赤岩栄と椎名麟三

 ちょっと詳しいエントリを起こす気力はないし、一生この問題に触れないかもしれないが、ふとネットを見て気になるあたりをクリップ。
 ⇒分裂の悲劇

 椎名麟三と赤岩栄との、「不幸な別れ方」とは、何でしょうか。
 二人の見解の相違は、1959年(昭和34年)に、表面化しました。
 1966年(昭和41年)、椎名は、上原教会から、三鷹教会に転会し、続いて、「上原集団脱出記」(7月)、「善魔」(7月)を発表して、赤岩批判を展開してゆきます。
 当時、赤岩の体内では、胆道がんが、進行し始めていました。
 そして、ついに、同年11月28日死去するのです。
 赤岩は、死に至るまで、聖書研究と執筆をやめることはありませんでした。
 しかし、椎名に対しては、反論も批判もせず、沈黙を守り続けました。
 体力の衰えもあったでしょうが、それだけではなかったと、思います。

 ⇒椎名麟三を紹介します
 これについては椎名理解が違うように思うが特にコメントしない。
 ⇒ルドルフ・カール・ブルトマン - Wikipedia

日本においては、新約学、組織神学、宗教哲学などの領域で一定の影響を与えた。赤岩栄牧師が晩年、ブルトマンの神学に触れて「キリスト教脱出記」(1964年)を書いたのは有名。ブルトマンの実存論的方法論をもとに書かれた神学書としては野呂芳男『実存論的神学』(1964)があり、ブルトマン後の世代の「新しい探求」や新解釈学の運動を背景に書かれた神学書として小田垣雅也『解釈学的神学』(1975)がある。また、八木誠一、田川建三、荒井献など日本を代表する新約学者は、いずれもブルトマンの立場を念頭に、それを様々な観点から批判的に乗り越える中で独自の立場を築いていると言える。なお、ブルトマンの研究者、ないしはブルトマンに詳しい研究者としては山岡喜久夫、熊沢義宣、川端純四郎、土屋博、笠井恵二らがいる。

 このなかで現在なお私が注視しているのは野呂芳男とそしてわずかに田川建三
 ⇒野呂芳男ホームページ
 ちなみに、私はブルトマンにはあまり関心を持たなかった。以前にもふれたがイェレミアスの研究に関心を持った。史的イエスの再現は無意味だろうとは思うが、それを生み出したアラム語圏とヘレニズムには関心を持つ。
 神学的にはティリヒだった。ティリヒに関心をもつ神学者は当時(四半世紀前)は著作集などが出た割にあまり関心を持たれてなかった。バルト神学のせいだろう。私はバルト神学にもそれほど関心はない。ただ、いわゆる自然神学との対比でいえば、私はバルト的ではあるだろうとは思う。
 その先は、今日は書かない。(もしかすると一生書かない。)