朝日社説 北朝鮮制裁―柔軟な使い方が肝心だ : asahi.com:朝日新聞社説

 ちょっと直感的にいうと北朝鮮はこのところなんかおかしい。あまり報道されていないが、中国は経済支援を強めている。

 ただ、隣国に制裁を科すというのは、極めて異常な状態であることを忘れてはならない。

 そうでもない。厳密には制裁とは違うかもだけどキプロスとかの歴史など。ちなみにキプロスは進展があった。

 日本政府も今後、独自制裁のカードをうまく使うことを考えなければいけない。申告や無能力化が実現されれば、柔軟に動く。そんなしなやかな外交力を発揮してもらいたい。

 「申告や無能力化が実現されれば」と期待を持っているのは朝日新聞くらいかな。ちょっと現実離れした仮定で期待を述べても社説は無意味になる。
 まあ、その仮定は私も期待するのだけど。

朝日社説 ビラ配り有罪―社会が縮こまっていいか : asahi.com:朝日新聞社説

 この話題をフォローしてないのだが最高裁判決が出たのかな。

 気がかりなのは、今回の最高裁判決で、ビラ配りなどがますますやりにくくなり、ひいては様々な考えを伝える手だてが狭まっていくのではないか、ということだ。これでは社会が縮こまってしまう。

 「様々な考えを伝える手だてが狭まっていく」というのとはあまり関係ないでしょう。むしろ、ビラ配りによって戸口にまで見知らぬ人が来るのを許容するための寛容性に現代の状況からすれば地域は疲れてしまうし、実質ビラ配りはビラの内容より、そのような活動者たちが一種の示威行進しているような部分に影響力があり、実際には地域への威嚇のように思われている現実がある。
 単に時代が変わると考えるだけのことではないか。

【ベタなギャグ】日本国民に告げる その2

 われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
 政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の体計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。
 われわれは今や少数の有志にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。
 法理論的には、日本の現状が違憲であるのは明白であり、国の根本問題が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、日本人の魂の腐敗、道義の頒廃の根本原因をなして来ているにを見た。もつとも名誉を重んずべき法の正義が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。
 憲法は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。憲法は国法たりえず、建国の本義を与えられず、権力層の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。
 少数の有志が目覚める時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。少数の有志が自ら目ざめることはなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。
 憲法改正によって、建国の本義に立ち、憲法が真の国法となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
 われわれは、日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。
 生命以上の価値なくして何の国家だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
 それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
 もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望する。

 元ネタ⇒三島由紀夫の檄
 今回はちょっと書き換えが多いけど、大した書き換えるだけでこんなものができるというべたなギャグでした。
 三島の主眼は自衛隊憲法と日本国家のアイデンティティにあった。が、基本の構図は、理想対現実における、正しいが空理と語られない現実変化の対立で、正しいが空理が過激な思想に転化すること。
 日本はあまり変わっていない。というか、この70年問題がさらに悪性になって広く日本を覆っている。
 まあ、歴史を学びましょうぜ。
 
追記
 参考⇒★★★ 日本再生ネットワーク 「ニュース保存用」 ★★★ : ◆【私の中の25年】三島由紀夫 果たし得ていない約束 恐るべき戦後民主主義

 二十五年間に希望を一つ一つ失って、もはや行き着く先が見えてしまったような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大(ぼうだい)であったかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使っていたら、もう少しどうにかなっていたのではないか。
 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。

こういうのは陰謀論とは言われないなんだよね

 香織丹御苦労様。
 ⇒チベット騒乱:新華社の公式分析読んでみる?:イザ!
 しかし、そういう考えもあるのかというのはそれなりに読んどくといいかも。

長いです。飽きずに最後まで読んでもらうためには、つっこみやら意訳を入れたいところですが、今回は自重。読者各自でつっこんでやってください。

 ま、そうします。

日本だとベースのリスクが意外と低いんですけどね

 ⇒Trans-fats may hike breast cancer risk - Cancer- msnbc.com

WASHINGTON - Trans-fats, which are being phased out of food because they clog arteries, may raise the risk of getting breast cancer, European researchers reported on Friday.

昔の郵便局みたい

 へぇ⇒セブンイレブン、学校内などに小型コンビニ・2年で100店 : NIKKEI NET(日経ネット):主要ニュース−各分野の重要ニュースを掲載
 つうかキヨスク

 セブン―イレブン・ジャパンは学校、病院、工場向けに小型コンビニエンスストアの出店を始める。最も狭い場合、標準店(約150平方メートル)の4分の1の40平方メートル程度の「ミニ」店とする。まず2年で100店を出す。地価上昇で用地手当てが難しくなっており、他店と競合が少ない入居型店を新たな収益源とする。

時代だなあ

 ⇒米兵脱走なら逮捕要請・米側が都道府県警に、日米が基本合意 : NIKKEI NET(日経ネット):主要ニュース−各分野の重要ニュースを掲載
 それはそういうことなんだろうけど、ベトナム戦争のときは、脱走兵は違った意味合いがあった。

まあそうかな、そろそろ日本もやばい立ち位置

 ⇒CNN.co.jp:国連事務総長、五輪開会式を欠席 数カ月前に中国へ連絡と

国連本部――潘基文国連事務総長の報道官は10日、事務総長が今夏の北京五輪の開会式に参加しないと述べた。中国政府に対しては既にこの意向を数カ月前に伝えたという。

聖火リレーとナチス

 ⇒Pageantry and Protest - washingtonpost.com

Apologists for China claim that the Olympics are not the place for political protests. That's nonsense. The Games have always had a political dimension, especially when emerging powers have used them to announce their arrival on the world stage: Japan in 1964, South Korea in 1988 -- or Nazi Germany in 1936. The torch relay was invented by Adolf Hitler, who routed it through countries he would soon invade before overseeing a final leg featuring a blond, blue-eyed runner ushering the flame into Berlin's Olympic stadium. We count it as progress of a sort that 72 years later, a police state can't celebrate itself that way without drawing a few Bronx cheers.

うるさいはてダと静かなはてダ

 ⇒たこつぼ - jkondoの日記

多くのイノベーションが、流行に敏感なアーリーアダプターによって発見され、拡大していくのは常であるし、先端的なユーザーに人気があること自体は非常に良い事だ。ここを欠いてはいけないのはもちろんだが、問題はそこから、そこから1000万人、1億人に届くものを作ろうという気持ちを忘れてしまわないようにしたい。そのためには、たとえば自分の恋人や奥さん(旦那)、友人にも使ってもらえるものか、両親、子供にも自信を持って勧められるか、そういう視点を欠いてはいけないと思う。サービスの構想、設計に携わる者は特に、ネットの最新技術や動向を追いかける一方で、きちんと人と接していこう、仕事以外でも人と会い、話していこう、という話をした。

 特に異論はないし、がんばってちょ。
 で、思ったこと。たいした話ではないよ。
 私ははてなダイアリーを2003年8月14日から書いている。で、ここは当初「極東ブログ」だった。
 もともと別サイトに独自CGIを設置し試験していたし、MTもちょっと考えていた。
 独自CGIにしたのはMTはちょっとなという印象があの時代はあった。武田徹さんはいまだに掲示板使っているが当初はそういう形態も考えた。それにしても現代で掲示板っていうのはなんなんでしょ感はある。
 当時のMTはまだまだ理系的というかプログラム志向の人たちの実験っぽかった(のちにkanoseさんが極東ブログを文系ブログとして注目してくださった)。
 がそのうち、やっぱMTだなという感じはつかめた。
 MTをインストールして思ったのは、これはトラフィックが問題だな、という印象はあった。ので、土管屋さんが始めるまでまってようかなと思っていた。
 はてなとの関わりは、人力回答だった。3か月くらい答えていたかな。上位3位に入ったことがある。
 そのきっかけではてなを使ってみた。
 はてな版「極東ブログ」で自分ではブログのつもりだったのだが、はてダにいて思ったのは、コミュニケーションの濃さだった。というか、他の人のダイアリーがどうしても気になるようにできていた。
 当時のはてダは本当にべたなダイアリーだった。もともとtDiaryがそういうものでできていた、っていうか、日付で管理。エントリー概念はなかったし、エントリのパーマリンクもない。
 で、当時のはてダを思い出す。
 静かだったと思う。
 そのうち、はてダが変わってきた。「極東ブログ」はその年の12月にniftyに移行した(そのときからこちらはこんな感じ)。いちおう最上クラスのTypePadなんで月額1000円くらい。ココログに月額1000円払っているというのは俺くらいかな。ま、初期利用者はそうかな。その後のココログについては、けっこうがっかりすることは多かった。
 で、はてダがいつごろからか、友だち的というのか、話題的なクラスターができはじめた。ただそのころは静かだったので、それほどは見えない。無体さんがタホイヤ(たほいや)とかして盛り上がっていたけど現在のうるささではない。
 はてブでうるさくなったのかはよくわからない。そのうち、四月馬鹿で「はてなブログ」というのがあったが、その後、本当にブログ化してしまった。
 もちろん、今でも当時のレベルで静かなはてなダイアリーが存在している。
 そういう静かさに出会ったときは、私は、ぶくまとかしない。
 というか、静かなダイアリーにはぶくますんじゃねーよとか思うというか、いつのまにかそういう自分がうるさい世界の前面に出てきてしまったのでそう思う。
 現実のブログの世界はというと、静かな世界はあるにはあるけど、どうしても喧噪がベースになっているし、書いているとよく読まれたいというよりPVを得たい、ぶくまされたいというニーズは上がってくる。
 しかたないのかもしれない。

いやさ、トラバのゴミっていうのは広告とかのことだよ

 わけのわかんない広告のトラバがすごい多いんだよ。
 ⇒ ゴミの送り方 - けろやん。メモ

の指摘に感謝しろ!というように、id:finalventと書くと多分ゴミが届くと思いますよ。はてなダイアリーでは。

 「回転木馬のデッド・ヒート」はあっちのエントリにトラバしてくれると吉。いちおう許可制なのであとで表示されるはず。
 あと、ここへのトラバは編集画面で見えるのでたいていは見ています。
 この件でいうと、それ以降収録されていたような。
 で、と。
 コメント欄もはてなユーザーに閉じているし、その意味ではここはあまり開放的ではないですね。率直にいって2ちゃんモードになってしまうと対応できないや俺というのはあります。
 あと、あっちのエントリの騒がしいコメントはあとで別位置に移転しようかなと思っています。後の人があのコメント群を見てもあまり益はないし。

serenity

 自分ではほとんど使わない言葉だが、英語聞いていてなんどかキーワードのように出てきて、この語感をちょっと考えた。
 tranquilityとは全然違う。
 placidityには近いのか。
 辞書を見ると、a state of peace and quietとあるから、メンタルな含みがあるのだろうな。
 日本語だと「平穏」だろうか。
 「静寂」ではないな。
 「しずけさ」というのは和語ようでいて日本語の語感はうすい。
 「おだやかさ」というのは近いように思うが、と字引を引くと、葡辞書に用例があり、ほおと思った。
 和英を引くと、穏やかな calm; quiet; peaceful; mild; gentleとくるな。たしかに、gentleという語感に近い。
 西洋の建築とか見ていると、石と空間による、威圧感とも言えない静寂への志向はある。
 serenityはしかし海とか湖の語感がある。
 字引をつらつら見る。serenでa seren summer dayというフレーズがある。うらうらに照れる春日にひばり上がりという感じか。しかし、心かなしもというわけでもない。
 いずれも遠景の感覚はあるな。大森荘蔵の風情(ふうじょう)のような。
 語根は、ラテン語でsernusでClearということ。ほぉ。
 霧晴れる遠景か。
 日本語の穏やかさというのはぼんやりした感じがあり、ちと違う。

ひさぶりに夜のポエム

 
遠くから見ると茸のような岩の町の
ときおり硬い金属の音のするような曲がり角を
黒づくめの老婆たちが
網を折るように行き交っていた
私は窓のないバスで見ていたのだが
低い松がひとつあるところで呼び鈴のひもを引いて降りた
鋭角な夕陽が私の影を引きはがそうとしている
どこに行くわけでもないし
このまま夜を迎えるのかもしれないと思いつつ
手に持ったエビアンの蓋をひねり一口飲む
昨晩の大きなうさぎのような少女は
メディナで生まれたのよと言っていたことを思い出す
あなたはなぜ悲しい歌を歌うことができないのと
私を罵ったが私には思い当たることはなかった
それでもこのカードはあなたのカードでしょ
私たちのお母さんじゃないのと
手渡したクイーンのカードが笑っていた
ゆで卵を頬張った男が私たちを見て
そっと目を背けたとき
砂埃を吸った汗の臭いがした
遠くから青いボンネットのトラックがやってきて過ぎる
たぶんメディナはこの近くだろう
砂の臭いがそう思わせる
――わかっているじゃないの
風に織り込まれた彼女はつぶやく
――大丈夫ミサまでには間に合う