産経社説 【主張】年金検証委 「労使癒着」の徹底追及を

 まあ、メモ。

 年金問題の根底には、労使の異常な癒着があるといわれる。その癒着の象徴が「自治労国費評議会(現・全国社会保険職員労働組合)」と社保庁が結んでいたいくつもの覚書である。
 たとえば「ノルマを課さない」「職員の競争心をあおらない」「端末機操作45分で15分の休憩」「1日のキータッチは5000以内」−など仕事内容を制限するものが目立つ。民間企業では考えられない甘さだ。
 この覚書が社保庁の体質そのもので、不祥事を次々と生んだといっても過言ではない。

 なぜ、こんな不祥事体質が生まれたのだろうか。
 社保庁は数十人の厚生労働省キャリア組を頂点に、約800人の社保庁採用職員と約1万6000人の都道府県採用職員が3層構造を形成している。長官をはじめとするキャリア組は在任期間中に余計なトラブルを嫌って、改革に乗り出そうとはしなかった。都道府県採用の職員は国家公務員でありながら、地方事務官制度のもとに自治労の支配を強く受けてきた。
 その結果、労使のなれ合いと怠慢が常態化し、組織が閉鎖的になり、不祥事体質が続いてきたとされる。

 なんで今頃この話題に誘導っぽい空気が。

朝日社説 北朝鮮送金―次は核施設の停止だ

 したがって、核合意を実行する前提として金融制裁の解除を迫った北朝鮮の主張はもとより筋違いだが、なりふり構わぬ北朝鮮にそんな理屈は通らない。

 八角の効いた中国様フレーバーなんだけど、国家的な犯罪が通じないから放っておいていう朝日の言い分はちょっと常識的に受け入れがたい。というか、この文章が通ってしまう執筆体制は大丈夫か。
 基本的に今回の制裁金の額は大した問題ではない。そのあたりも朝日は考察をネグっている。中国様経由しか内情が入らなくなっているのかもしれない。
 というか、朝日も人材をぽろぽろと失う時代かな。

朝日社説 社保庁法案―どさくさで押し通すな

 しかし、社保庁を6分割して非公務員型の公法人とする政府案は、採決を急ぐべきではない。
 ずさんな記録管理はまだ全容が明らかになっていない。政府の救済策もあいまいなところがたくさんある。そんな中途半端な状態で社保庁の枠組みを変えても、年金への信頼を高めるどころか、かえって不信を増大させかねない。ここは廃案にして出直した方がいい。

 信頼を損ねた理由が組織にあるなら、組織を変えないといけないというふうに今回は朝日は考えない。そりゃねというところでいろいろご事情といものがあるのでしょう。私はこの件ついては傍観しているだけ。というか、ブログなんかで言うだけの気概はない領域。

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 ちょっと早いか。
 昨日はいろいろあってくたびれた。の割に、泳いだ。朝、起きるのに疲れがあった。ぼうっと音信のない人のことを思った。どうしようもないのだろう。
 深夜にコンビニ行きビールを買う。少し飲んで寝た。酒の残りはない。泳ぎで全身筋肉痛というほどでもない。
 生活のアイテムが少しずつ変わる。生活の速度について保守的な自分と、それほど保守的でもない自分がいる。まあ、自分は自分だというしかない。

日記もブログもそれなりに長いこと書いていて

 もう言うべきことは言っちゃったかというのと、言えない部分はあるなというのと、どうでもいいやもある。
 日記のほうでは、ああ、そのネタのコメント、もう書いちゃったしとか思うと、スルー。
 で。
 スルーしていいのかと思うけど、それはそれでいいのかも。
 というか、私は前に進むよ。
 何が前だかわからないし、そういうとき、私は人に猫背を見せてとぼとぼと歩き出すのだ。っていうシーンが我が人生多いな。ひねくれ者というのはあるのだろうけど、なんかそこにもう居られないやって感じがする。
 こないだちょこっと書いたけど、私はfinalventに少し別れを告げている、という感覚というか、finalventはかなりの部分マシーン的でしょう。そして、たぶん、マスコミ情報や、いわゆるネットの情報操作の手口に少し聡くなった。だから、その機構に対抗的に機構として語る部分がある。対抗といっても敵対というのではなく、ある意味ではシンクロ。そして、そういう技能というのは、できるだけ、私の部分を減らして、finalvent言説マシンを冷徹に動かす必要がある。ある意味で、それなりの戦闘モードなんだろうけど、そこで本当は支えている「私」というのはそれほど、そうした言説機構のfinalventが好きというわけでもないな。
 森有正が、自身について、雨の日に部屋のなかでじっとしているのが好きなんです、と言っていたのがなんとなくわかる。そして彼はオルガンも好きだった。森有正言説マシンというか修辞マシンとその彼とは完全な祖語ではないが、彼は彼の帰る経験のコアのようなものがあった。
 まあ、その他私が馴染んだ著作者たちも、ときおり、そうしたコアの感覚を見せた。そこには孤独があったし、その孤独は、なんというのか、彼らを取り巻く人より、遠い小さな読者である私への愛情のようでもあった。彼らは、自分の言葉が遠く、小さい人に通じる日を確信していた。その確信がどほどか正しい理由として私がいる。ただ、その語りの部分のマシン性と、愛情と孤独の奇妙なバランスというものがある。
 うまく言えないが、むずかしい問題があるなと思う。もうちょっというと、遠い小さい人を愛そうとするのは孤独の言い訳かもしれない。でも、孤独はいつもそこにあるのだし、その孤独は、遠く小さい人に開かれていく性質はあるように思える。

まあ、ネガネガのことだが

 ネガコメ旅団とか、ネガトラバとか、つまり、やって来るわけね、うぜーのが。で、来ないでちょーだい、なわけですよ。
 で、門を閉ざすと、天使も入れないんで困る、と。
 ネガなやつだけお断りしたい、というのがシステム的にできるかというと、現状ではネガネガの人は匿名なんで、黒木ルールをシステムインプルメントする方向で、つまり、べたな匿名装いとか捨てハンをアウトにすれば、かなりよいのではないか、と。
 で、陰で日記とかブログでネガネガを書く人がいる。これは、どうもご自由にという以外ない。名誉棄損とかあれば訴訟沙汰にすればよろし。まあ、この場合は、単純にシステム・スルー力をインプルメントして、PV弱者遮断とすればいいでしょ、とかいうと、むっとくる人もいるんだろうけど、単純に言ったら、ブログの世界はある程度読まれるように書けてば、芸でもなんでも読まれてなんぼ。
 で、問題はぶくま、だけど。これも見なければいいじゃん、とか言えるかというと、天使もこっそりエンカレジメントを書いたりすることがある。だから門を閉ざすんじゃなくて、フィルタ。
 で、どうぶくまをフィルタするかというと、ネガネガIDをそのユーザーからアボーンにすればいいだけなんじゃないの。私の場合、あれとかこれとそれとかまあ、数名ほどぶくまアボーンにすると天国……いや冗談、たぶん、私はそのアボーン機能が実装されても使わない。
 ちょっとうまく言えないのだけど、自分の書いたエントリの対するぶくまというのに、明示的な応答しちゃいけないんじゃないかというモラールをなんとなくもつようになった。それが好意的であれ糞バカ氏ねネガネガであっても。
 つうわけで、ぶくまにネガネガについては、それにリアクトしないことというのがけっこう実践的なモラールだと思うのですがね。
 つまり、ネガネガで傷ついても、まあ、ぶくまだったらそれには反応しない、と。反応しないのを俺ルールにしちゃいな、と。(もちろん内心傷ついていてもいいけど。)
 ま、以上でも。
 ネットイナゴには対応できないので、その対応のメカニズムはどうあるかというのはあるのでしょう。基本的には、同じリファラははじけばいいのではないのかな。普通のイナゴはリンクで来るだけでしょうし、リファラなんか知らないでしょうから。

はてなQより どうやって生きて行けばいいかわかりません。

 ⇒どうやって生きて行けばいいかわかりません。 人には、「偽善者」「自分を大切にできない人」「エゴが無い」「変にまじめ」「ながされっぱなし」と言われます。職場ではつ.. - 人力検索はてな
 私が回答するとすれば。
 目をつぶって一歩だけ前に進みなさい。
 どうやって生きていけばいいかわからないときは、実は思念や人間関係などで自縄自縛的になっている。もうどうにも動けないものだ。
 そんなときは、きゅっと目をつぶって一歩だけ前に進む。
 目をつぶらなければ前に進めない。
 悩むのを無理でもやめなければ前に進めない。
 そして一歩進んだ足に重心を置いて、ちょっと振り返って片目を開ける。
 あなたを縛り付けていた愛情や悲しみや人々が、実は、あなたを必要としていないことにふと気がつけば、もう一歩目をつぶって進む。
 そして、自分を縛ってきたものから自由になり孤独になり、目をあけて前に進んでいく。
 抽象的かな。
 いろいろなシーンで具体的に説明してもいいけど。
 まあ、略でいいでしょ。