晴天

 喉が腫れた不快さで目覚める。このまま風邪になってしまうかな。とりあえず、自分に向いたハーブを飲む。もう一寝入りするか悩むところだが、ペリエを飲んで起きることにした。
 なんとなく日記を見たらマルコ青年のトラバがあり、読んだ。
 ⇒知的好奇心解放 - マ儿コの日記 - 生きていくうえでのポリシー
 トラバは私のコメント欄での「ほのめかし」に関してだが、それについてとりあえず同じことなんだけど言及を足せば、私は聖書をよく「べたに読む」と言うのだが、べたに読める以上に解釈しない。ただ、聖書というのは、森有正が、本当に大切なことが書いてあるみたいに言っていたけど、人生を生きてみると自然にわかることがある。該当箇所については、率直にいってそういう自分の人生を通してわかるところはない。
 話を戻して、マルコ青年の該当エントリなのだが、ご愛敬でちょっと先輩風吹かさせてもらうと、あなたはよくわかっているね、そしてそのことが多くの人に通じないこともきちんと配慮されている。
 そして、「大事なことは感情や想いではなく、物理的科学的な状況だ。」はそのとおりだけど、たとえばこのはてな村ではとても難しい含みがあると思った。
 自分なりにわずかに敷衍すると、「大事なことは自分の感情や想いではなく」ということだが、そう自分を低める(敬虔にさせる)ものは、「物理的科学的な状況」でもあるが、そう告げる直接的な関係性(愛情の関わり)の枠組みがある。
 と、言えば言うほど、当の話題からそれてしまう。
 そしてこういうふうにいえば、「ほのめかし」としてとられるだろうくらいはわかる。
 突き詰めてしまえば、直接的な関係性の外側にある人のことなんか配慮しなくてもいい。そのことは罪でもなんでもない。罪は、直接的な関係性のなかでのみ問われる。