うるさいはてダと静かなはてダ

 ⇒たこつぼ - jkondoの日記

多くのイノベーションが、流行に敏感なアーリーアダプターによって発見され、拡大していくのは常であるし、先端的なユーザーに人気があること自体は非常に良い事だ。ここを欠いてはいけないのはもちろんだが、問題はそこから、そこから1000万人、1億人に届くものを作ろうという気持ちを忘れてしまわないようにしたい。そのためには、たとえば自分の恋人や奥さん(旦那)、友人にも使ってもらえるものか、両親、子供にも自信を持って勧められるか、そういう視点を欠いてはいけないと思う。サービスの構想、設計に携わる者は特に、ネットの最新技術や動向を追いかける一方で、きちんと人と接していこう、仕事以外でも人と会い、話していこう、という話をした。

 特に異論はないし、がんばってちょ。
 で、思ったこと。たいした話ではないよ。
 私ははてなダイアリーを2003年8月14日から書いている。で、ここは当初「極東ブログ」だった。
 もともと別サイトに独自CGIを設置し試験していたし、MTもちょっと考えていた。
 独自CGIにしたのはMTはちょっとなという印象があの時代はあった。武田徹さんはいまだに掲示板使っているが当初はそういう形態も考えた。それにしても現代で掲示板っていうのはなんなんでしょ感はある。
 当時のMTはまだまだ理系的というかプログラム志向の人たちの実験っぽかった(のちにkanoseさんが極東ブログを文系ブログとして注目してくださった)。
 がそのうち、やっぱMTだなという感じはつかめた。
 MTをインストールして思ったのは、これはトラフィックが問題だな、という印象はあった。ので、土管屋さんが始めるまでまってようかなと思っていた。
 はてなとの関わりは、人力回答だった。3か月くらい答えていたかな。上位3位に入ったことがある。
 そのきっかけではてなを使ってみた。
 はてな版「極東ブログ」で自分ではブログのつもりだったのだが、はてダにいて思ったのは、コミュニケーションの濃さだった。というか、他の人のダイアリーがどうしても気になるようにできていた。
 当時のはてダは本当にべたなダイアリーだった。もともとtDiaryがそういうものでできていた、っていうか、日付で管理。エントリー概念はなかったし、エントリのパーマリンクもない。
 で、当時のはてダを思い出す。
 静かだったと思う。
 そのうち、はてダが変わってきた。「極東ブログ」はその年の12月にniftyに移行した(そのときからこちらはこんな感じ)。いちおう最上クラスのTypePadなんで月額1000円くらい。ココログに月額1000円払っているというのは俺くらいかな。ま、初期利用者はそうかな。その後のココログについては、けっこうがっかりすることは多かった。
 で、はてダがいつごろからか、友だち的というのか、話題的なクラスターができはじめた。ただそのころは静かだったので、それほどは見えない。無体さんがタホイヤ(たほいや)とかして盛り上がっていたけど現在のうるささではない。
 はてブでうるさくなったのかはよくわからない。そのうち、四月馬鹿で「はてなブログ」というのがあったが、その後、本当にブログ化してしまった。
 もちろん、今でも当時のレベルで静かなはてなダイアリーが存在している。
 そういう静かさに出会ったときは、私は、ぶくまとかしない。
 というか、静かなダイアリーにはぶくますんじゃねーよとか思うというか、いつのまにかそういう自分がうるさい世界の前面に出てきてしまったのでそう思う。
 現実のブログの世界はというと、静かな世界はあるにはあるけど、どうしても喧噪がベースになっているし、書いているとよく読まれたいというよりPVを得たい、ぶくまされたいというニーズは上がってくる。
 しかたないのかもしれない。