日経春秋
⇒春秋(6/29)
春秋の内容はどうでもいいが。
⇒finalventの日記 - はてなダイアラー映画百選 「シェルブールの雨傘」
産経社説 郵政民営化 改革の理念忘れてないか
これがよくわからない。タクシー規制緩和のフカシ記事みたいな印象がある。実態が見えてこない。
読売社説 [消費税]「ドイツの3%引き上げに学べ」
変な議論。というか、読売の主張は自民党の特定派の利益と結託しすぎ。
日本の消費税は上げざるをえないが、ドイツを引いて話すことか?
散人先生の⇒NHK「クロ現」:相次ぐ介護心中・殺人事件……例によって問題の本質からずれてしまった!
農業問題はとりあえず置くとして。
それは国民を飢えさせないと言うことだ。もし日本の農業が国際価格で農産物を出荷できてさえおれば、この親子は心中する必要はなかったのである。
農産物が高いというは実質間接税だと私も思う。このあたり、どうにかしろよ、政府と思う。
GAGZINE - よく使われるパスワードトップ3
- 昔の恋人の名前
- 好きなアイドルの愛称
- 連れ合いの呼称
笑っちゃう問題じゃないんだけどね
⇒mumurブルログ:偶然北朝鮮に来ちゃいました。
あまり予想通り展開に、こー、なんかひねりっていうのはないのか。
あるいは微妙なひねりがあるのか。
前近代には残酷な処刑の公開というのがあったが、この一連のショーも残酷さという点で北朝鮮の本質が実によく出ていてあきれる。
歴史と記憶
⇒古川 享 ブログ: 私の知っているビルゲイツ、その18
面白い。それはさておき。
読みながら、あの時代を思い出す。1986年というと私にはつい昨日のことのように思う。でも20年が過ぎた。
時の過ぎ去るのは速いものだなと思うし、自分の人生のこの日々は無意味だったなとも思う。もちろん、それは物の見方にすぎないとも言える。
このところ、ときたま思う、というか、このところと限らず思う。私の記憶のなかで東京オリンピックは比較的キリっとした記憶になっている。小学一年生でもあった。
だが、ローマオリンピックの記憶はない。
⇒ローマオリンピック - Wikipedia
うまく人に伝えられない微妙な感覚なのだが、あのころ東京オリンピックというのは、当然ながら、ローマオリンピックの次のオリンピックだった。人々も、そういう話(ローマオリンピックのこと)をよくしていた、というほどでもないが、していた。あのころテレビは普及していたといえば普及していた。あの頃というのは東京オリンピックのころだ。
問題はローマオリンピックのころだが、1960年。まだそれほどテレビは普及していないはずだ。私が、4歳のころだ。
私の父はエンジニアでもあり新しいもの好きだった。比較的早い時期にテレビを入れていたと思うが、なんせ価格的には無理だったのではないか。テレビは私が5歳ころではないか。
すると普通の人はローマオリンピックを映像では見ていない。というかましてリアルではない。ラジオはあったはずだ。
私とメディアのクレバスはこのあたりにある。
東京オリンピックの次はメキシコオリンピック、いや。
これ⇒メキシコシティオリンピック
これもよく覚えている。
さて。
私は1957年生まれ。4つシフトすると、1961年生まれの人であろう。とすると、この人は、東京オリンピックの記憶はほぼないだろう。私がローマオリンピックについて思うのと似ているように。ただ、東京オリンピックは映像として反復された。
うまく言えないのだが、このあたりに、歴史と映像の反復のあるハイパーリアルななにかがあると思う。
福田和也の仕事について私はよくわからない。
⇒福田和也 - Wikipedia
彼は1960年生まれ。だからというのではないが、私はこの人の語る歴史、あるリアリティの欠落を感じる。歴史と限らず、各種の主張のなかに。
つまらぬ世代論を語るみたいだが、猫々先生こと小谷野敦にも似たような感じがする。
⇒小谷野敦 - Wikipedia
もちろん、冗談で言うのだけど、君たちの記憶のなかに東京オリンピックは無でしょ、存在しないでしょ、でも、それはしかも不在ではなく、歴史に括弧付けしたような映像としての反復としてあるかのようにあるようなあり方をしているのでしょ? と、そんな感じがする。
非難の意図はないし、学業はそれなりに立派なものかもしれない。ただ、ある存在とリアリティの感覚がひどく欠落しているように思える。
おそらくは、以上書いたようにグラデーションの問題かもしれない。たとえば、1953年、1952年に生まれた人は、1957年生まれの私にある欠落を感じるだろう。
と、ここで、思うのだが、私はそれが何が欠落しているかをうっすらと理解している。
私の世代から、理念も正義も人間も、実は、ないのだ。存在しない。安田講堂は映像の向こうだ。
三島由紀夫の死は私にはヴィヴィッドなものだったが、あれは映像の向こうにあった。
うまく言えないのだが、私の世代から映像とリアリティの歴史の感性のある変化が起きているのだろうと思う。
もっとも、このような歴史の差異は、山本七平(1921)と吉本隆明(1924)の差異にもある。山本にとって天皇とは英国女王のように、あ、いますね、というくらいなものだった。吉本にはそういうものではありえなかった。日本の歴史の空気が彼らの思春期の時代に大きく変わったのだが、そのひんやりした変化を山本は「昭和東京ものがたり〈2〉」に書いている。余談だが、私の父(1925)は山本に近い。
山本七平や山本夏彦たちの大正の向こうに明治があるのだが、その前に、関東大震災が大きなクレバスとなっている。その不在感覚を「昭和東京ものがたり〈1〉」では問いかけている。あえて言えば、それは社会と死体の必然的な匂いのような結合ではないだろうか。
私がそして生きて、そうした歴史の断層のようなものはどこにあったか。パーソナルものも多い。1972年あたりにもある変化はあっただろう。だが、最大のものは、阪神大震災だろう。
⇒阪神・淡路大震災 - Wikipedia
つまり、1995年。
そしてこれはオウム事件でもあり、また、パソコンの時代でもあった。
私の記憶の原型的な不在を4歳からとすれば、1991年生まれの子供に、1995年の出来事は不在として起立しているのだろう。
1991年生まれの子供は今何歳か? 15歳。
たぶん、15歳の子供には、日本の歴史のとてつもなく大きな不在が背負わされているのだろうと思うし、その不在がその存在に反照するものは、私がなんとなく思っているものより、はるかに大きいだろう。
転生の感覚
あまりマジな話ではないし、オカルトとかそういうことではない。むしろ、こうした感覚は、けっこう多くの人にごく普通にあるのではないかと思うし、前近代や特定の文化のなかではごく普通の感覚ですらあるんだろうと思う。
転生の感覚。
自分が転生してまたこの世に生まれてきたなという変な感覚。
それが実体であるとは考えないが、無意識のなかのある構成ではあるのだろう。だから、催眠術とかで記憶遡及して生年からマイナスへ向けて思い出すということが、可能ではあるのだろう。
私は今年49歳。来年は50歳。半世紀生きた。生きてみて、この時間はなんだったのかというと、よくわからない。これは私に問題があるのかもしれないが、4歳くらいからの記憶がかなりアキュートに存在している。それでいて青年期のつらいことや対人関係はごそごそと記憶の欠落がある。記憶とは私の今の人格の構成そのものなのだろう。
私は45年くらいを記憶で遡及できる。その記憶のある意識の運動のようななかに、歴史の時間をシフトさせるような、世界の側の変容を少し感じ取ることができる。
と、その感覚を逆に向けると、45年後の私はかなり確かに、もう存在しない。私は、近未来に永遠に存在しなくなる。その永遠に加えれば、この今はまさに微塵のごときものだ。それより、私のなかに蓄えられた時間の感覚とはその無に向き合っていったいなんなのであろう。
転生というのは、身体においては、ごく普通のことで、私は父祖の身体の転生である。DNAがとかアホなことは言わない、が、私の身体のなかに父祖が生きていることを歳とともにくっきり感じられるようになる。その身体は、無意識と境界を持たずに接続している。
私の身体と無意識はなんどもなんども死を経験してきたのだろう。私は老いを恐れるが、私の身体と無意識にしてみれば、またかのできごとでしかない。
この身体の記憶と、私のなかの歴史意識の感覚に、転生の感覚が、不随している。
私がだれかであったというのは論理矛盾ではあるし、それはありえない。だが、同時に、それが矛盾なく思えるある意識のありかたがある。
私は転生しているという感覚だ。
その感覚をイメージのなかでふくらませると、当然ながら、歴史物語のようなイメージとなるだが、その歴史の空間が、まさに、私の記憶が人格の構成であるかのように、私の意識そのもののような構成と類似しているのに気が付く。
おりに触れていろいろ思うのだが、そして、これは歴史物語のフィクションとして言うのだが(様式として)、「私」は奈良時代の後期に日本に居た。
なぜそのようなイメージがあるのか?
一つには、たぶん、日本人であるということの原型のフィクションがその時代に成立したからではないのか。そして、そのフィクションに決定的な疑念を抱いていることは、その歴史証言的な転生の意識からの反照なのだろう。
短絡してしまえば、民族の意識性そもののが、転生の感覚(無意識のなか)に根ざしているのではないか。私たちは、大半は生殖を契機として、日本人という民族のなかに、「私」の死後も生きていたいと願ってしまう。
逆に、で、あればこそ、「私」を救い出すのは、私を本当の無のなかに帰しめることを可能にするのは、孤独であろうし、絶望であろう。ニルバーナ、涅槃というものの救済の意味は、そうした孤独と絶望を示唆していると、あまり宗教者たちは語らないが。まあ、それはある奇っ怪な思想というか……。
ULTRA BLUEよいです
けっこうヒッキー自身が音楽作成に関わっているげ。
ULTRA BLUE: 音楽 |
ついでにアルバムだと歌詞が読めてよろしい。keep Tryin'は歌詞聞き取れないところがあったし。
写真は……前のDeep Riverのほうがすげー良かったのだけど、これはこれはこれでよいのかも。というか、髪の毛にこだわっているなぁと。