曇天、風は強くなりそう

 8月も2日。そして木曜日。え?という感じだ。台風5号は今夕、北九州を直撃しそうだ。かなり大きい台風なので被害が出るかもしれない。現状の予想では4日に東北に再上陸。勢力は弱くなっているだろうが注意すべきだろう。
 昨晩のニュースで阿久悠が死んだと聞いた。ATOKには「阿久悠」が登録されている。小田実とは違った意味で感慨があったが、うまく言葉にまとまらない。ある意味で大変なインテリでもあったし、志を持っていた人だ。世間的にも成功した。直木賞は取れなかったか(そのようだ)。しかしなにか残る感じの人だった。罪の臭いとも、女の匂いとも少し違う。いや女はなにかありそうだ。子どものような感性を持ち続けた人でもあった。ただ、こいう人は時代ともに忘れ去れてていくのだろう。

増田のワンポイント英会話

 増田⇒

英語の Are you available tomorrow?
という言い方って、まるで人間を物扱いしているようで好きじゃない
#あなた明日空いてる?って意味ね

 昔私もこの表現に変な感じがしたので、ネイティブに聞いたことがあるが、なんか変かみたいに言われた。

これって日本で報道されている?

 これ⇒Whalemeat in Japanese school lunches found toxic | Health | Reuters
 日本発のニュースなんでどっかにあると思うのだが、めっからない。
 
追記
 なんかの参考用に魚拓っときました⇒シャチのターちゃん - Yahoo!ジオシティーズ

些細なことのような大きなことのような状況認識の違い

 ⇒green - 安倍首相の凋落

 しかし今は油断をすれば生きてゆくのもままならないほどの貧困に足をすくわれかねない時代である。
 そうした時代にあって、安倍晋三は不可欠の感度を欠いている。
 大臣の失言が彼を凋落させたのではない。彼を凋落させたのは彼自身だ。

 私はgreenさんのお歳を知らないのだが(性別も知らない)、雰囲気としては昨日のエントリですこし触れたいわゆる負け犬世代の男性ではないかと思っている。世代のことを口にしたのは、貧困の味わいというか貧困の風景というものは、だいたい私の世代(今年50歳)くらいからで、以降、質が変わる。もちろん、それ以降にも貧困はあるのだが、そのあたりのリアルにあの時代を生きて見た貧困の感触はなんとも言い難いものがある。で、議論としてそういう世代論的な不定形な体験談から発してはいけないのだが、上の「油断をすれば生きてゆくのもままならないほどの貧困」への視線が、私とは違うのだろうなという感じがする。些細なことのような大きなことのような状況認識の違い。それはなんだろうかと少し思った。
 ちょっと間違った切り口かもしれないが、人が複数生きている定常社会においてある意味で絶対的な貧困というのはない。連帯があれば人は死なない。貨幣経済をするりと抜けることが普通の人にできる。というか、貧困とか飢餓というのは一般に言われているより貨幣現象だと私は見ている。
 もちろん貧しければひもじいし飢えて死ぬ人もでる。と書いてみて、ああ、「ひもじい」という言葉だ。この言葉の語感だと思う。
 話を端折る。私の話はたいした話でもないし。で、今の社会はある意味で連帯がなくなりつつある。人の孤独を見つめていく社会だ。人は孤独が原因で死にうるものだという認識はそれは言語化されていなくても、貧困が定常化した社会にあってはもっと危険なものだとして自然に認識される。
 団塊の世代はてな的な若い世代からバッシングされる。団塊世代ではない私なども老人死ねみたいに言われる。だが、彼らはあの貧困の世界を見ているし、そこの連帯の感覚を持っている。そこを戦後民主義に借りて左翼が蚕食したとも言えるのだが、それでもあの感覚の絶対性というものはある。

そういえばhi liteの風景

 阿久悠の死からの連想で、そういえば、60年だから70年代、団塊の世代が青少年だった時代を思い出す。私はもっと少年だが。
 あの時代のあれはなんだろうと脳みそスキャンしていたら、hi liteとhi liteの風景を思い出した。今でも売っているはずだし、たしか、緑のメンソールみたいのもあって、びっくらした。
 ⇒ハイライト - Wikipedia
 60年に出たものか。そうだよなと思う。

タール17mg、ニコチン1.4mg。香料にラム酒フレーバーを使用。はっかも少量使用し、キレのよい味に仕上げている。 フィルター部分が非常に柔らかいのが特徴だったが、数年前に硬いものへと変更された。これにより、味わいにも変化が見られる。

 進駐軍カルチャーを模倣し、日本がハイカラな消費社会に向かっていく世相をうまく反映した煙草だったように思う。団塊の世代より少し上の世代が吸っていたかと思う。私の父の世代か少しした。私の父は「しんせい」から、そしてhi liteも吸っていただろうか、日本らしくセブンスターを好んでいた。なんというか、hi liteの味はある意味でハイカラなお仕着せというか無理があったというか、その無理さが魅力でもあった時代だったのだろう。
 煙草好きはピースを吸っていたか。

それまでの大衆たばこの定番だった「しんせい」「いこい」に代わり、1960年代から1970年代にかけての人気銘柄となった。葉巻党だった元首相・吉田茂も晩年に吸っていた。1970年代の生活を描いた人気漫画『ちびまる子ちゃん』においても、主人公、さくらももこの父親であるさくらひろしがハイライトを愛飲していたことからも、高度経済成長期を象徴するアイテムであったことが伺えるが、その後市場の嗜好はさらに軽い味のセブンスター系に移行し、現在ではもっぱら高年齢層に好まれる銘柄となっている。

 ああ、そんな感じかな。

芥川賞についてちょいと

 ⇒ノッフ! - 芥川賞が欲しくなる理由を考えてみました
 このエントリはとくに感想ないんだけど、ちょいと関連して思ったこと。
 以前斎藤美奈子が言っていたが、芥川賞の選考は評論家じゃなくて作家が、というのがミソ。会社と同じなんだよね。で、会社と同じということは案外会社の権力・派閥というかそういう論理がけっこう働いていて、で、それってつまり、あれです、縁故っていうか閨閥というか。あまりこの側面分析されたの知らないけど、けっこうありそうですぜ。
 村上春樹よしもとばななを落としたあたりで、芥川賞は自然死していたはずなのに、文春ってうまくもりあげるなと思った。週刊誌では敵対しているげなのに、この分野では文春と新潮ってカルテルみたいだし、って、そりゃね、編集者の……(フェイドアウト)。 そういえば、このしょーもない業界構造は戦前もあって、太宰とかはよく知られているが、中島敦が落ちているのだよね、あまりこれも指摘されているを知らないが。まあ、当時はメディアといえば活字くらいなものだし、作家はけっこうなカネになった。吉行淳之介くらいまでは作家で飲めたんじゃないかな。その後は、こういうと下品だけど、純文の人なんか食えないので、適当に食わせるて、そして育てるのが出版社の社会的役割というか責任というか。つまり、海外旅行とかさせて体験させてエッセー書かせるとか……(フェイドアウト)。
 純文だと3年に一作クオリティが出せれば2サイクルで出版社カルテルでなんとか賞が回っていくというかなんだか昔の日本社会の勲章みたいだが。
 そういえばニューアカ時代、近代小説批判がけっこうあったけど、あれもなぁ、なんというか知が知でぐるぐる回るみたいなもので、なんというのか漱石も実は朝ドラというか渡鬼みたいなメディア性があるので、その部分の大衆小説の流れのほうが日本の近代を色づけているのだけど、そのあたりの研究は難しい。真田十勇士とか貸本というか。
 林真理子芥川賞を欲しかったのだろうと思う。その執念で直木賞をもらったわけだし、でもなんかまだ芥川賞への怨念はありそうだ。なんでそこまでと思うが、そのあたりの階級感みたいのはあるのだろう。

概ねこんな感じでしょうねFT

 ⇒日本の政局、膠着状態に直面――フィナンシャル・タイムズ(1)(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース
 ちょっと笑ったのが。

安倍氏はあと数カ月は首相の座に留まろうとするだろう。カーティス教授はそう見ている。小泉氏がすでに党内派閥の力をボロボロに打ち砕いてあるので、後任の座をねらえるだけの実力者が党内にあまりいないのだ。麻生太郎外相は、首相になりたいと願っている。しかし彼もいわゆる政界のサラブレッドで、安倍氏の考え方とかなり近いだけに、今のところは安倍支持の姿勢を保っている。ほかに候補として考えられるのは、昨年9月の総裁選で安倍氏と争った谷垣禎一財務相だ。しかし谷垣氏は、現行5%の消費税を引き上げようと一貫して主張してきた。選挙で消費税引き上げを訴えることは自殺行為に等しいと考える、党中枢にしてみれば、谷垣氏も安倍氏と同じくらい厄介な存在ということになりかねない。