ホゲナシ
しいていうとまたお下劣路線だけど
⇒切込隊長BLOG(ブログ) - 日本のちんこは自衛隊的で世界では中規模
ただ正直アメリカより日本のほうが現物規模が大きいことについて純粋に違和感を感じる。ロシアもないので何ともいえないが、やつらの品物はそれ相応に大きい気がする。普段から大きいが膨張しないってことなのかもしれんが。
さて、仕事に戻るか。
いや、大きいよ。そして白人系は包茎です。
ユダヤ人は割礼しているのでわかる(欧米の性教育の教科書にはこのことが図解で書いてある。日本の性教育は右も左もトンチキなことを言っているが現実の宗教と性について触れてないようだ)。
日本人はだから割礼かと間違われる…50%は。
イスラム教の女性を娶ると男性は割礼が必要になります(かなりたぶん)。大人になってやると痛いらしい。いわゆる病院とかではなく宗教儀礼なので。
日本でもセブンスデー・アドヴェンチストは出産時の割礼を推奨しているげ(同派の医療水準は高い)。
追記
イスラム教の割礼ですが、派は地域によって違います。
成人割礼は現代ではないのかもしれません。
今日の新聞各紙社説は…
毎日新聞がまたサイトの構成を変えたので手間取った。今や毎日新聞の社説は唯一の有料コンテンツ(エンタ部門)かなとも思ったがそうでもなかった。
当方の頭がぼけているのかなんかよくわかんね社説が多かった。
都議選にふれたのは産経だけだった。
明日、都議選の社説が出るのだろうか。ようするに公明党だな。
公明党が悪いとだけは言わない。普通のある利益層の代表であるならそれはそれでいいと思うし、すでにそうだという議論もあるのかもしれない。しかし。
山ちゃん迫害あたりはジャーナリズムにとって重要な問題だと思うが、たぶん、スルー。極東ブログでも悪いけどスルーするよ。
●日経社説 与野党は真剣に年金論議を
と、言うはやすいわりに日経も踏み込んでいないじゃん。
●日経社説 企業の行動をどう規律付けるのか
つまんね。
●産経社説 「保健と開発」援助 日本の実績生かす戦略を
産経はなぜ結核にこだわっているのだろう。こんな過去の病気。
って書くとやや筆禍ゾーンなのは知っている。産業規模がでかいし。
●産経社説 都議選 自公堅調は政権の信任か
これは、争点が明確にならぬまま、何のための投票かがわからなかったからではないだろうか。
ええ、そうです。
私もキャンセル。地元の選挙では特に意味が感じられなかった。
公明党を落とせるなら行ったかもだけど、鉄板。
●毎日社説 社説:高松塚解体 現地保存の理念は守るべきだ
標題のとおりかと思うに読み進めるとぼけぼけ。
特に視点もなし。
●毎日社説 社説:英国サミット 地球環境で首相の出番が
なにが言いたいのかわからん。
●読売社説 [地方自治体]「画一的な組織が問い直される」
商工会とかもね。
ま、しかし、この手の議論は書生談義ばかり。
●読売社説 [科学技術計画]「これで国際競争に勝てるのか」
よくわかんない社説。
●朝日社説 脱線事故 国鉄改革に終わりなし
率直に言ってそういう方向の話はもういいよ。
●朝日社説 雑踏警備 歩道橋事故からの教訓
警察も世論に押された形にはなった。
朝日のこの社説だが、まいどの水に落ちた犬を叩くが弱い。締めは脱力する。なにかもわっとした後味の悪さがあるがなぜだろうか。
ネタなし
しいていうとこれか。ネタというのと違うが。
⇒情報紙「ストレイ・ドッグ」(山岡俊介取材メモ): 本紙・山岡自宅、早朝放火される。これは、言論に対する明らかな挑戦だ
赤目の山ちゃんがいい顔しているよ。男は仕事だよという感じ。嫁さん(中国人)はその後どうなったのだろうか。
赤岩栄と椎名麟三
ちょっと詳しいエントリを起こす気力はないし、一生この問題に触れないかもしれないが、ふとネットを見て気になるあたりをクリップ。
⇒分裂の悲劇
椎名麟三と赤岩栄との、「不幸な別れ方」とは、何でしょうか。
二人の見解の相違は、1959年(昭和34年)に、表面化しました。
1966年(昭和41年)、椎名は、上原教会から、三鷹教会に転会し、続いて、「上原集団脱出記」(7月)、「善魔」(7月)を発表して、赤岩批判を展開してゆきます。
当時、赤岩の体内では、胆道がんが、進行し始めていました。
そして、ついに、同年11月28日死去するのです。
赤岩は、死に至るまで、聖書研究と執筆をやめることはありませんでした。
しかし、椎名に対しては、反論も批判もせず、沈黙を守り続けました。
体力の衰えもあったでしょうが、それだけではなかったと、思います。
⇒椎名麟三を紹介します
これについては椎名理解が違うように思うが特にコメントしない。
⇒ルドルフ・カール・ブルトマン - Wikipedia
日本においては、新約学、組織神学、宗教哲学などの領域で一定の影響を与えた。赤岩栄牧師が晩年、ブルトマンの神学に触れて「キリスト教脱出記」(1964年)を書いたのは有名。ブルトマンの実存論的方法論をもとに書かれた神学書としては野呂芳男『実存論的神学』(1964)があり、ブルトマン後の世代の「新しい探求」や新解釈学の運動を背景に書かれた神学書として小田垣雅也『解釈学的神学』(1975)がある。また、八木誠一、田川建三、荒井献など日本を代表する新約学者は、いずれもブルトマンの立場を念頭に、それを様々な観点から批判的に乗り越える中で独自の立場を築いていると言える。なお、ブルトマンの研究者、ないしはブルトマンに詳しい研究者としては山岡喜久夫、熊沢義宣、川端純四郎、土屋博、笠井恵二らがいる。
このなかで現在なお私が注視しているのは野呂芳男とそしてわずかに田川建三。
⇒野呂芳男ホームページ
ちなみに、私はブルトマンにはあまり関心を持たなかった。以前にもふれたがイェレミアスの研究に関心を持った。史的イエスの再現は無意味だろうとは思うが、それを生み出したアラム語圏とヘレニズムには関心を持つ。
神学的にはティリヒだった。ティリヒに関心をもつ神学者は当時(四半世紀前)は著作集などが出た割にあまり関心を持たれてなかった。バルト神学のせいだろう。私はバルト神学にもそれほど関心はない。ただ、いわゆる自然神学との対比でいえば、私はバルト的ではあるだろうとは思う。
その先は、今日は書かない。(もしかすると一生書かない。)
はてなQ 安く沖縄⇔東京往復
【安く沖縄⇔東京往復】
9月に沖縄に帰省しようと思うのですが、一番安く(なるべく3万以内)行ける方法・サイトを教えてください。
いい情報にはそれなりのポイントを支払いたいと思います。※一人での帰省です。
※帰省期間は9/24を含む2週間くらいであればOKです。極端な話、9/23-10/7でも9/11-9/25でもOKです。
※スカイメイトは使えない年齢です。
※誕生日もとっくに終わりました。
※確実性が無いのでオークションは無しで。
はて?
県民ならみんな沖縄ツーリストに相談しているけど。大抵3万以内だが。安ければ2万ちょいだが。
モヒカン族なるキーワードが注目されているが…
よくわからない。
ネットのカルチャーと関係があるのだろうが。
自慢をしたいわけではないが、私はたぶん、日本のパソコン通信史の最古参の100名くらいには入るのではないか。なにが前線かは知らないが、比較的そのカルチャーの前線部分にまだ残っているという意味では、シーラカンスみたいなものかもしれない。ただ、そういう言い方があまり正確ではないのは、切隊さんとか2ちゃんがぶいぶい言っていた時代を私はまるで知らない。Nifty文化も精々1994がかろうじてというところか。実際は1992年にはNiftyからも離れていたように思うので、そうしてみると、パソコン通信的なカルチャーに対する空白が部分的にはあるにはある。
2ちゃんねる文化?は結局わからなかった。それが終わったとかめんどくさい議論も関心ない。匿名がどうたらも関心がない。
ブログも、いくつかのエポックをもって変質しているだろうし、その変質というか多様性のなかで、自分は前線どころか、ローカルな遅れたところに居るようにも思う。
なにが言いたいわけでもないが。
たぶん面白いネタというのは…
ぶくまの注目のエントリから人気のエントリを引いた差分でそれが半日程度で一定数の飽和をもっているものだろうなと思う。
補足する。
実際にぶくましていて、こりゃぶくましねーといけないなみたいな税金みたいなぶくまがある。あまりに税金っぽいのは[お約束]タグをつける。ネタ的に面白いわけではない。
こうした類は、基本的に、ネタから消していいものでもある。ただの備忘ネタに過ぎない。
が、そうした[お約束]ネタのほうがぶくまの人気が重なり、人気のエントリーに移行する。半日で移行するとすでにネタですらないまさにうんざりする[お約束]でもある。
とすると、そうした差分の分だけがネタの最前線ではあるのだろうが、まだ、ちょっと速度が遅いし、ネタのキレが弱いという感じはする。
ちょっとやけっぱちでいうと、いけないのは、サブカルというか、カルチャー志向ではないか。
現代思想だか社会思想だかインテリめいたお飾りにけっこうまいっている部分がまだ大きく、そういう部分の志向が実際のところただの雑音にしかなっていない。サブカルなんてもう面白くもなんともないと言い切れない知性の弱さみたいのが露呈しているというか拮抗している状態ではないかという感じがする。
ちょっと批難されるかな。
すくなくとも日本のサブカルは日本に閉じているし、とても日本的だ。
だから、ブログだと、ま、他人事でもないが、洋物・翻訳小ネタみたいのが幅を利かす。しかし、そんなものただ言語の不便さがあるだけで、面白さから言えばどうというものでもない。世界は広いのだから、変なのがいるかもねビザールなど本質的に面白いわけがない。
れいのチンコの長さねただって、元ネタは、チンコ短い諸君っていうウリのサイトなんで、小さいデータが載っているのはあたりまえなので、悪いいいかたするとネタですらない。ま、そこをふざけたりおちゃらけてネタにできるというか、そこに自分も乗っている部分があるのだけど、実は、いずれ吹っ切れてしまうトレンドに過ぎない。
たとえば、ライブ8をぶくまで見ると…
こーんな感じ⇒はてなブックマーク - ライブ8の検索結果
あまり関心を持たれていないと結論してもよい。
あるいは、これに関心がそれほどわいてこないのはなぜなんだろとも言える。
ただ、関心を持つべきとはいえないし、倫理的に問えるものでもない。
国際的に見れば、これに日本のブロガーなりが相応の関心を持たないのは、ある程度特異な現象だとも言える。
こうした偏倚だが、なぜ発生しているのか。
まだぶくまが幼児期にあるとも言える。
ただ、これが充分に幼児期を脱するとき、それだけのマスはどう動くのかというと、たいていは、エキブロニュースとかテレビのバラエティみたいな大衆性になるだろう。そして、サブカルとか。
その意味で、キーンなコアがどこで出現するかなのだが、どこかその中間にはあるだろう。
ブログというのは、たぶん、こうしたコアの流れの付随現象化してきているとも思う。