日経社説 さらなる人民元改革が必要だ
まあ、そうかな。この手の議論をどうも避けがちなるが。
毎日社説 労働者格差 非正規の待遇改善策を競え
正社員と非正社員の格差をなくすには、同じ労働内容なら時間当たりの賃金を同じにする均等待遇の実現が必要だろう。
先ず隗より始めよ、ということろだが、意外に公務というのはバイトが多い。まあ、ごにょごにょと。
⇒極東ブログ: パートタイマーの労働組合
読売社説 憲法 なぜ国の将来像を論じないのか
どうでもいいんだけど、読売新聞って憲法になるとなんかオクターブ上がるのはどうにかなんないのだろうか。
朝日社説 中越沖地震―お年寄りを支えていこう
いいな、この社説。
年配の人たちは、すばやく逃げることが難しい。加えて木造の古い家に住むことが多い。揺れに弱いとわかっていても、建て替えや補修に金をかけることは、お年寄りにとっては大変だ。危なくても住み慣れた家への愛着もある。
まあ、そういう面もあるのでしょ。
っていうか、この手の正論は美しくてよいな。
朝日社説 村上被告有罪―断罪されたウソ言う株主
まあ、水に落ちた犬は叩け叩け叩け、と。地裁レベルだが高裁でもダメだろう。
それがどこまでは許され、どこからはインサイダー取引になるのか。今回の事件は、いわば村上被告による自作自演の特殊なケースだが、控訴審ではさらに踏み込んで、一般的なルールの線引きを示してもらいたい。
表題はアレだが結語のこのあたりに朝日としての思い入れはあるのだろう。
村上ファンドについてはどうもこれ臭い感じはするし、そういえば朝日にも若干。
これ⇒極東ブログ: 米国がなぜか今時分ヘッジファンド規制に頑張っているのに
薄曇り、暑くなりそうだが予報では曇り
ぼんやりというわけでもないし心が鈍くなったという感じではないが、なにかつきものが落ちたとまでもないにせよ、先日来のキーンな感じは抜けている。いくつかの無意識的な悩みが自然にソルブしているのだろうか。夢の少年の赤いチャート岩がきっかけのような気もする。不思議だ。
昨日の泳ぎはそれほど疲労感に残っていない。明日あたりに来るのかもしれないというか四十過ぎてまいったなと思うのは疲労が一日遅れてくるあたりだ。そういえば、多少脚力が戻ってきた。私は三十代半ばまで街中を走る人だった。今思うとスーツで地下道を走るってどうよと思うが。あるいは歩くときでもジョギング並の速さだった。一緒に仕事をしている人に呆れられた。特に階段は走って上らずにはいられない。これは今でも実はずっとそうなのだが、脚力の低下感はあった。
これは個人的な癖なんだろうと思うが子供のころから駅の階段を見るとき、頂点をまず見る。そこに重力中心のようなものを想定する。次に身体を流線型的にする、想像でだが。そして、重力中心に向けて加速する。言葉で書くと奇っ怪だが、これを瞬時に行うことによって自分の重力を減らすというか、上方に吸い込まれるように動く。頂点近くなると減速する。エレベーターみたいな感じか。
昨日帰路で和菓子屋によって菓子を少し買う。支払いのだんになってうかつにもカネがないのに気がつく。どうもnanano、suica生活の弊害か。そういえば自販機をあまり使わなくなった。小銭がめんどくさい。和菓子屋のおやじが後でいいですよとにこやかにいう。なんだか昭和の風情だな。後でカネ持っていくときもおやじがそんないいいですよみたいに言う。今思うと、忘れていてもよかったふうでもあるのだろう。
そういえば魚屋のおやじともちょいと話をする。先日のイサキはどうだったとか。魚屋は魚をよく知っている。とはいえそれはそれで商売人なので友達ノリではない。ある程度いい魚を買っていかないと魚屋はサポートされないというか。いい魚屋のある街は住みやすい。
昔、住む町なら、パン屋と豆腐屋とあとなんだったか3つの要素を大切にしていた。もう一つはなんだったか。輸入食材? 魚屋ではなかった。で、パン屋も豆腐屋も難しかった。パンはもうだめだと思い、そうそうに自作としたというか炊飯と製パンはそれほど変わらない。日本人は5キロ単位でコメを買うが私は強力粉も同じように買う。以前にも書いたが、貧乏は粉食だな。豆腐屋についてはブランド豆腐でなんとかなる。というか、いわゆる手作り豆腐屋がだめだなと思うことがあまりに多くて諦めた。そういえば、もう1つは蕎麦屋だったか。これも沖縄から戻ったらだめだった。
自分の生存区域でそれなりに旨いものが調達できればけっこう幸せというのはある。とかいう反面、ファミレスなどもよく使うようになった。コンビニは入り浸りだ。いつの間にか沖縄生活の生活感覚も薄れてくる。
そういえば、マコモを久しく食ってないな。焼いてマヨネーズ付けて……マコモは見かけないな。そういえば昨日冬瓜をたくさん見かけた。ソーキと煮るかとか思った。
私流ノートの取り方
2つある。
- あとで問題集にするためにその解答用(あるいはその資料)に作る
- (未公開)
いやちょっと出し惜しみで申し訳ない。が、1だけでも学生さんにはお勧めしたいが。というわけで、もうちょっと解説する。
まず、普通にノートを取る。あるいは、ノートの取り方のうまい人のノートを借りてくる。学生さんとかだとノートを借りるというのは授業さぼってということが多いと思うが、これはあれです、ノートの取り方がうまい人というのが世の中にはいる。だから、自分でも取っておきながら、そのノートも見せて貰う。ついでにいうと、なぜかノートの取り方のうまい人がそれほど成績が群をぬけてよいわけでもなく(悪いわけはぜんぜんない)独創性があるわけでもない。さらについでにいうと、けっこう普通な感じの女性に多い。で、この手の女性というのはいかにも普通に思える。でも、彼女たちはとても自制しているのでそのあたりの自制の内側というのはなかなか見えないがおっと話が逸れすぎ。
で、ノートを読み返す。つまり、読めるノートじゃないとダメなわけですよ。で、読めるノートなんて普通の人の技術じゃできません。ループっぽいので先に進むとしたいのだが、が、というのは、先生というのは、普通の先生というのはそれなりに普通なので、講義自体がノートでできていて、そのノートには元ネタがあったりする。この話は後で。
で、ノートから問題の解答集を作る。といっても、ふつうに要点だけさらっと書くだけいい。
で、次に問題集を作る。問題集の作り方だが、基本は穴埋め。例えば。
ブラッディー・マリー(正式名[ ])はイングランドと[ ]の女王。父は、[ ]世と母は[ ]。好みはカクテルで[ ]ベースにトマトジュースを用いた。
な感じ。最近の子は緑・赤下敷きを使うみたいだけど、このほうがいいと思う(主観)。ようするに問題オリエンティッドに知識を再編成する=お勉強だったりするわけですよ。
で、と。先生の講義の元ネタだけど、それがわかったら、というかけっこうべたに教科書だったりする。で、そのときは、講義を聴きながら、教科書に線を引いたり、書き込みをする。教科書に書き込む。教科書がちっこいときは、※1、※2みたいなポインタを付ける(その先はノートへ)。ほいで、ここから問題の解答集を作る。
なんだか、こりゃ、finalvent先生だな。まあ、以上の話で、でね、け、くだらねと思う人と、ほぉと思う人がまず、2つに分かれる。別に、け、くだらねでもよろしい、っていか、んなもの最初からそう。で、むしろ、ほぉと思う人で、やってみる人、やらない人に分かれる。重要なのはやってみること。やってみるとうまく行かないことがわかったり、自分なりにアレンジしたりというふうに行動が広がる。というか、学習パターンが変わる。実は、学習パターンを変えることがメタ学習で一番重要だったりするが、意外とそれなりにできる人もあるいは勉強苦手な人も、メタ学習に意識的ではなかったりする。
メタ学習の……とか、お喋りがとまらないので、おしまい。
おっと失念、ブログサバト
忘れていた。