今日の大手紙社説

 今日からまたエントリ分けに戻してみた。あとで自分で検索参照するのにこのほうが便利だから。ま、無駄にエントリは増えるけど。
 全体としてれいの情報源秘匿関係に顕著だけど、新聞社が対ネットメディアということなのか、こごまって連帯意識を持ち出したようで、なんだかなという感じはする。放言めくけど、そんな社説書きたいわけでもないでしょと新聞社の人も思っているに違いない。

日経社説 トルコとの同盟損なう米決議

 ああ、日経が触れましたか。
 これはさっき読んだ⇒とりあえず背中は撃つな、背中は : 16OCT07 - セカンド・カップ はてな店
 というのに近い印象を持つ人は多いだろう。
 当の米国ジャーナリズムはというと。
 ワシントンポストWorse Than Irrelevant - washingtonpost.com
 これ極東ブログで扱うべきかちょっとためらっている。まあ、ありがちに議会がすべったなというか。
 背景は⇒極東ブログ: アルメニア人虐殺から90年
 関連⇒極東ブログ: トルコのEU加盟問題近況メモ
 関連⇒極東ブログ: 幻想のクルディスタン、クルド人

産経社説 【主張】少年調書漏洩 医師一人の問題ではない

 おや、産経もか。内容な特にどってことなし。

 少年事件の真相を著書で追求していくこと自体は意味があるし、そのためには表現・出版の自由も最大限尊重されねばならないが、情報源を守るのがジャーナリストの大原則であることを忘れてはならない。

 といいつつ、米国でのニューヨークタイムズあたりの騒動はあまり日本では関係ないのか。
 ⇒情報源の秘匿 - マルチメディア/インターネット事典

米国の元駐ガボン大使の妻がCIA(米国中央情報局)の工作員だったと、保守系のコラムニストが暴露したCIA工作員情報漏えい疑惑で、この情報を流した情報源の開示を巡るCIAの実名報道問題について、新聞ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)と雑誌タイム(TIME magazine)誌が「米国の報道守秘権法(Press Shield Law)」を訴えた上告を米国連邦最高裁判所が2005年6月27日に棄却し、情報源を明らかにする命令を下した。しかし、タイム誌の記者マシュー・クーパー(Matthew Cooper)が情報源の許可を得て証言したことで収監を免れたのに対し、ニューヨーク・タイムズの記者ジュディス・ミラー(Judith Miller)は証言を拒否したため、法廷侮辱罪で最長18ヶ月の収監をされた事件は、世界中のジャーナリズムを震撼とさせた。「報道の自由」「国民の知る権利」をメディアのよりどころだとする人たちからは、収監されたニューヨーク・タイムズ記者を支持して裁判所や捜査当局を批判し、他方で情報をリークした人物の意図や信頼性に疑問を持ち、そのような情報源を守る必要はあるのかという人たちもいる。ただし、日本には米国のいうな「報道守秘権法(Press Shield Law)」もなく、司法判断は必ずしも「情報源の秘匿」を認めているわけではない。問題は、「情報源の秘匿」が守られなければ、「内部告発者」も明らかにする必要があり、「裏切り者」としてそれまでの生活を継続することもできなくなる可能性があり、「内部告発」はできなくなる。

 ついでに⇒極東ブログ: カール・ローブ(Karl Rove)を巡って

朝日社説 集団自決検定―教科書会社は筋を通せ説

 おや?と思った。今日も共産党大会の話題がない。これはなんかあるな。なんだろ。大筋で朝日は上海閥の鼻息フンっがなければ傍観的暢気な胡耀邦シンパだろうと思うのでその流れでなんとなく親胡錦濤系だろう。現状の流れでいうと上海閥掃討みたいなことは不可能っぽいし。
 で、煙幕社説は何の話題か? と読むと、どうでもいいや、こんなの。私は文科省イラネだし。というのと、朝日のこの社説に顕著なんだけど、実は史実に関心ないのな。それと何が問題かを明確にしない。「日本軍に強いられた」のは否定できるわけでもない。それが問題なのかとすればほぼナンセンス(否定できるわけないのだから)、それとも問題は日本軍が軍の指揮系として住民を軍に組織化して自殺を命じたかということかというと、そのあたりはボケている。というか、大筋で「日本軍に強いられた」のは否定できるわけでもないのだから、その指揮系の問題をどう評価するか。そしてその史実についてはより細かい沖縄戦の研究に任せていいと思う。実際現地で自分なりに折に触れて8年近く見て回ったが現在の公式記録の沖縄戦史は必ずしも正しくないようだった。古老たちは興に乗るといろんな話をいていた。というか、どうも米軍はかなりのドジをやっていてみっともないのでそのあたりの歴史も米軍の都合で隠蔽されているくさい。なにより、実際の戦死者の個別の状況の解明やいまだにガマに眠る住民の遺骨収集などを進めて記録していただきたい、というか、それを事実上放置しているに近い状況では沖縄戦の史実の解明が進んでいるとは思えない。研究者どうも米資料研究に偏っている。ああ、いやいや、遺骨は放置されているわけではない。各村落が古老たちの記憶によって毎年毎年炎天下に作業を続けている。が、それにそれほど内地が加わっているわけもないようだった。
 ⇒極東ブログ: 沖縄本土復帰記念日
 ⇒極東ブログ: 公文書館なくして民主主義なし

快晴、いい天気だ。

 こんな日は一日散歩でもしていたい。
 そうして散歩ばかりしていた日々もあったな。
 東京に戻ってだいたい5年くらいか。沖縄での8年にもうすぐバランスする。はちゃめちゃなことやって生きてきたようだし実際そうだが、どう生きても人生は人生。
 明け方喉が少し腫れっぽく風邪かなとも思った。そうでもないか。疲労感もあり、心のぼんやり感もある。何してんだろ俺とも思う。

今日の話題のぶくま

 ⇒はてなブックマーク - ある個人史の終焉 - after game over
 元ネタ⇒ある個人史の終焉 - after game over
 こういうネタだと、ネガコメ5は活躍しないんだなというか、こういう話題には関心ないのか。ってか、この美談にネガコメしたら、べたな鬼畜認定だろうな、というあたり、ネガコメ5以外に出てきそうなあの人もあの人も出てこない。
 で、じゃ、俺がヒールなというわけではなくて。

2007年10月17日 usai これは美しい, 美しすぎる, 完璧, 最高, 究極 2万回保存した。読まずには死ねないレベル。泣いたとか感動したとか名文とか、そういう手垢のついた言葉しか浮かばない自分に腹が立って仕方がない。読むうちに身体が震えて、頭の芯から指先つま先まで熱くなった。

 気持ちも感動もわからんことはないよ。
 でも、たぶん、元ネタは、こういうとネガに聞こえるかもしれないけど、普通の話だよ、普通の人生の話。たぶん、元ネタのidiotapeさんも、そういうのって誰にもでもある普通の話だよねと言えば同意されるのではないかと思う(違っていたらごめんなさい)。もちろん、それがつまらないということではなく、人によっては二万回保存するに値することでもある。
 たぶん、似た話は、普通の人がいろいろに経験して、人生の意味とはそういうもんだったかと納得して、まあ、自分が生きて死んでよかったかもなと納得する、何かだと思う。
 とかネガに聞こえるかもしれないので、補足すると。
 みなさん普通に生きればそれなりに人生というのは感動的なものですよ。
 もっともそういう何かがぱっくりと文章で見えるかどうか、その真摯さというのはまた話が違うので。

cover
笑う出産―やっぱり産むのはおもしろい: まつい なつき

 本当のことをいうと、とても広い意味で子供を持つことが怖かった。
 なんだか、未来なんてないような気がしたのだ。
 仕事で環境問題のことを調べたり、国際情勢のニュースなんかが、耳に入るたび、こんな世の中で子供を作るなんて、どうかしていると思った。
 こんな世の中で、子供を産んで育てるなんて、自分の子供を持つという所有欲を満足させるための親のエゴだ、とすら思った。
 それほどまでに、私が目にしたり耳にしたりする未来予測は絶望的で、オカルト的だった。
 しかし、私は子供を産んだ。
 それで、私は、私の考えがまちがっていたことを知った。

 もちろん、「私は、私の考えがまちがっていたことを知った。」なんて大きな間違いだということもできるし、そのような人生もある。
 僕としては、某氏が離婚した妻に渡した子と響鬼ごっこをした話のほうが泣けたかな。

岡田斗司夫なんたら話題

 よくわからん。
 あまり関心ないというのもある。
 関心はこのくらい⇒極東ブログ: [書評]いつまでもデブと思うなよ(岡田斗司夫)
 で、と。
 よくわかんないけど、メソッドのキモは、食べた物をさらっとカロリー計算してくれるシステムと、階梯を踏むようなガイダンスと、くじけたときのグルの一言だと思う。
 で、と。
 岡田斗司夫はなにかそのあたりビジネスを考えていて、ビジネス問題としてこりゃということだったんじゃないかな。
 で、と。
 じゃ、カロリー計算、階梯ガイダンス、グルの一言がIT化すればどうかというと、たいしたシステムじゃないと思う。
 ちょっと思ったけど。
 NLPとか使えばダイエットできそうだし、できた例はいっぱいあるのだろうけど、たぶん、使えねぇという限界はあるのだろう。というか、あれだな。
 あれ⇒極東ブログ: [書評]催眠誘導の極意(林貞年)

若い頃わけあって

 障害児をいっぱい見た。
 障害児の親もアコージングリーいっぱい見た。
 ダウン症の子もたくさんいた。
 そうした子と何時間も過ごしたことがある。
 いろんな人生があった。
 感動的な話ばかりではないけど、そういう感動とかそういうもんじゃない何かがずしんとあった。ただ、なんというのか、それらすべて、普通の人生なんだと思うようになった。
 子供というのは一定数必然的に障害児として産まれてくるのだというのが腹の底からわかったような気がしたし、むしろ、障害児でなく産まれ育った子供のほうが不思議にすら思えた。
 そういえば⇒大企業に勤めるとか - finalventの日記

若い頃わけあって、その2

 友人が盲人だった。別の友人は聾唖者だった。
 全盲の彼女からは見ること教わったように思うし、聾唖者の彼女からは声のない世界の言葉を学んだような気がした。
 私は超感覚的な世界というのは信じない。だけど、通常感覚の世界がどれほどか閉ざされていることは知っている。
 そしてそのある意味充溢した感覚の世界には、人間を強く呼ぶなにかがあった。

友人という関係ではないけど

 ま、友人かな。長くつらい不妊治療で子供が生まれた。
 その過程の話も聞いた。
 元気な娘さんだった。
 産まれてしまえば不妊治療というのは終わりかと思っていた。
 全然違っているということを知った。

僕はつまらないことをいっぱい知っている

 というのはてらいであって、自分にとっては大切なこと。
 ただ、そういうのは、こういう公開の場に書いてみると、つまらないことになるような気がするのと、恥ずかしいような感じがする。
 それと。
 言葉になるつまらないことと、言葉にならないつまらないことがある。
 僕は、子供のころとても孤独だったので、たいていは一人で遊んでいた。自閉症というのではない。なにか世界や運命がそう自分を分けたんじゃないかと思うくらいしかない。
 僕は飽きもせず蟻んこや毛虫とかを見ていたし、石を拾って集めたし、野草を見つたりちぎったりしていた。そうして自然に学んだことは、あまり言葉にならない。

釣られる

 ⇒ブロガーは自分のキモさとどう向き合っているの? | 住 太陽のブログ

あなたが書いているそのブログがそこはかとなくキモいという点について、それをどうお考えですか? 自分のキモさとどう向き合っていますか?

 しかたないんじゃないかと思っている。
 以前、コメント欄で攻撃を繰り返した人が、こんなもの書いていて、子孫が見たら恥ずかしいだろうと、私が中国人か韓国人かと勘違いしたような突撃を書かれたことがあったけど、私は、自分がこういう人間ならこういう人間でしかたないなとは思っている。
 一応私はブログでは匿名ということになっている。ただ、身近な人は私を知っているし、私を知っている人は、私のブログで言いそうなことは知っている。
 ただ、そうではない関係の人までこんなブログを読んでもらうのはどうかなという感じはするし、恥ずかしというか、キモイなオレという感じはある。でも、それも、しかたないなというのはある。
 ただ、なんというのか、そこまで言うかためらうこともあるし、言ってもただただネガネガしかなさそうなときは、言うのがまずかったかな、ほいじゃ黙ってるよ、というのはある。それほど自己主張したいわけでもない。
 あと、もっと多くの人に読まれたいかというと、そのあたりは、率直に言って、多くの人に結果的に益になりそうなインフォについてはそうだと思うし、それはどっちかというと極東ブログに固めている。
 こっちは、楽屋落ちというか、別にどうでもいいやと思っている。
 キモイとしても、まあ、それが俺だしなというか、それほど迷惑かけてないなら、ネットの片隅でキモくていいんじゃないかというか。
 あと、なんというか、冗談の嘘は別として嘘は書かない。都合の悪いことは黙っているだけで嘘はつかないし、なんというのか、それほどネットでの人間関係というのは要らない。というか、基本的にそれほど自分みたいなキンモーなやつが理解されるわけでもないしとも思う。
 ま、なにかと、けっこうどうでもいいかな。

これはほのぼのとしたニュースかも

 これ⇒Cheney and Obama are distant cousins: Mrs. Cheney | Reuters.ca
 ⇒時事ドットコム:チェイニー氏とオバマ氏は親せき=仏移民が共通の祖先?
 ついでに。
 インターネットが盛んになってこの手の話も盛んになってきた。
 知り合いの米人が、なんか息巻いて先祖がどうたらとか話していたのを思い出した。