」(ベートーベン「歓喜の歌」)も削除した。「多様性の中の統合」という「標語」も消えた。

 後半は正しいが、これはもとから「憲法」ではなかったのではないか。
 重要な問題は、経済と軍事だった。前者は通過と労働者、それと対中国問題か。軍事についてはEU軍は立ち消えたように見える。というか、アフガンでNATOが問われている。あまり日本で報道を聞かない。

読売社説 農業 市場開放に備え体質強化を競え

 読売はまるでわかっていない。農政の問題は複雑なことはどの国を見てもわかる。WTOが直接補償を認めているのはそうした経緯が出てきている。というか、どう転んでもそうなるしかない。

朝日社説 耐震補強―命を守る決め手だ

 これを読んだとき随分納得したものだった。
 これ⇒「 コウアン先生の人を殺さない住宅―阪神大震災「169勝1敗」の棟梁に学べ: 本: 中村 幸安」
 しかし、現実問題としてもうそういう棟梁はいない。
 散人先生のご指摘ではないが、むしろ2×4住宅などの検証してより近代的な家屋を、コミュニティ作りに併せて形成すべきなのだろうが、たぶん、そうはならない。朝日のこの社説もそうしたことは念頭にもない。
 ある種の呪縛のような空気を感じるが、しかたないのだろう。

雨音で目が覚めた

 雨が降っているわけはないがと思ったが雨だった。しばらくして止んだ。通り雨だった。
 夢を見た。私が京都の旅館の女将の旦那というような設定らしい。正式な婚姻はしてないようでもある。肝心の女将はしかし夢に出てこない。私は使用人たちの間でぼうっとしていると、私の昔の恋人とおぼしき若い女性が泊まりに来る。その女性のことが私はわからないのだが、彼女は若い。随分歳取ったわねとか言われる。なんだろうこの女とか思う。あとは夢の仔細は忘れた。
 そろそろ梅雨が終わる季節だろうか。夏が好きだったのだが、今は暑さが苦手になりつつある。

はてなスター祭というか

 はてなスター祭も終わったのかよくわからないが(そもそも祭を企図していたようでもあるし)、ブログの世界への提起はあっただろう。一つにはネガコメ問題だ。もうこんな問題、どうでもいいやという感じはしているが、ちょっと思ったことをメモ的に。
 これをいうとまた嫌われるだろうが、基本的にブログはやはりPVとの相関がある、としかいえないだろうと思う。私個人としては、PVどうでもいいやという感じはあるし、そのことについては云々。だが、結果としてPVの影響は受けるし、そのインタラクションがエントリに陰影をもたらす。地雷踏むなら後始末もなとなると踏むのは愚かすぎる、というとき、後始末とはPVのことだ。日数百PVのブログなら放言していればいいし、まさにネガコメ旅団のように自分のブログはもたず隠れてネガコメ打ちまくっていればいいのだが、PVがある水準になるとなかなかそうもいかない。で、炎上についてはこれまでもいろいろ言われてきたが、炎上が起きるのは、やはりある程度のPVのあるところで、しかもある程度この問題構図に鈍感なところだ。鈍感というのは、PVについてのある感触を持っていないのだろう。このあたりの微妙な感覚というのはブログ運営で難しいところで、ブロガー側としては総体や意図で読んで貰いたいが、読み手は断片的にしか読まない。極端な例では気まぐれな校正しかしない。というのは、ようするにブログは商品ではないとことに尽きる。
 個別例を出すとまた誤解されるので一般論だが、これって炎上ネタだよなというのにずんずん進める、けっこう鉄壁なブロガーが増えた気がする。まあ、ネガコメなんか無視無視蹴散らしでいいのだろうというのもあるだろうし、ましてリアル充系と豪語する人にとってネットは幻想ですらしかない。私はというと、そのあたり、主観的に蹴散らすモードにはならない。
 でと、いわゆるネガコメというかネガ問題だが、実際には、PVの低いブログで、なんというのか、ローカルに多発している。話を端折るがミクシィが切れないというのと似たような心性に関連している。
 選挙でもそうだが、ある意味で、世の中普通に暮らしてたらこんな変な人と遭遇することは稀だなというのがぽこぽこと出てくるというか、政治家の発言を聞いているとその大半がなんかネジはずれている。それが政治家の適性というのかもしれない。
 同じようにネットの世界もどうも、それって普通はいないだろみたいな人が目につくシステムかもしれない。というところで、お前が変だろとか言われそうだし、多少の自覚はあるのと、私って普通の凡人だがなとも思うのでそう変人だとか買いかぶらなくてもいいよとも思う。
 ま、この問題は意外と難しい問題がまだまだ潜んでいるように思うし、そこがブログの面白さでもあるのだろう、が、がというのは、基本的に、まいどのことながら、こうしたコミュニケーションはやはりフレームワーク誘導的ではあると思う。ネガコメ連発しているやつ、お前変だろみたいのがシステム側からある程度リフレクトされるべきだし、その意味ではてなスターは問題提起でもあったが、この方向でよかったのかというとわからない。ただ、私がウメっちの立場ならやってごらんと言うしかないだろうな。

将来に希望がないというより

 個性化の問題かな、と、最初に結論を書くと、突飛だな。
 希望格差社会みたいにも言われるが。
 希望というのは、個性化の問題でもあり、つまり、個性化というのが、どうもうまく扱えないということかな、と。
 学問の世界でいうと、学問というのは原則としてユニヴァーサルなんで、どれだけでも学びたいというならネットでかなりのことができる。最後のつめは、お師匠さんとこに駆け散じてイスラエルでもスペインでも行くとすればいい。そういう意味ではけっこうなんでもできるのだけど、なんか希望ってないよねということになる。学問以外でも、まあ、けっこう道は開けている。なのに希望ってないよね、ということだが。
 それって、「僕らの希望」「私たちの希望」ってことで、つまり対象化された希望だし、そのあたりは小削りにしてメディアがくれたりくれなかったりする。
 でも、基本的に「私の希望」というのは、「僕らの希望」「私たちの希望」とは違うわけですよ。
 「ああ、これで社会放り出されてもいいや」って思えるくらいのことがないと希望なんてないですよとか、ハードルを上げるわけじゃないけど、所詮人は一人で死ぬわけで、その死をどのくらいするか、と、もちろん、曖昧にしてもいいのだけど。
 先の学問の例でいうと、希望がないんじゃなくて、能力がないってことだし、能力っていうのはたいていは家柄の問題ですよ。それ自体が格差じゃんとか言われそうだけど、現実はそうなんだもの。もちろん、例外はあるし、まさに例外こそ希望じゃんというのはあるわけで、どうぞ、進め!だけど。
 モテとか非モテとかも、女性とか男性とかいう平均値というか類的なものにモテたりしてもそれはむしろお商売というもので、性の問題ではないのだけど、なんだかな。
 というところで床屋談義に流れていくのだけど。
 食い物とか、基本的に、食えればいいというのはあるし、調理とか料理とか、普通の人はそんな手間なんかあるわけない。で、じゃ、どうかというとレディメードにするしかないわけで、標準化は進む。いい悪いじゃなくてそうもんというか。
 話がだらけすぎだけど、個性化というのは、孤独ということもあるし、孤独に居直ったり寂しくなったりということだから、ブレというのは必然的にあるし、ブレない人ってなんか目がいっていたりとかあるし。
 ああ、で、メタ結論をいうと、希望というのは、身体が普通に生きて死んでいくことですよ。この普通というのが希望と同じですよ。それに才能とかある人はそれなりにチャンスがあれば社会に反映してみるといいと思うけど、そんだけのことかな。そんだけというのは、身体基礎が大きいように思える。アニメはキチガイでなければやっていけないというなら、見る側でいいじゃん。

古いはてなと新しいはてな

 といっても4年足らずだけど。
 私ははてなにそんなにアーリーなほうではなかったかと思う。最初、はてなQにいて、それから、回答者ってうざったいかもと思い、Dに移行というかブログに使ってみた。そしてブログはココログに移転。
 で、それでもそれなりにアーリーなユーザーだったし、アーリーコミュニティにいたので、そのあたりのメンツ感というのはある。別にコミュニケーションしていたというわけではないが。
 で、私のD開始から1年くらいが、現状ではアーリーなユーザーのコアだろうか。今リファラをみていると、アンテナが多い。RSSは少ない。もちろん、このリファラってそんなものしか拾ってないからでもあるが。
 で、アンテナねぇ?とか思う。いい悪いではなく、なにかこれってRSSより優れた面があるのでしょう。あるいは、意外と人っていうのは保守的か。
 RSSについてもいろいろ思うし、私も使っているけど、どうもなんか違うな感はある。RSSで全部よめるようにしてというのがあるかもしれないけど、それもちょっとうまく馴染めない。別にアフィリとかの問題でもないし。また、このデザインがいいとかいうわけでもない(というか嫌いな人も多いでしょう。ちなみにこの配色は私の目の都合)。
 新しいはてなはぶくま志向な感じはする。というか、ぶくまからはてなの相貌は変わったな感あるし、気をつけないとそういう面でしか見なくなる。実際は先のアンテナのようにそうでもない。
 と、話がそれるが。
 かくたらたらと書いているが、日記を書きたいねというのはある。ただ、身辺雑記というのではなく。それって日本人は日記がとかメタな議論もあるだろうが、ただ、書いてみるというが先に立つ。そのあたりは、古いはてなの層が維持しているし、率直にいって、日記ふうにたらたら書いている人のほうが、なんというか、まともな感じはする。非難ではないけど、ネタ中心で書くというのはけっこう抵抗ある。とかいって、私もネタを書くけど。

便利なのに普及してないものか

 セブンミールとかもあるけど全体として古くて田舎っぽい話題な感じがした。古いのほうは三年前だからか。田舎っぽいのは寒い時期なんで都市型暖房ではないせいかな。
 ⇒【2ch】ニュー速クオリティ:すごく便利なのにいまいち普及してないもの
 ⇒はてなブックマーク - 【2ch】ニュー速クオリティ:すごく便利なのにいまいち普及してないもの
 で、便利なものをご紹介じゃなくて。
 少し不便なものがいいと思いますよ。
 パスタマシンとかミンサーとかベーカリーマシンとか。面倒臭いといえばそうだけど、すごく難しいわけではないし。
 ああ、便利のほうだけど。
 ラジオかな。映像の情報がとても邪魔。
 ああ、せっかくなので一つお勧め。
 便利なのに普及してないものといえば。
 アフィリ無しで⇒【楽天市場】マーナ ペンギンスクレイパー:食喜屋
 同じく⇒マーナ ペンギンスクレーパー/こだわりやさん.com
 洗い物以外に盛りつけとかにも使えるし。これでこの値段というのはちょっと高いけど、便利ですよ。

これはなあ

 ⇒asahi.com:「仕事ない。子どもも産めない」夫がメール残す 大阪一家心中 - 社会
 ちょっとわかりづらい。が、3人殺しているようだ。
 ⇒NHK関西のニュース

きのう、大阪・東淀川区のマンションで夫婦と幼児2人の一家4人が無理心中を図って死亡した事件で、父親の携帯電話のメールには「もう食べていけない。3人目の子どもも産めない」と遺書のような内容が残されていたことがわかりました。

この事件は、きのう、大阪・東淀川区下新庄のマンションに住む自営業の弘田信行さん(34)の部屋で、弘田さんの妻の和恵さん(34)と長男の空良くん(5)それに長女の七海ちゃん(2)の3人が遺体で見つかったもので、弘田さんもマンションの9階の廊下から飛び降りて自殺を図ったと見られています。

 ⇒無理心中?:一家4人死亡、生活苦か 大阪−今日の話題:MSN毎日インタラクティブ

母子3人は6畳間の布団の上であおむけに並び、腹の上で両手を組んだ状態で見つかった。3人とも首に絞められた跡があった。遺体の状況から同日正午前後に殺害されたとみられる。和恵さんは妊娠していた。

 まだ真相がわかったわけではないが、第一印象は、子供殺すなよ。

増田のこれね

 増田⇒沖縄県人のメンタリティ
 私もうちなーんちゅではないんだけど、8年いたので。

沖縄県在住のアーティストがテレビ番組に出演していると
決まって「東京は人が多い」「早く沖縄に帰りたい」などという。

 これは沖縄にべたに2年住んで東京に戻るとうちなーんちゅでなくてもそう感じる。あとうちなーんちゅは基本的に人が多く流れるということに慣れていない。なので地下鉄が恐い。あと、けっこうすなおというのかモノを言う。キロロとか、東京どうですか?と聞かれて、蟻がでかい、とか答えていた。まるで空気読んでいない。あと、きれいなお姉さんが、ちょっとシッコしてくるとか言う。これはたぶん文化様式。

沖縄県に観光にいくとひめゆりの塔などで軽い日本批判をする
現地在住のガイドに出くわす。3回いって2回そうだった。

 これはそうべたに教育されていてそれ以外の言葉を教わっていない。あと内情はなかなかめんどくさいものがある。というかかなりめんどくさいものがあり、知的なうちなーんちゅは実は屈曲している(それほど左翼的ではない、各種詳細を知っている人もいるし)。

琉球王国を日本に侵略されたという恨みからきてるものかしらと思ったら
似たような経緯で日本につっかかってきている隣国の方々を連想した。

 これはただの誤解、だが説明は難しい。琉球王国時代の庶民は日本の室町時代の庶民とほぼ同じ生活感覚を持っていたようだ。王国というのは実は貿易の商社であれは看板というか、見せかけ。
 まあ、なんというのか、フランスとベルギーが別の国という西欧の感覚からすれば沖縄は別の国でもいいのだけど、まあいろいろある。台湾もけっこういろいろある。台湾と沖縄でもいろいろある。日本と近隣国はナショナリズム幻想とかいう面もあれば、滑らかな広がりという面もある。ここで一発れいのお兄さんに皮肉を言いたいところだが、やめとく、というか、どうでもいいよ。

日記の書き方だけど

 自然に微妙に変化している。
 ほのめかしとか揶揄されるし、それに対してほのかに※※とかほのめかしたり、してないってばさ。まあ、適当に最適化して書いているのであって、あまり読み手のことは考えていないとはいっても略。
 で、と。
 比較的最近自分なりに書き方が変わったかなと思うのは、これでも基本的に罵倒みたいな表現はやめようかと意識している。これは単純に、「おまえバカだろ」とかいっても効果的じゃないし(バカに向かってバカって言うなぁじゃなくて)なんか無駄なリアクションを軽減したいという感じがしている。
 もう一つは、けっこう携帯を意識するようになった。携帯で読みやすいかどうかはわからないが、AAとセリフは基本的にやめた。
 あと、アフィリもなんとなく控えている。書影がでかいとじゃまくさい。というわけで、書影のツールを小画像に変更。というわけで、これでアフィリ、と。
 テスト。

cover
平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学: M.スコット ペック,M.Scott Peck,森 英明