産経社説 【主張】ミサイル決議 この内容なら評価したい - MSN産経ニュース

 残念なのは共産、社民両党の態度だ。いまだに「人工衛星」とする北朝鮮の主張に耳を貸しているようにみえる。国連安保理での新決議採択に向け、日米韓が他の理事国などの賛同を求めて外交努力を積み重ねるさなか、これに対抗する中国、ロシアと同一歩調をとっている。

 社民党はご愛敬として、また共産党もその部類としてもよいのだけど、共産党の立ち位置がよくわからないなとは思う。ための反論か。

毎日社説 社説:大流行前ワクチン 接種方針、幅広い論議を - 毎日jp(毎日新聞)

 医療分野については毎日新聞はあまり口出さないほうがよいようには思う、皮肉とかではなく、内部の知識の累積がなさすぎる印象があるから。

プレパンデミックワクチンの事前接種を打ち出した国はまだない。世界保健機関(WHO)は、各国のデータを検討しており、国際的な情報も参考にしたい。ワクチン以外の対策もあわせ、新型インフルエンザに総合的に備えることが重要なことはいうまでもない。

 WHOがタミフル備蓄を唱道していたわけですよ。

読売社説 海自警護活動 海賊対策の実効性を高めよ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 巡視船の供与などを通じて、イエメン、オマーンジブチなど周辺国の海上保安機関を育成・支援することも大切だろう。
 近隣国の海保能力向上の重要性は、東南アジアのマラッカ海峡付近の海賊被害が近年、大きく減少したことで実証されている。

 国際的にはこれが評価されているのだけど、ソマリア海域の件では、私の認識違いかもしれないけど、すっかり中国に出し抜かれてしまった。
 もともと日本はキンタマレスな国で米国に従わなければならないにしても、もうちょっとNATOとの連携の手はあってもよかったかと思う。
 すべて手遅れとは思わないが、遅れた分、じっくり日本らしい対策を取るほうがよいと思う。

朝日社説 かんぽの宿―大山鳴動して何が残った : asahi.com(朝日新聞社)

 「安すぎる」に関しては、総務省は独自に不動産鑑定をし、売却対象となった79施設は推計「約250億円」になる、ときのう発表した。
 鳩山総務相の疑義はもともと、施設の購入・建設に2400億円かかったものを「109億円」では安すぎる、というものだった。だが、実際には建設時の10分の1に下がっていたと、総務省みずから認めたことになる。
 かんぽの宿は毎年40億〜50億円の赤字が出ている不採算ビジネスだ。事業を続け正規・非正規従業員3200人の雇用も続けるのが条件なら、買う方の企業は「もっと安くなければ」と考えるだろう。109億円になったとしても不自然とは言い切れまい。

 100億円なんかがたがた言うなという論調を朝日新聞で読む日が来ようとは。

 もし入札に出来レース、つまり不正行為があったなら、日本郵政の経営陣が法的に問われかねない話だ。総務省はその調査結果を先週末に発表し、日本郵政に業務改善命令を出した。
 しかし、そこであげられた16の問題点は、「収益改善に努めたあとで売れば、より高い売却額になった可能性がある」など、どれも改善が望ましい点や手続き上のミスにとどまった。意図的で悪質な「不正」と呼べるような事実は見いだせない。

 出来レース=不正行為、というのは朝日のよくない修辞。
 この問題、おそらく不正行為はないのだろうと思う。現下の範囲の小沢疑惑みたいに。
 だから、問題なんだということでもあるのだろう。

朝日社説 イスラエル政権―対話の流れに逆らうな : asahi.com(朝日新聞社)

 そんなに悪い社説ではないというか、これはこれでよいのかもしれないのだけど、私はちょっと読みが違う。

 右派政党の勢力が伸びた2月の総選挙は、ガザ侵攻の直後、国民の間に戦時下の緊張した空気が色濃く残る中で行われた。その揺り戻しなのか、政権発足直後の世論調査では、新政権に「満足」は3分の1以下、「満足していない」が半数を超えた。特に新外相への支持は4分の1という低さだ。

 「揺り戻し」ではない。というか、朝日はガザ侵攻と右派勢力を対ハマスで同一視しているがこれは逆の動きだ。むしろガザ侵攻はどちらかというと左派的な動きで、ネタニヤフの力を削いだ。もちろんその反発がベイテイヌに流れた面はある。またネタニヤフというのはそれほど右派というわけでもない。というか、日本から見ていると、どうしても表層的な右派左派としてしか見ていない人が多いが非常に複雑だ。ガザ侵攻についてもそういう面があった。
 総じて言えば、イスラエルは穏健派が多く、米国の立場に近く、パレスチナとも穏当にやっていこうとはしているというか、ユダヤ人として見るなら世界にはイスラエルアメリカという二国があり、その二国の連携は強い。

 それには、曲がりなりにも民主的な選挙で多数派となったハマスを何らかの形で認知することだ。イスラエルパレスチナ双方で、強硬派が選挙民の支持を得ている。この現実を見据えることから出発するしかあるまい。

 ハマスの承認は必要なのだが。
 以前になるが⇒極東ブログ: 国連がハマスに資金供与の疑惑?
 これはファタハの関係もあって微妙なのだがハマスが民衆の支持にあるかというところが難しい。もちろん支持はあるのだが、民衆をどう統治しているのかの内実が問われなくてはならない部分がある。少し踏み出していうなら、ガザの市民を巻き込まない手立がないわけでもなかったようにも思える。また、この議論の基本は、ハマス武装解除もあるのだが(非国家が武装している状態ですんなり承認ともいかないでしょう)、日本ではあまり議論を見かけないように思う。
 話を全体に戻すと、論調はNHKのほうが優れている。
 ⇒解説委員室ブログ:NHKブログ | おはよう日本「おはようコラム」 | おはようコラム 「イスラエル新政権と中東情勢」

ネタニヤフ政権が、イランの核問題にどう対応するかが、今後の中東情勢の最大の焦点になるのは間違いありません。

 この問題をメタな正論で朝日は逃げてしまっているので、その意味ですっきりはするし、正義語りの人には受けるだろうが、現実的ではなくなってしまう。NHKのほうでは触れているが問題は、イスラエルの暴発のほうで、オバマがどれだけ抑止的に外交できるかなのだが、これは意外とヒラリーとの小競り合いというお家の事情で阿呆な結末になる可能性もゼロではない。

晴れ

 昨晩は夜桜が美しかった。寝付かれずそして早朝に起きた。五時台で外が明るい。しばし横になり、それから音楽を聴き、本を読む。昨晩に仕込んだ玄米粥を食べ、BSで「つばさ」を見る。なんだか、こりゃ年寄りみたいだな。夢は覚えていない。

人の内面の問題でもあるから議論対象ではないけど、

 君にイスラム教徒の友だちがいて、その親族が亡くなったとき、「ご冥福をお祈りします」って言う?
 他宗教の人には言わないけど、日本人同士なら言う?
 そのときの「日本人」って実は、宗教範疇にあるの気がつく?
 
 僕は昭和のほうが長い人生だけど、昭和時代にはこんなに「ご冥福」なんて言わなかったと思う。ゼロではないにせよ。
 昭和天皇崩御で「ご冥福」という人はいない。これは天皇についての表現ではないからというのもあるだろうけど、天寿に近い人にはあまり言わない。
 言うのは、無念な死に対してその親族の心情を思うという含みがあるのだろうけど、その無念さへの関わり方が、時代とともに変わったのではないか。
 死のもつ残酷さや無念といったものは、生きている人が担うべき部分がある。「ご冥福」として切り離せるものではなかったというか、昭和の時代には、そういう死への覚悟と共感があったと思う。
 
追記
 ⇒野暮な突っ込み、素朴な疑問。 - _

「これから生きていく人」が生きていく中で少しでも心の癒しになればいいなと願わずに居られない。そういう意味で「冥福を祈ります」って言葉を使う事はあるんじゃないかと思うんだけど。

 であれば、別の、あなたの言葉があるのではないかな。
 言葉はコードだから、相手にその意味が伝わる慣用句でよいというのもあるかもしれないけど、慣用句であれば、その慣用的な意味に自分の思いを控えることを意味すると思う。
  ⇒おっと酔っ払いというか泥酔状態で読む(気付く)べきではなかったな。 - _

オレの言葉はあなたには永遠に見えないし、読めない。読む必要がない。死とはそのようなものだ。

 もともとの話は、私とkyyonさんの関係の話ではなかったと思う。
 そして、私とkyyonさんの関係が、「オレの言葉はあなたには永遠に見えない」というのは、そう言っている時点で違うようにも思うけど、たぶん、私が嫌いということなんだろうと思う。それはそれでできるだけ受け止めておきたい。私は、私を嫌う人をできるだけ受け止めておきたいと思う。まあ、実際にはいつもそこでしくじるのだけど。
 
追記
 ⇒はてなブックマーク - 人の内面の問題でもあるから議論対象ではないけど、 - finalventの日記

fujiyoshisyouta 宗教, 龍騎の人 死者に対する礼節として「ご冥福をお祈りする」と述べる件。述べる側が確固たる宗教的観念に基づいてそう述べるなら、異教徒相手であってもべつに変じゃない。(但し、何かのタブーを犯すものでない場合に限る。) 2009/04/08

 複数の人々がまったく相容れない宗教信念である場合は?

hizzz アイデンティティ 特定信仰に帰依しないが、「鎮魂」これは死者と生者両方に必要なものだからこそ、冥と福を祈る。たとえその方が文字で知りえた存在だとしても、魂を込められて綴られた生の奇蹟を「魂」として共有したのだから。 2009/04/09

 特定の信仰ではない「鎮魂」「死者の魂」ってあるだろうか?

マクロバイオティックスのこと

 これ読んで思った⇒マクロビオティックの概念を少し読んでみた - 栄養学のメモと活用
 ぶくま⇒はてなブックマーク - マクロビオティックの概念を少し読んでみた - 栄養学のメモと活用
 で、そのエントリはそれほどということはないのだけど。
 そして以下、私の話はもう20年前のことなんで現在は違うかもしれないなのだけど。
 では。
 マクロバイオティックスなんだけど、「マクロビオティック」と日本では言われていると思う。
 ウィキペディアもそうだった⇒マクロビオティック - Wikipedia
 これは日本で創始されてそう言われているのだからそう、みたいな話。
 で、ウィキペディアの項目を読んでみたけど、まあ、そう間違ってもいないけど、これではわからないのではないかな。

マクロビオティック (Macrobiotic) とは、長寿法を意味する。第二世界大戦前後に桜沢如一が、自ら考案した食生活法や食事療法の名称として広めたことから、現在ではこの意味で用いられることがほとんどである。食生活法は欧米でも普及している。

 創始は桜沢如一というのはいいし、そして一応起源は石塚左玄。石塚は、医師ともいえるのでその思想を探るのはおもしろいのだけど、どうしてもマクロバイオティックスの系統から考えられがち。でも、簡単にいえば、石塚は時代的な制約があって、まあ、歴史的な考察対象としてよいと思うし、桜沢の珍妙な考えにそう結びつけなくてもよいかとは思う。
 で。

日本古来の食事のように、玄米を主食、野菜や漬物や乾物などを副食とすることを基本とし、独自の陰陽論を元に食材や調理法のバランスを考える食事法である。現在では桜沢如一の説を土台として、さまざまな分派が存在する。

 というわけで、分派がいろいろある。
 そして、この分派をどう考えるかがけっこう重要。何にとって重要というのは説明しづらいけど。
 で、自分なりに見ると。

  1. 桜沢如一の原典と活動記録
  2. 桜沢里真の食の展開
  3. 久司道夫の海外での活動
  4. 大森英桜のオカルト的展開

 と岡田周三も関西の展開(和食的)であってもよいかもしれないけど。
 で、いわゆる有名なマクロバイオティックスは、久司系です。つまり、米国流というか。桜沢自身はフランスに拠点を置いていたこともあるのでその系統もあり。
 で、当時は桜沢里真先生が存命でしかも、その存命そのものがマクロバイオティックスだったので、その敬意でそれなりに統一されていたと思う。
 ただ、大森英桜は久司道夫とは実質はまったく別とも言っていい展開になっていた。このあたりをどうとらえるかというか、ようするに、大森英桜という人の思想をどうとらえるかということになる。というか、大森英桜も05年に亡くなって、その思想はどう継がれているか、もうわからない。ほとんどオカルトだと思う。
 桜沢には、

  1. 国際性
  2. 食養
  3. 陰陽論

 の3つの側面があって、国際性と食養をバランスよく次いだのが久司。菊池富美雄もそうした面を継いでいた(ブラジルの話はおもしろい)。食養をある程度体系的にしたのが里真。陰陽論は大森なんだが、大森の場合は、桜沢の手当も深化させていた。
 私はこのなかで今も関心があるのは、桜沢の国際性で、ある意味、明治の日本人らしい一面と思想があった。
 ⇒桜沢如一 - Wikipedia

戦時中は夫人で食養料理研究家の桜沢里真の実家のある山梨県疎開。戦後は世界連邦運動に取り組む傍ら、再びインド・アフリカ・欧米など世界各地を訪ね、マクロビオティックの普及に注力する。1955年には、アフリカ・仏領ガボンにてアルベルト・シュバイツァー博士と会見し、西洋医学、栄養学の限界とその改善を進言するが受け入れられなかった。

 このあたりの一種戦記物みたいな話は非常におもしろかった。書籍化されていないものもあるかと思う。
 栄養学的にはマクロバイオティックスはナンセンスだと思う。
 ただ、自分はもっとも厳格なのを半年やって、いろいろ思うことはあった。基本的に、里真先生の国際体験や日本各地の伝統食の見直しなどはおもしろかった。CI協会では食品も売っていたのだけど(今でもそうかな?)、記憶に残っているのは、栃の実だった。なんというのか、古代を思わせる味がした。あれは機会があったら、食ってみるとよいと思う。
 ほとんど聖典エスニック料理がけっこうある)⇒「 マクロビオティック料理: 本」
 マクロバイオティックスは、大森的には、穀物食の思想で(晩年は貝とは食わせていたようだけど)、それを、人や日本の正しい思想のように見ていた。
 私は、人間種は、フルーツイーターでかつ魚食、なんじゃないかと思うし、穀物食の農耕というのはある意味、人類倒錯の偉大な一歩だったんではないかなと考えている。
 易学から桜沢の陰陽論を見ると、単純にでたらめと思う点もある。まあ、このあたりもどっちもナンセンスな体系なんでどうでもいいのだけど。

なんでマクロバイオティックスなんかやっていたかって?

 以前も書いたけど、また。
 ちょうど一人暮らしを始めたころで。
 海が近くて、魚とかがおいしかったので、当初は魚とか食っていて。
 で、肉とかは苦手で。というか、肉を食うのがいやで。生き物を殺して食うのはやめたいなとずっと思っていた。
 魚もそれなりに血とかどばどば出て生臭いので、そうだな、オレ、ヴェジタリアンでいいじゃんとか思った。で、なんとなくマクロバイオティックスとか米国文化経由で知っていたしみたいなのりで、菜食を始めた。
 そのうち、これってきちんとやったらどうなるんだろう?と思って、卵も乳製品もやめた。(生ゴミとかすごく減る。)
 これ、やっていると、なんというか、逆の麻薬というのじゃないけど、どんどん、動物性ものが食えなくなる。
 河口慧海もそうだったけど、肉食の人が近づくと、臭いと感じられるようになる。
 まあ、そんな感じ。
 そして、マクロバイオティックスってそれなりにいろいろ食に工夫をするし、今まで食ったことのない食もあって、のめりこむみたいな。三育フードとかも。
 で、30にもなって失恋とか5年以上も引きずったけど、遊び仲間には事欠かなかったし、でも、一人の時間も多くて、自然食レストランや菜食レストランやインド料理、精進料理とかよく食い歩いた。
 ここおいしいですよ⇒未来食アトリエ風
 まあ、おもしろかったです。
 体重は50kgを割りそうになった。友だちから即身成仏と言われた。あんた死ぬからやめてとも言われた。(風邪は引きづらくなる。疲れやすさは変わらない。頭は冴えない。)
 で、そのままそういう人生だったかもしれないけど、転機があって、なんというか現世に戻ってきた。
 その揺り返しというわけではないけど、エスニックとか食って、スプラッタ料理もよく食べるようになった。沖縄で暮らしたときも、本土の人はこれ食べられないでしょうと言われたものは、全部食えた。台湾料理と同じ食材じゃん、みたいな。
 最近はさすがに蜂の巣トマト煮とか食えませんが。