日経春秋 春秋(11/4)

流れる文章の中で、特定の語句が雲のように浮かび上がる。いきなり巨大な文字に化けたり色や形が変わったり。ネットでよく見かける視覚的な表現手法だ。詳しい人は「タグ・クラウド」と呼ぶ。直訳すれば「付箋(ふせん)の雲」だろうか。

 まあ、ここでツッコミはしない。いいんじゃないの。

きょう米国は大統領選の投票日を迎える。優勢が伝えられるオバマ氏は「チェンジ」を叫び続けた。対するマケイン氏も変革を訴える。ところが長い選挙戦の間に、新しい指導者を待たずに、米国の姿はすっかり変化してしまった。どちらに決まるにせよ、演説の付箋が「金融」や「景気」に付くのは間違いない。

 英語で、この場合、「金融」や「景気」って何というのだろうか。またそれらがキーワードとしてどう上がるのだろうか。そこがどうもイメージしづらい。

産経社説 【主張】インフルエンザ 徹底したいワクチン接種 - MSN産経ニュース

 徹底したいのはワクチンの接種である。インフルエンザウイルスは突然変異を繰り返すため、世界保健機関(WHO)は毎年、その冬にはやるウイルスのタイプを予測し、それをもとに各国がワクチンを製造する。近年はこの予測が的確に行われ、着実に効果を上げている。

 それはそうとも言えるのだが、そう割り切れない部分はあるかな。

晴れ

 冬の空気ではない、晩秋の朝だなという感じだが、まだ紅葉は早そうだ。
 夢は。詳しくは覚えていないが、なにかの騒動でそこにいた赤ちゃんを背負っていくというもの。赤ちゃんくらいどうってことはないだろうと背負うのだが、これが重たい。人間の重みかとか思っている自分がいる。
 このところ、エキササイズ量が減っていかんな、やや風邪気味というのもあったりするなと思いつつ、奇妙に感性が若くなっている部分がありそうだ。老化の過程というのは単純に減衰していくのではなく、ある部分は補償的に鋭くなるのだろうか。
 私は悔いの多い人生だし、青春もまあそれなりに悲惨だったが、さすがに若い頃の経験は他人事のような乖離感はある。が、逆にその乖離感ゆえにその感覚が純化されているような感じはする。
 では現実的に、ゲーテとまではいかないが、あるいは西洋男性の初老にありがちな恋心みたいな心があるかというと、そこは微妙というか。現実問題として50歳というのは、はてななどで爺呼ばされるされているほどには爺ではない(もっとも20代、30代の自分が50代の人間をどう見ていたかという記憶はあるが)。これは60では決定的にもう爺化するのだろう。というか、これから日々そうした老化に向き合うのだが、がというのは、この心のありかたというのは、存外に難しいぞと思う。いやそういう陳腐な表現とも違う。40代になったころは、ユングや河合が中年の危機というのをいろいろ言っていたことを思い出し、ゆえにその時代には思うこともあったが、50代になるとそれとはなにかが違う。ある意味で40代の危機を招くような悪因は制御しやすくなる。
 吉行淳之介の最後の作品と言っていいだろう「夕暮まで」で主人公の佐々が、昨年だったか読み返して、まだ40代くらいだということが不思議に思えた。明らかに60代を終えた吉行の心が入っているのだが、佐々の心の動きや性的な体の動きは40代に近い。作品上、20代の女とからませるのでそうしているのだという部分はあるだろうが。
 ある意味で性の問題でもあり、それでいうなら日本の文学では谷崎や川端という怪物がいるのだが、また、伊藤整などもそうなのだろうが、どうも実際に自分が老いのとば口に立つと、何かが違う。
 以前も書いたのだが、人の心というのはどうも老いない。40歳あたりからなんか変だと思うようになった。私は基本的に心性としては25歳を超えていないどころか、ある感性のクラスターは14歳くらいで止まったままだ。ある種の呪詛のようなものでそこで止まっている部分はあるし、実際のところ身体感覚に無意識にすり込まれた老いの狡猾さみたいなものはあり、そのあたりは自動運転しているなら、なるほど中年のオッサンですなみたいな様相を出すことはできる。このあたりはたぶん語っても逆に理解されるだろうか。つまり、オッサンが本体なのに若いふりだと思い込みたいとか。まあ、そうかもしれないが、内観としてはそうではない。
 ただ、現実問題として向かう対性、つまり女という問題になると、30歳くらいまでの女は「子」として見える部分が大きい。はてななどネットではべたに若い子が多いのか、巨乳がみたいなネタがあるが、自分はあれは、人類が生物的に存続するしかけだなというふうに見えつつある。たぶん、老いというのはそうして人類として存在したことの巨視的な意味了解の過程でもあるのだろう。
 なぜそのような過程があるのかと考えると、内田先生のようなオカルトになってしまうし、実際のところそうしたオカルト的思考というものは避けがたいのではないか。先生のようにするっと合気道の構えでそれが受け入れらるというのは自然な生き方なのかもしれない。

LIBORメモ

 ⇒asahi.com(朝日新聞社):LIBORが引き続き低下、スプレッド縮小 - ロイターニュース - ビジネス

 [ロンドン 3日 ロイター] 3日の欧州インターバンク市場で、LIBOR(ロンドン銀行間取引金利)が引き続き低下した。3カ月物LIBORとOIS(オーバーナイト・インデックス・スワップ)のスプレッドは縮小した。

 微妙に感慨深い。
 おまけ⇒asahi.com(朝日新聞社):ユーロ圏は既にリセッション状態、来年はほぼゼロ成長に - ロイターニュース - ビジネス

女の子から恋愛相談を受けるときの3つのコツ

  1. ごたごたな関係のディテールを聞き出す
  2. 彼のポジションに自分が嵌ることができるか計算する
  3. 嵌ったあとの事後処理計画してそのあたりからなにげに未来のビジョンを語る

inspired by 女の子から恋愛相談を受けるときの3つのコツ : ライフハッカー[日本版]

微妙に釣りっぽくないディテール増田

 ⇒離婚なんかしたくねえよ。不倫ってどういうことだよ。

学生時代から交際して10年。結婚してから3年。

でも、妻にはどこか凄く冷淡なところがあって、それが気になっていた。
言葉ではうまく表現出来ないが、例えば俺の身に何かがあった時にも、
静かに悲しみはするが、取り乱したりはしないだろうな、という感じ。
 
妻が出て行った後の部屋で、その感覚を思い出していた。
妻は、小さな嘘はつかないが、大きな裏切りは出来る人なんだと気づいた。

 小説だったら、うまいなと思う。
 でも、たぶん、小説ではないんでしょう。
 いや、文章、ちょっとうますぎるか。
 
 たいていの女は恋愛スイッチが変わればそこで過去と現在は別の世界になる。まあ、すべての女がというわけではないが。
 こうしたケースでよりが戻ることもある。
 小説だと主題はその「よりの戻し」と喪失だろうか。ちょっと違うな。本当だったら、なんか他人の悲惨を遊んでいるようで悪いけど、難しいね。
 「け、あのアマ、裏切りやがって」とか言える男っていうのもあるけどね。それはそれで荒廃した人生であるし。

小室哲哉についてはほとんどなんにも知らない

 ケロロの曲作っていたような。これけっこう好きだな。

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サイクリングリサイクル: きりん, 小室哲哉: 音楽
 ⇒YouTube - Keroro Ed 7
 ⇒YouTube - サイクリングリサイクル PV full
 いい歌だなあ。泣けるなあ。オレにはどうしてももう青春っていうのがないんだろ。
 小室哲哉についてはほとんどなんにも知らない。いや別に、誰かが、どっすかとか私にきいてきたわけではない。
 ただ、なんとなくだけど、詐欺するつもりはなかったんじゃないのとか思う。
 彼は私より一歳年下。若作りでよいなうらやましいと思う。
 見方に拠っては相応かもしれないが⇒大阪地検に入る小室哲哉容疑者(読売新聞)
 よくわからないが本当に金欠なのかもしれない。

今日の一冊 No.7 私的生活」田辺聖子

 ⇒内山理名さんの私の1冊「私的生活」田辺聖子 | NHK 私の1冊 日本の100冊

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私的生活 (講談社文庫 た 2-8): 田辺 聖子
 微妙。「言い寄る」「私的生活」「苺をつぶしながら」の3部作の一つ。乃里子シリーズというやつか。
 内山理名というのは名前しかしらない。顔で識別できない。
 ⇒内山理名 - Wikipedia
 ⇒田辺聖子 - Wikipedia
 あまり情報がない。
 「私的生活」は1976年のもの。「言い寄る」が74年、「苺をつぶしながら」が82年。
 読むとしたらどうしてもその背景が、自分には重たいかな。
 番組としては、変な番組だった。
 内山の後ろにモディリアーニの裸婦がある。偶然なのだろうかと思うのだが、作品の解説に、裸のマネキンがイメージとして登場する。たぶん、これは、紹介する作品の乃里子の暗示であり、そのエロス的なものを無意識に内山に重ねようとする演出なのかもしれない。それほど不快ではないが、なぜこういう作りするのかよくわからない。朗読は関西弁で、それはそれであっているのだが、がというのは、私は関西弁の恋愛というのがどうも受け付けないというのはある。
 まあ、なにかと微妙。