日経春秋 春秋(8/26)

異質な星をほかにもいくつか呼び込んで、分類の矛盾を薄めようというのが、当初の惑星12個案。惑星科学の大スポンサーで冥王星の発見国、米国の顔も立つ……。配慮と思惑の政治決着というわけだが、この方式では惑星の数がすぐに5、60になってしまい、かえって混乱が広がる。

 今日の春秋はよく書けました。

日経社説 解明進み、変わる惑星像(8/26)

教科書の書き換えは大変だろうが、新たな知見で教科書が次々と書き換えられるのは見方によっては楽しい。科学技術が急速に進展しているのだから、これを契機に理科の教科書は天文以外の分野でももっと頻繁に書き換えたらいい。

 さしあたってダーウィニズムなどいかがか。

毎日社説 惑星定義 論争が科学を面白くする

 こちらも詳しい。

 冥王星は1930年に米国のトンボーが発見した。米国人が発見した惑星はこれだけで、ディズニーのキャラクターの名前になるほど愛着を持たれてきたという。日本でも「水金地火木土天海冥」と言い習わしている。いきなり「惑星ではない」と言われたら、戸惑うのは当然だ。


 で。

今回の騒動を題材に、子供をつれてプラネタリウム天文台、科学館などを訪ねてみてはどうだろう。

 いや、この騒動を題材に太平洋戦争前の米国の科学のトンデモぶりを検証したほうがいいかも。

読売社説  [冥王星降格]「観測技術が変えた『惑星』像」

 読売は書いているか。

 冥王星は1930年、9番目の惑星として見つかった。米国人が発見した、ただ一つの“惑星”でもある。これまで惑星とされてきたのは、そうした米国内の愛着が理由の一つだった。

朝日社説 冥王星 地球は君を忘れない

 読んでてあれれという感じ。もしかして執筆子、冥王星誕生の由来や背景を知らないのでは?
 ウィキはさらっと書いてあるので、これではわからんか。
 ⇒冥王星 - Wikipedia

海王星の摂動が発見されたことから、第9惑星の存在が議論されるようになった。パーシヴァル・ローウェル第9惑星の存在を予想し、その探索に生涯を捧げたが、発見に至らなかった。彼に学んだクライド・トンボーは当時最新の技術であった「天体写真」を利用。膨大な写真を撮影し、それを丹念に精査した結果、1930年に「第9惑星」を発見した。それが冥王星である。

 ⇒パーシヴァル・ローウェル - Wikipedia

パーシヴァル・ローウェルPercival Lowell, 1855年3月13日 - 1916年11月12日)は、アメリカ合衆国ボストン生まれの天文学者である。
 
もとは実業家であったが、数学の才能があり、火星に興味を持って天文学者に転じた。私財を投じてローウェル天文台を建設、火星の研究に打ち込んだ。火星人の存在を唱え1895年の「Mars」(「火星」)など、火星に関する著書も多い。

 ⇒クライド・トンボー - Wikipedia

クライド・ウィリアム・トンボー(Clyde William Tombaugh, 1906年2月4日 - 1997年1月17日)はアメリカイリノイ州生まれの天文学者。1936年にカンザス大学天文学部を卒業後、1939年に北アリゾナ大学で修士号を得ている。

その際には当時最新鋭の技術であった「天体写真」を使用した。彼は1万枚以上の写真を撮影し丹念に精査し、その結果、1930年2月18日に冥王星を発見した。

彼は生涯に14の小惑星を発見した。また、UFOにも関心を持っていた。

 えー、つまりですな、冥王星というのは、極めてアメリカ史なのですよ。アメリカが世界の科学を担うようになった時代精神の象徴的なものでもあるわけで、これに対するアメリカ人の思い入れが深い。
 しかも、パーシヴァル・ローウェルクライド・トンボーも、火星人だのUFOだのとも隣接している。そのあたりの歴史の精神考古学的対象というか。

似たものを感じるが

 ⇒セくらえ管理部 - 真昼からシャセイ日記(「セックスなんてくそくらえ」管理人日記) - セックスレスさんが
 ⇒弁償するとき目が光る : 小銭大好きだから移転しました

っていうか他人のブログなんか読むものじゃないね。読むに値するものなんてほとんどないし。読んでそういうどうでもいい記事に反応しても後でそのどうでもよさに苛つくから、そしてその記事が邪魔になってくるから、ブログからノイズを消すためには読まないことだと思った。

 そうして苛つく部分がある自分というのをそのまま認めることじゃないかとちと思うが。
 noon75さんも、yuki19762さんもたいした才人だと思う。批判ではないが、感性の新しさというのは感じない。こういうと陳腐なんだが、身体的な感性に忠実に生きている知的な人なんだろうとは思う。知的であることの老いや弱さというのは彼らの課題であるかどうかはわからない。お二人とも「子」というものに照射されている感じはするがあまり自覚はされないかも。
 ⇒弁償するとき目が光る@seesaa: ジャック・ケッチャムという体験

小説とは本来そういうものではなかったか。健全で健康で明るく正しく道徳的な人間の、健全で健康で明るく正しく道徳的な日常を描いた作品が、果たして小説といえるのだろうか。だってそこには、本当のことなどひとつもないではないか。

 そして心をずたずたにするのが音楽。

古典はそう読めるものじゃないと思うが

 ⇒夏休みの宿題は古典を40冊読むということで十分だよ。 さるさる日記 - 勝谷誠彦の××な日々。
 勝Pもけっこうな歳なんで気持ちはわかるが。

資料で必要になって一昨日は渋谷で本を探した。岩波文庫プラトンの『饗宴』などだ。いずれも当時買って持っている本なのだが軽井沢にあるんですね。いやはや渋谷で岩波文庫を買うというのは木に縁りて魚を求むが如しでしたな。ケダモノの群れをかき分けてたどり着いた旭屋書店はなんとスロット屋になっていた。半蔵門線から直接行けて便利だったのに。正に今の日本がどこに向かっているかを象徴している。片っ端から本屋を巡るがまず岩波文庫が殆どなくましてやギリシアの哲学者の本なんぞは置いてはいない。ようやく見つけてその他の岩波文庫何冊かと買って帰るとどっぷりと耽読してしまう。ああ軽井沢に帰って本を読みたい。

 ネットを通せば簡単に購入できる。
 ネットだと古書が見つかって嬉しい。
 古典はそう読めるものではないと思う。

無資格の助産行為問題

 この問題はかなり深刻。ちょっと意見が言いづらい。
 ⇒元検弁護士のつぶやき: 無資格の助産行為
 コメント欄、必見。

マスコミの報道を見ていて強く感じたのが彼らは「内診」と「助産介助」の違いが全く理解できてないという事です
いかにも詳しそうに批判しているナントカ会代表をはじめとするコメンテーターの方々もです
 
実際問題として「助産介助」はともかく全ての「内診」まで医師・助産師がやるとしたら小規模の開業医はほぼ全滅です
産道の確認やどこまで降りてきたか常に医師・助産師がついていなくてはならなくなります
それでなくても一人医長なんて寝る時間もないのに・・・
 
素人同然の救急隊員に気管内送管させるほうが遙かに危険だと思うんですけどね
Posted by: むいむい | 2006年08月25日 10:36 (Top)

スポンタさん、微妙な所から微妙な所に微妙な弾を撃つの巻

 ⇒「佐々木尚俊氏vsオーマイ編集部」に関するスポンタの感想。 -スポンタ通信2.01:イザ!

そして、もし何か争点をつくらなければならぬのならば、マルコポーロの花田編集長を蹉跌させるにいたったような事案が起きたときに、メディアの存続を図れるようなシステムをいかにして構築することができるか。それにつきると思っています。
 
空気よりも軽い毒ガスを使ったガス室が、ジャワー室と同じ構造のはずがない。などという中学生でも疑問に思う仔細をもとに、世界史がつくられている現実…。ネットの時代に、そういう一部の権力による恣意的な言論が放置されることはありえないのですから…。
 
そのような合理的なシステムができたとき、このメディアは成功への道を歩んでいくに違いないと確信します。

 なのか?

死にたいと死ぬが恐いのバランス

 ⇒heartbreaking.:恋人同士は、独身っぽい人の前でイチャつかないでくれ

死にたいとか、あまりにも簡単に言いすぎる人が多いと思うんですよ。そうゆう人は、将来年老いた自分が、病に苦しむ姿など想像も出来ないんだろうな。もっと現実的な死を想像してみればいい。その痛みに恐怖を覚えるならば、二度と「死にたい」とは言えなくなるはずだ。

 私は、死にたいと死ぬが恐いのバランスの上をよたよた生きている。
 死にたいと思うときは、死ぬのが恐いというのを思い出し、
 死ぬのが恐いと思うときは、死にたいと思っていたことを思い出す。
 ただ、歳とると。
 もうちょっと生きていたいと生きるのが難儀のバランスになりつつある。

補足すべきか迷うところ

 Bigbanさんの主張に批判ということではないのでそのあたりが
 ⇒BigBang: 仔猫殺しに思う----自らの両手を血に染めて得られるものなどない
 とりあえず主張の原点はこれかな。

平たく言うなら、ある一定の条件がそろえば、それが仔猫であれ、成犬であれ、人であれ、その命をコントロール=消滅させることが我らに許されるのかということ。で、僕はそれはできないと思っている。

 もうちょっと伺ってみるかなと

こんにちは。批判ではないのですが、殺すために入念に用意される実験用小動物についてはどう考えますか?
投稿者: finalvent (Aug 26, 2006 10:32:53 AM)

 ほいで、鮫島登場。

こんにちは。批判ではないのですが、「熊殺しウィリー・ウィリアムス」についてはどう考えますか?

投稿者: 鮫島 (Aug 26, 2006 1:45:28 PM)

 これは鮫島さんの私への揶揄かな?
 鮫島さんがどう私の意図を汲んだか。れいの関連の政治的な布陣の流れということでもないと思うが。
 私がこの問題の延長にどのような思想を持っているかは、たぶん、うまく通じたことはないので、BBさんにもご迷惑だし、このあたりですっこむ。

吉本隆明シンパの私としては

 ⇒はてなブックマーク - 『サンデー毎日』9月3日号
 それを読んでないのでなんともいえないが、吉本翁らしいなとは思った。
 アンパンマンさんらとは話がどうにも通じないので無用な軋轢はさけたいと思うのだが、率直に言って、たまたまぶくま経由で見たsynonymousさんの意見が、へぇ、と思った。批判ではないが、ちょっと。

2006年08月26日 synonymous 所詮戦場を知らぬ吉本ではあった。

 また対応エントリコメント欄に。

そんな吉本に頼らなければ、左翼から身を守れなかった人たちがいた時代ってのもあったわけですね。
synonymous | 08.26.06 - 1:39 pm | #

 synonymousさんが、吉本を「所詮戦場を知らぬ」とそのまま理解されているのだろうか。
 この問題は、私は「戦場をよく知っていた」山本七平と「所詮戦場を知らぬ」吉本隆明の図としてときおり考えることがある。ただ、この問題は、戦場を知る知らないということではないように思える。
 吉本が、左翼から身を守るために読まれたかについては、新左翼の歴史からそう読まれうることはある。が、大きく言えば、60年代安保の問題であり、70年代昼寝を始めた吉本はすでに左翼・新左翼ではなかった。この亀裂が決定的になったのは、80年代だった。
 ところで引用の。

 無色透明な、政治的意図があるわけではない民衆が小泉首相靖国参拝をどう思うか、国民投票をしてみたらいいと思う。賛成票がやや多いんじゃないか、というのが僕の推測です。

 は、吉本らしい。
 吉本がここで何を言っているかは私はわかる。ただ、この放言のなかに吉本思想の根幹(大衆の原象)があるので議論となると難しい。
 むしろ、「無色透明な、政治的意図があるわけではない」を抜きにして、単純に「靖国参拝をどう思うか、国民投票をしてみたら」という思考実験として受け止めたらいいだろう。
 そこで現れるだろう結果をどう思想に組み込むか。
 賛成票が多いから大衆の意見は賛成なのだということではないというあたりから、吉本思想が始まる。
 ただ。
 吉本隆明シンパの私としてはと書いてみたものの。
 私は、この問題のそういうタッチーな部分にはあまり関心ない。私はもっとベタな西欧原理主義者になってしまったかな。
 
追記
 ⇒まだらボケになるのか。 南無の日記

ついでにこの『finalventの日記 - 吉本隆明シンパの私としては』については佃煮のネタを考えるようでよく意味がわからなかったよ。オレも読解力が無くなったのか、それとも10歳近く離れるとこうなのかとか思ったりした。

 たぶん、南無さんは70年代から吉本を見ているから、あの時代の、単純にいえば新左翼解体後の左翼的な期待の背景に近いところで吉本を見ているのでは?と思います。
 私が吉本を読み出したのは80年代の半ばです。コムデギャルソンとか着て、埴谷や大岡なんかとどろどろの戦いを始めたあたりです。高度資本主義っていいぜって言い出した吉本を評価したわけです。ただ、伏線的に親鸞研究は一貫しているけど(でもその一貫性がオウム評価に結実してまた物騒なことになっているけど)。
 話はけっこう単純ですよ。
 今でも吉本をぶっつぶしたいとする勢力がいるというだけです。吉本も耄碌しているからそれで自滅かとも見える。
 でも、「じゃあ、靖国の是非を国民投票してごらんなさいな」というあたり、この爺、耄碌なんかしてないですよ、ということ。
 思考実験でしかないけど、国民投票をすれば、是と出ますよ。あたりまえのことで、国家幻想が解体できてないのだからそうなる。それが課題なんだよということで、吉本は一貫しています。
 ソフトスターリニズムは、靖国を是とした国民を偉そうに啓蒙し……そして失敗すればまさにスターリニズムの本性を出してくるだけですよ。
 国家幻想の解体の理路がいかにあるべきかが問題で、そこは前衛的な知では解けない。大衆の無意識がそこを超えていく理路を見つめるだけのことです。
 
追記
 「サンデー毎日」の吉本のインタビュー書き起こし読みました。
 どってことない。
 「靖国問題」なんて問題にしているのがおかしい。進歩派とかがそんなこと言ってるようじゃダメというのが、そーだよな、翁、と思った。
 ってか、私はけっこう吉本主義者だな。あはは。

戦前の米国科学のトンデモについて少し

 ⇒極東ブログ: 若月俊一と佐久病院についてほんのわずか コメント欄

20060826の日記で、
> 今日の春秋はよく書けました。
> この騒動を題材に太平洋戦争前の米国の科学のトンデモぶりを検証したほうがいいかも。
 
こちらは、finalventさんらしくないかな?
と少し感じました。
 
「太平洋戦争前の米国の科学のトンデモぶり」
そのように評価(表現)せざるを得ない局面と、
そうでない局面とがあり、お題目により
○になったり×にになったりがあるような素材
ではないでしょうか。
 
断片的な話題でこの件に断定的な表現は如何でしょうか?

 ええとですね。「断片的な話題でこの件に断定的な表現は如何でしょうか?」については軽い放言です、すみません、という感じです。○と×はあるでしょう。
 ただ、広義に見たとき、それは×なんじゃないかという思いがあり、こういう放言になってしまいました。
 どのあたりからレンジを取っていいのかわからないのだけど、恐慌後から太平洋戦争までの米国の科学の意味というのは、大筋でトンデモ的に展開していたのではないか。
 どこがトンデモなのか?というのをどういう方法論で明らかにするかが問われるわけで、そうでないと、かなりの学がトンデモを歴史に抱えたことになるので。
 基本的には、人間観と人間操作観に絞ればいいかと思います。
 キーになるのは、移民の学者ではとも思っています。
 典型例になるのか微妙なんですが。
 ⇒Wilhelm Reich - Wikipedia, the free encyclopedia
 をどう米国が受け止めていのか。
 テルミンなんかのほうが時代的には合う。
 ⇒Leon Theremin - Wikipedia, the free encyclopedia
 しかし、こうしたことより、人間観と人間操作観がどのように、軍の科学となっていったかというあたりに関心があります。
 参考⇒極東ブログ: スキナー(Burrhus Frederic Skinner)と日本国憲法

スーパーマンの考古学

 というのがないものか。
 ⇒Superman - Wikipedia, the free encyclopedia

Superman is a fictional character regarded as one of the most famous and popular comic book superheroes of all time, and one of the first to embody several of the aspects modernly associated with them. Created by Canadian artist Joe Shuster and American writer Jerry Siegel in 1932 while both were growing up in Cleveland, Ohio, and sold to Detective Comics, Inc. in 1938, Superman debuted in Action Comics #1 (June 1938), and subsequently appeared in various radio serials, television programs, films, newspaper strips, and video games, contributing to his long-standing ubiquity. Since 1938, the character's adventures have been published in a number of comic books.

 というわけで、スーパーマンがデザインされたのは1932年。
 アクションコミックスに出たのが1938年。
 バットマンも同時代。
 ⇒Batman - Wikipedia, the free encyclopedia

Batman (originally referred to as the Bat-Man, and still sometimes as the Batman) is a DC Comics fictional character and superhero who first appeared in Detective Comics #27 in May 1939. He has since become, along with Superman and Spider-Man, one of the world's most recognized superheroes.[1] Batman was co-created by artist Bob Kane and writer Bill Finger, although only Kane receives official credit for the character.

 バッドマンがDetective Comicsに出たのは1939年。
 私が最も好きなフラッシュ・ゴードンは。
 ⇒Flash Gordon - Wikipedia, the free encyclopedia

Flash Gordon is a science fiction comic strip originally drawn by Alex Raymond, first published on January 7, 1934. It was created to compete with Buck Rogers.

 フラッシュ・ゴードンは1934年。
 文学史的には、ハクスレイの「すばらしき新世界」が1932年。
 ⇒Brave New World - Wikipedia, the free encyclopedia
 このあたりの時代で、「未来」・「科学」・「人間・改造・操作」という概念が結びついてくる。
 ちなみに盧溝橋事件は1937年。
 ちなみに、マリアン・レイェフスキがエニグマを解読したのは1932年。アラン・チューリングが理論的に解析したのが、1939年。
 チューリングの人生⇒アラン・チューリング - Wikipedia

 第二次世界大戦の間、チューリングはブレッチレイ・パークにあるイギリスの暗号解読センターで働いた。彼はドイツの暗号を解読するいくつかの手法を考案しドイツ海軍の暗号を解読する部門 (Hut 8) の責任者となった。彼はエニグマの設定を見つけるための機械 bombe を発明した。
 戦後、国立物理学研究所 (NPL) に勤務し、プログラム内蔵式コンピュータの初期の設計のひとつACEに携わったが、それは実際には製作されなかった。1947年、マンチェスター大学に移ると、初期のコンピュータ Manchester Mark I のソフトウェア開発に従事した。
 1952年、チューリングは同性愛の罪で逮捕された。彼は保護観察の身となり、ホルモン療法を受けさせられた。 1954年、死去。検死によると、リンゴに青酸化合物をたらして食べた自殺ということが判明した。

 そういえば、 Congress for Industrial Organization (CIO)の成立が1935年。
 そういえば、パブロフが死んだのが1936年。
 ⇒Ivan Pavlov - Wikipedia, the free encyclopedia
 この時代、ソ連が科学の先端でもあった。
 ベリャーエフ⇒アレクサンドル・ベリャーエフ - Wikipedia
 そういえば、ライヒよりケロッグのほうがすごい。
 ⇒ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ - Wikipedia

一方でその宗教手的情熱と実験精神が度を過ぎることもあり、患者の入ったラジウム風呂に電気ショックを流したり、食べ物が液化するまで延々噛み続けるよう強制したり、重要視していた腸の機能調査のために巨大な装置でのべつ幕なしに浣腸を行うなど、サナトリウムの患者たちは毎日戦々恐々としていた。 また彼の妻とは死ぬまで性交渉を持たなかったという。白人の子を産んだ女性は黒人と結婚しても白人を産むと主張するなど、奇異な性科学者としても名を残した。

cover
ケロッグ博士: T.コラゲッサン ボイル,T.Coraghessan Boyle,柳瀬 尚紀

はぁ? または7つの間違い探し。

 ⇒asahi.com:携帯電話に定額IP化の波 米で「スカイプ」搭載型発売 - ビジネス

 話した分だけ払う携帯電話の通話料制度が、遠からずなくなる――。そんな「未来図」が通信業界でささやかれ出した。インターネットでデータを運ぶように音声を伝えるIP(インターネット・プロトコル)電話技術が、これまでの「通話時間で稼ぐ」という発想を吹き飛ばしかねないからで、既存の携帯電話会社の幹部たちは不安げだ。

 無料IP電話の代名詞となったスカイプは電話の概念をがらりと変えた。従来の電話が回線の一定部分を専有して音声を送るのに対し、IP電話は音声をパケット(情報を運ぶ小包のようなもの)に入れてやりとりする。