今日の話題のぶくま

 ⇒はてなブックマーク - ある個人史の終焉 - after game over
 元ネタ⇒ある個人史の終焉 - after game over
 こういうネタだと、ネガコメ5は活躍しないんだなというか、こういう話題には関心ないのか。ってか、この美談にネガコメしたら、べたな鬼畜認定だろうな、というあたり、ネガコメ5以外に出てきそうなあの人もあの人も出てこない。
 で、じゃ、俺がヒールなというわけではなくて。

2007年10月17日 usai これは美しい, 美しすぎる, 完璧, 最高, 究極 2万回保存した。読まずには死ねないレベル。泣いたとか感動したとか名文とか、そういう手垢のついた言葉しか浮かばない自分に腹が立って仕方がない。読むうちに身体が震えて、頭の芯から指先つま先まで熱くなった。

 気持ちも感動もわからんことはないよ。
 でも、たぶん、元ネタは、こういうとネガに聞こえるかもしれないけど、普通の話だよ、普通の人生の話。たぶん、元ネタのidiotapeさんも、そういうのって誰にもでもある普通の話だよねと言えば同意されるのではないかと思う(違っていたらごめんなさい)。もちろん、それがつまらないということではなく、人によっては二万回保存するに値することでもある。
 たぶん、似た話は、普通の人がいろいろに経験して、人生の意味とはそういうもんだったかと納得して、まあ、自分が生きて死んでよかったかもなと納得する、何かだと思う。
 とかネガに聞こえるかもしれないので、補足すると。
 みなさん普通に生きればそれなりに人生というのは感動的なものですよ。
 もっともそういう何かがぱっくりと文章で見えるかどうか、その真摯さというのはまた話が違うので。

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笑う出産―やっぱり産むのはおもしろい: まつい なつき

 本当のことをいうと、とても広い意味で子供を持つことが怖かった。
 なんだか、未来なんてないような気がしたのだ。
 仕事で環境問題のことを調べたり、国際情勢のニュースなんかが、耳に入るたび、こんな世の中で子供を作るなんて、どうかしていると思った。
 こんな世の中で、子供を産んで育てるなんて、自分の子供を持つという所有欲を満足させるための親のエゴだ、とすら思った。
 それほどまでに、私が目にしたり耳にしたりする未来予測は絶望的で、オカルト的だった。
 しかし、私は子供を産んだ。
 それで、私は、私の考えがまちがっていたことを知った。

 もちろん、「私は、私の考えがまちがっていたことを知った。」なんて大きな間違いだということもできるし、そのような人生もある。
 僕としては、某氏が離婚した妻に渡した子と響鬼ごっこをした話のほうが泣けたかな。