ネタなし

 ない。
 ってか、ネタ感度が落ちているのかも。
 最近都市近郊の電車に乗ることがあるのだが、なんというか、東京から離れるにつれ、マナーが悪い、それがもう老若男女全部。なんだこれ。タバコ、ケータイ、姿勢(電車のなかで横に寝てたり)。なんか、田舎にダークサイドのエネルギーが充溢しているのか。

今日の新聞各紙社説は…

 ちょっと疲れているので全体は特になし。というか社会問題はなしって感じがする。

●日経社説 東アジア経済連携の加速を

 梅雨寒や変なラッパの音がする おっと、俳句じゃないってば。
 しかし、なんだこのラッパ。

●日経社説 正常化後の課題も示した株主総会

 特になし。

●産経社説 高松塚解体 過ちを繰り返さぬために

そのためにも、さまざまな状況の変化に耐えうるような保存法を、初めから研究しておくべきだろう。今回の反省に立ってである。

 なにかと、こんなこと言う人が多いのだよね。脱力。

●産経社説 宇宙探査 成果を人類の知的資産に

 子供の科学としてはそのあたり。

●毎日社説 デフレ・いつまで呪縛にとらわれる

 書いてる本人が変なこと書いているなという自覚はないのだろうか。論旨がめちゃくちゃなんだが。

●毎日社説 会社法成立・規制分野の改革にも使おう

 この分野最近手薄。よくわからん。

●読売社説 [情報通信白書]「普及が進めば被害も広がるIT」

 あほくさ。
 技術と技術外の問題がごっちゃ。

日本企業の安全対策は米国、韓国企業より、はるかに甘い。

 なのか?

●読売社説 [エイズ]「深刻な感染者拡大ペースの加速」

 それはそうなんだけどね。
 このあたりとかは関心なさげ。
 ⇒極東ブログ: ブラジル政府が抗エイズ薬のコピーを推進

●朝日社説 経産省疑惑 「官僚たちの冬」なのか

 わからん。端金だと思う。だからっていいとは思わないが、おまえさんらが街金からくすねようとした額より少ない。いや、くすねてねというなら、街金なんだから利息付けて返せよ。

●朝日社説 リフォーム詐欺 氷山の一角は崩したが

 独り暮らしや夫婦だけの老人世帯は年々増え続け、高齢者人口の半数を占める。なかには認知症(痴呆(ちほう)症)などで被害の自覚さえない人もいる。高齢社会を迎え、お年寄りを食い物にする不心得者はこれからも出てくるだろう。

 あのな、売り込みという点だと、おまえさんらの販売員の現状がこれと同型なのだよ。規模と程度は違うのかもだけど。

はてなQ 成人が飲む分にアスパルテーム使用飲料の危険性は実際のところどうなんでしょうか?

買ってはいけないでぼろくそにたたかれていたアスパルテームですが、成人が飲む分にアスパルテーム使用飲料の危険性は実際のところどうなんでしょうか?ある程度詳しく語存知の方のみ回答願います。わからないのに根拠も示さず「だいじょぶうだと思うよ」とかの回答はなしでお願いします。

 科学的には危険性なし。
 私は、避けている。(1)潜在的な危険性がある。(2)まずい。
 危険性については、高橋晄正元東大医学部講師が当時の厚生省データを再検討して問題を指摘していたが、ネグられていた。あの指摘が十分に科学的に否定されたという話を聞かない。のが気にはなっているが。

打たれ弱さ…

 R30さんとこのコメントでfinalvent打たれ弱いというのがあった。
 そう見えるのかという、見える像には関心を持った。
 個人的には、あまり、打たれ強い/弱いに関心はない。
 自分では、心に嘘をつかない、と考える。心というより、無意識というべきかもしれない。また、いわゆる「嘘」という意味でもない。
 私は強く生きようと思ったことはない。現実は、自分は弱い人間ではないかと思う。ただ、自分をなんらかの意味で弱者に分類しようとも思わない。
 それが弱者であれ、なんであれ、なにかに依存して発言することに恐れを感じる。
 このあたり、誤解されることも多いのだろうが、「日本人として発言」というとき、「日本人はかくあるべきだからこう発言せい」ということはあまりない。ゼロとは言わないが。むしろ、日本人としてしかありようのないところから発言するという感じである。この差異は、それ以上うまく表現できないし、うまく自分で明確になっているというものでもないかもしれない。
 これも誤解されるかもしれないのだが。
 人がもっとも弱いところで、キリストは現れる、と思う。信仰というつもりはないし、キリストと言った時点でキリスト教の文脈に置かれてしまうのだろう。そのあたりはとても言いづらいことでもある。
 うまく言えないのだが、私は、そういう意味では、キリストを信じる。これは、自分のもっとも弱いところを守る必要がないのだという確信でもある。
 現実の人生で、もっとも弱い部分を守らずに生きられるかというと、そうでもない。ただ、究極的にはそういうありかたでキリストが現れるという確信はまた存在する。
 犬よりも惨めにキリストは殺された。もちろん、それは史実ではないのではないかとは思う。キリストは神からも見放された。このことはあまりクリスチャンは語らないように思うが、キリストは神に見放されて死んだ。キリストは人となった神とも言うが、それはまったき人でもあるということだ。まったき人の究極のありようとは、神に見放されて死ぬことだ。それを、キリストははっきりと示した。それ以外はすべて虚飾であり、幻想である。
 と、ここで、生き続ける経験のなかで、二つことが起きる。キリストを殺したこの世とは「私」であるということであり、私とは罪としてしか存在しえない。もう一つは、そのように死なれたキリストがわが主であるということだ。このあたりの表現は微妙にキリスト教信者の領域に入ってしまっているかもしれない。
 そこはうまく言えない。
 そこが信仰だからということではない。救いはなにもないのだ。

崩れていく人生…

 というものを、生きていると、なんどか見るようになる。
 自分もそのうちのひとつであろうとも思う。
 だが、人生の光景のなかに現れるのは、率直に言えば、もっと滑稽な色調を持つ。
 たとえば、アル中だ。
 アルコールに溺れて再起できなくなる。
 それを私は救うことなどできない。
 アル中の人を私は弱い人と見るかというと、見る。私より弱い人と見るかというと、そうは思わない。
 私とその人の差異はなんのかよくわからない。
 生まれついたある種の性向といったものかもしれない。
 私は、およそスポーツ観戦に関心をもたない。理由は他者に言うべきこともなくただ自明に関心がない。私がアル中なりにならず、そうした明白な形態で人生を崩していないのは、ただの偶然的な性向にすぎないのだと思う。
 私には誇るべきものはなにもない。
 私には与えられた恵みはあるが、私が起因となって明確になしえた、獲得したものはあるのだろうか。
 ただ…。

ただ…意志の使いかたは…それは考える

 意志というのは、とても、神秘的な力なのではないかと思う。
 本当に、人が望むものは、たぶん、叶うのだろうと思う。
 問題は、人は、本当の望みを獲得できない。「はてしない物語」のように。
 よくわからないのだが、本当の望みと関連するかわからないが、人は、意志の使い方を密かに学べた人とそうでない人がいると思う。
 意志を心に宿すには、ある心的なコツというかなにかがある。自分を信じ込ませるというのでもない。
 条件はわかる、私が責任をもつというある種の感覚を持つことだ。
 ある日、私は三月堂から西方を長めながら、アヤ・ソフィアに行こう、私の意志で行こうと思った。それが意志になっとき、私はそこにいた。
 意志はある意味では園芸のようなものかもしれない。花が咲くのは、花に関わる人の意志による。いや、その表現は拙い。

誤解を招きやすいかもだが、エキブロニュースを…

 見なくなった。
 ⇒ブログニュース | Excite エキサイト : ニュース>ブログニュース
 たまに見ると、なんか、すごい昔のブログというかネタが並んでいる感じがするというか、こういうと批難にとられるかもしれないのだが、二番煎じというか、あまりに遅いネタが並んでいる。テレビのバラエティ番組の退屈さのようにも思う。
 もちろん、自分のブログがそこに並んでいるのも知っているし、そこであまり注目されないのも知っている。ちょっと言いづらい面はある。
 だが、ブログと情報のキーンな部分はそこにはない。むしろ、ぶくまの注目エントリだろうか。人気エントリになると鈍る。
 もちろん、よく言われているように、はてなユーザーの関心の偏りというのはある。
 そして、鈍りかたというのは、ある一定人数の関心、それ自体が引き起こすのかもしれない。
 と、いうか、キーンなしかも鮮度のいいネタというのは、ある意味で、面白くもね、という部分は強い。
 そのあたり、ブログの速度の最速の部分に誰が存在し、なにを面白いと感じているのだろうか。
 そして、その感性は、なかなかきちんとした文章のエントリとしては結実されない。
 むしろ、一定の文章なりはすでに古さの領域にすらある。