猫猫先生、「最近の妙な仏教ブームは」と。
⇒ネタバレがなんぼのもんじゃい! - 猫を償うに猫をもってせよ
そういえば『週刊文春』で遂に宮崎哲弥が中島岳志に疑義を呈する。中島が、京都学派寄りの仏教徒だなどと言ったから。何かね、最近の妙な仏教ブームは。
「最近の妙な仏教ブームは」で思い出したけど、オウムの人たちって自分らでは仏教の延長のように考えていたっぽい。
というか、中沢新一ですらそうか。
以前はあの手のものは、ラマ教とか言って区別していたようだが、今ではそういう言い方はだめよんになっている。
あと、チベット仏教は中共のおかげで世界に広まって、最近の欧米の雰囲気ではチベット仏教=仏教みたいな感じ。まあ、以前は鈴木大拙禅仏教=仏教、だったわけだから、ただの外国好みみたいなものかな。
こうした仏教ブームと関連するのか、京都学派寄り?なのか、原始仏教というか宮崎哲弥なんかもさらっと本来の仏教とかいうけど、原始仏教というのは宗教学的なモデルであって信仰対象ではないのだけど。
イエスにしても仏陀にしても、本来のとか、史的なとか、そういうに知的に到達できると思っている人は多いのだろうな。それを言うならムハンマドですらアラム語だったqうぇrちゅいおp
古神道とかもうすっかりアレだし。古事記だって普通に偽書で古代文書ではないし。いずれにせよ、過去のどっかに真理や真理を具現した何かがあったという幻想というのは、抜きがたいものがあるのだろうか。
食育なんかもそうかな。
食育の人って、いろいろあるけど、砂糖は毒とか言っている人たちって、内部にいる人はその歴史を知らないだろうけど、これって昭和の初期ころから延々とあるというか、そのころの歴史を未だに引きずっているだけで、日本人の砂糖消費は少ない。異性化糖で補っても他国民からすると少ないというか、中国人とかはもっと少ないけどこれは貧困でしょう。
蔗糖に害があるというのはなんとも呆れるのだけど、というかたしかに現代の人類みたいに大量に摂取するのはどうかと思うが。
まあ、なんでもいいや。
人間って真理とか正義が好きだな。
いや、そう言っちゃうとまたそれはそれで違うか。