日経社説 留保を要するバーナンキ証言

 妥当な見解かな。

 そのうえで、バーナンキ議長は国債に対する社債金利上乗せ幅が依然低水準であることなどを挙げ、金融市場全体は問題を消化しつつあるとの認識を示した。バブル崩壊後の日本では銀行に不良債権が集ったのに対し、米国では証券化を通じてリスクが1カ所に集中していない。

 日本の場合は銀行それ自体にいろいろあったしね。

 日本のバブル崩壊でも問題は数年かけ次第に顕在化した。米国の住宅市場も山が高かった分、調整に痛みは避けられない。油断は禁物だ。

 そんなところでしょうかね、現状。もうちょっと暗い事態になりそうな予感はあるけど。

ログイン、曇天

 少し寝過ごす。あたりが休日のように静かだと思ったら休日? 土曜日だよな、と考え込んでもしかして学生の夏休みってやつか。反射的にいいなとか思うが、セカンドソートでそういいもんでもないかとも思う。いずれにせよ学生が街に溢れてうざい季節になったかとか、いや失礼。
 少し腰に来たかと思うがこれはどうも水泳の疲れじゃなくて椅子疲れの類かなと思いだし、そういえばふとんをかけないで寝ていて冷えたのかもしれない。
 世事に疎くなるというよりなんか世間ボケ初めている自分がいるような気がする。あるいは過去が本当に遠くなるなあという感じがする。
 先日、鬱でもそれって普通の人生とか書いたが、思い悩みというのと鬱は違い、後者はかなりメディケアの領域だ。厳密にはいろいろあるだろうし、内的には思うことはあるが、自分の内面と他者のそれ、あるいは社会の対応は異なる。で、思い悩みのほうは、なんとなくだが、鬱というのも一種の自己催眠というかあるいは疲労に近いような気もする。何かを忘却している感がある。あるいは鬱というのは想起の努力に疲れてしまっているのだろうか。私はどっちかというと鬱だけではなく躁鬱というか躁状態的なこともありそうしたときはもろに何かを忘れている。死やそれに類することを忘れているのだろうか。
 話は変わる、昨日だったか若い女性がおセックスにかける時間のグラフみたいなものを見て、これか、時間はどのくらい? 体位は何を試してる?――満足度100点セックスの秘訣−WOMAN白書:日経WOMAN、うわぁすげーとか思った。よく若い子(♂)が保つもんだわと、と見直すと実質小一時間というころか。いやよく見ると入れて30分というころか。うーむ、どうも朝から考えるこっちゃないな。

書いていてしみじみオヤジ臭い

 と自分でも思っている。というか、どうも無意識と意識の狭間でオヤジ文体を書いているような気がする。いや別に俺の心はホントは若いんだよとか言う気はさらさらないが、私の普通の口調というかもうちょっと若いような気はする。いや稚拙というべきかな。
 まあ、なんかfinalventがべとっと自分に貼り付いているような感じと、いや逆にこの側が自分を相応の年齢というかにアジャストしているんじゃないかという感じもする。
 feecleのどっかで、中年の人手を挙げて祭りがあって、盛り上がっていた。中年といっても、たぶん35過ぎくらいではないかな。自分もあのころ、ああおじさんになってもうたと思ったし、40越えたらもうオワタとか思った。という感じでいうと38±3くらいがあの中年か。その層がfeecleにいるのかと思ったが、まだ存外に携帯アクセスが弱いように思える。そのあたりもっと若い層の取り込みになにかシステム的な一工夫が足りないのかもしれない。(Twitterでもそうだけど、手短になにかメッセージ性を発信してしまうとおろにオヤジ・オバサン臭さが出てくる。)
 はてなの層は、33±3くらいがぶいぶいと可視になっていて、私からあまり見えないところに21±3くらいの小山があるような感じがする。これはなかなか見えづらい。増田にはいなさげ。言葉が書き言葉になっていないか、あるいは人工的な書き言葉になっている。そのあたりの言葉遣いというのは私にはもうわからない。まれに若い人のメールを見てもまるでだめだわこりゃわかんねと思う反面と、まあ、率直にいうとそのくらいの歳はけっして子供ではなくけっこう大人の嫌な面をこなしている小ずるさがある。その小ずるさからするとオヤジなんてばーかだろうし、薄汚いものだろうと思う。自分もそう思っていたし。
 あと、33±3くらいで女性の層がありそうな気がする。というか、そこがかなり生活面での知的な部分なんだろうがナイーブで表面には出てこない。というか、べたに育児とか結婚、恋愛の微妙な位置にいて表出する言葉との関わりが難しいのだろう。
 そうだな、47±3というまさに私の世代もブログに入りつつある。ただ、この層は今後取りあえず増えそうな全共闘世代のぶいぶいに引く側だな。ただ、47±3といってもこのくらいの歳になると世代論的な要素より、自己形成的な要素が強く、ある種の成功者とか成功体験者は、つまりその成功の端緒は10年くらい前なので、そのあたりでボケている。実社会的にはそれなりかもしれないが、時間の感覚はボケているというか、ぶいぶい言い出すあたりがボケなのだろうし、いわゆるリアル対ネットみたいな議論もそうしたぶいぶいに向いている。単純な話、俺はリアルでなんたらがネットに露出してしまう。引くなあ。
 私などはてなでは爺扱いだが、意外とこれからのぶつかりはそういう年長のボケ世代かもしれないと少し思う。話通じないんだよな、あの人々。

無体さんをつんつん

 ⇒はてなブックマーク - 新美南吉 ごん狐

2007年07月21日 nobody たぶん読んじゃったら泣けてしかたないので今は読まない. ブックマークしながらもう泣きそうになってる.

 ひろすけ「泣いた赤鬼」ともご一緒に。

まそれとは違うが

 それ⇒404 Blog Not Found:責任は現金払いじゃないよ
 ぜんぜん違うかもだが。
 ある年代、30半ばくらいかな、もっと学生んとき勉強していたらとか思うもの。ま、それはそう。
 で、45くらいかな、厄年を越えたころ、以前に書いたけど、日本の古典が素で読めるようになってきて(たいしたことはないにせよ)、読んで面白い。
 何が言いたいかというと、若いときの無駄な勉強みたいのが、後年生きていると、人生死ぬまでの暇つぶしに役立つことがある。
 生きている味わいというか。
 西洋の言葉では solace というのか。
 べたに言うと、酒を飲むか、狂うか(博打・女・乗り物)、急速にあるいは緩慢に、非知的に solace と引き換えに自滅していくしかない、というのが、たぶん、男というものだろうと思う。
 つまり、知的に、とかいうとバカみたいだが、知性がええ塩梅に腐りだして solace 感を持つというのは、緩慢に自滅を回避する。つまり、のんびり生きているということでもあるのだろう。
 仕事に向く人と向かない人がいる。
 仕事に向いても挫折して再起不能になる人もいる。
 仕事に向いて無くてもそれなりに孤独にこなしていく人もいる。
 それ相応に solace はあるべし。