昨日、道元とacimの話を書いたが、考えてみると、間違っていた。どこが間違いかというと、「acimの基本原理、"God is"ということだが、これは道元の言う「仏法」と同じだろう」のところ。完全に間違いともいえないが、道元の言う仏法は、"God is"というacimの実在のレベルの話ではなく、むしろ現象のレベルの「有」。灰や薪が仏法としてこの有時にある、というのは、実在に支えられているとも考えるが、むしろ、おの今刹那というものの、現象のありかた。ただし、これ以外の存在はないと道元=仏教では考えている。
 では、道元=仏教に、"God is"の実在のレベルはあるかというと、むしろ仏道の豊倹跳出なのだろう、つまり、有時を超える無常の原理そのものといったものだろう。
 ただ、まあ、そこまで道元とacimと結びつけて考える必要ないのだけど。