日経 春秋(5/26) : NIKKEI NET:社説・春秋 ニュース
臨界点を超えると環境は元に戻れなくなる。人類がその一線を何度も踏み越え、「美しい星」を傷つけてきた歴史を忘れてはなるまい。
安倍ボクちゃんへのイヤミなんだろうけど、環境を人間がどうにかできると思っているあたりでアレ過ぎ。もちろん環境問題は大切でも、なんかでもこうオクターブ外れる人が多いのはわけわかんない。というか、地球が温暖化すればそれに従って生態系が変わる。人間が滅亡するほど変わるとも思えないがそれはそれなりに地球の変化の歴史。氷河期だってあったのだし。そこを通して人類に至る種は選別されたのだし。
日経社説 イノベーションは「民」主導で
まるっきり駄目な社説っていうわけでもないけど。
イノベーションと企業家精神: P.F.ドラッカー,上田 淳生 |
ドラッカー名著集 4 非営利組織の経営: P.F.ドラッカー |
読売社説 銀行決算 収益力強化の真価が問われる
邦銀復活が本物になるかどうか。これからが正念場だ。
大手銀行6グループの2007年3月期連結決算は、税引き後利益の合計が約2兆8000億円だった。3兆1000億円を上回る過去最高益を記録した06年3月期と比べると、約1割の減益だ。
06年3月期は、貸し倒れに備えて積み立てた引当金が、景気回復による企業の業績回復で不要になり、「戻り益」として利益をかさ上げした。今回は、その戻り益が大きく減少した。
さらに、系列の信販会社や消費者金融会社の業績不振の影響も受け、3メガバンクはそろって減益になった。
この問題がよくわからないが、ようするに政府の街金潰しがわかっていたとはいえ効いたぜというだけのことではないか。邦銀の復活だの正念場だのというのは何ボケとんのじゃではないのかと思うがよくわからんので放言のみ。この数年、銀行は実際には街金の鵜飼いで儲けていたわけでなんつうか※ピー※だろ。で、それと企業が自前でカネ貯めて銀行から借りないのな。この構造問題をきちんと取り上げているのを見たことないがどうなんでしょ。当たり前?っていうか、トヨタの経営って基本的におかしくねか。というより、邦銀がおかしいのか。
そういえば。
昨日、ちと食事のカネが切れたのでと目の前に銀行があり、覗くとすいているっぽいので入ると、2つのことに唖然。1つは、人が混んでないのにATMに至るまでにチープな花見客席取りのようなそれでいてその構造はシェーンブルン庭園の迷路みたいなものがあって、あほか?と思った。私はマウスではないので外側からアクセス。というか、そこに銀行店員がいてこの阿呆な状況をなんとも思っていない。で2つめはその店員なんだけど、ちょっと太めの負け犬オーラの入ってどしっと座った女性と、ふらっと立っている若げな兄さんが選挙管理委員会みたいな雰囲気で、宝くじ、いまならチャンスでーすみたいに、連呼してやんの。あのさ、客、俺だけ。俺、期待率の低いクジ買わないないんだってばさと思いつつ。その重苦しい雰囲気のなかで飯分のカネを降ろして撤退。銀行もうだめだわと思った。というか、正確にいえば、銀行のそういう側面の経営はなんか顧客に届いてない(なので収益は別の方向に向かうのでしょう、貧乏人を置いて、何処へ)。
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三日というほどはないが二日くらい経った感じもする。街だの雨の中を彷徨った。バタフライもなんとなくできそうな気がしてクロールからそっちに関心が移る。
朝飯をコンビニに買いに行くと外の光がまぶしい。雨上がりのせいもあるのだろう。新緑ならぬ深緑が強く感じられる。ああ、若かったらなぁと思いつつ、半ズボンでコンビニの朝飯を買って帰る。
意図的に女性をふったことはなかったように思うが
見捨てられるように捨てられたことはあったか。まあ、どっちかというとあった。まあ、それは私の世代でいうとすべて25歳には終わる物語だった。彼女はクリスマスケーキさみたいな。
でも、ぽっつりと残された私は、え?俺、30歳? とか愕然としたものだった。あのころ、「30歳になった日」という短編小説を書いた。実家のどこかにあるかもと思ったが、先日整理して見つからず。見つけたくもないし、ストーリーらしいストーリーもない。
それから先は、見捨てられたみたいな強い関係の前にフィルターアウトかな。なんかそういうのが何枚何枚も薄い紙を束ねたようにあったような気がするが、もうよく思い出せないし、いつのまにかそういうものに慣れた。幸いにしてというか、救いようがないなだが、身体的な関係性に深めることなかった。はてなーの中心世代(あるとして)若いからかその手の話題が多いが、身体的な関係性の有無というのは両義的だ。その両義性の結実は十年、二十年がかかる。両義的というのは、どの選択にも罪と痛みがあるということだ。
褒め褒めセブン
はてな界隈で褒め褒めセブン系の話が湧いているぽいが、嵌めるというのは、ちがった、褒めるというのは、ある種他者への倫理基準というがある世界で、ちょっと日本人は息苦しい。ってか、外人じゃないんだし、愛しているよ、マイハニー的な世界はちょっとケツが痒いってば。
ただ。あれだ。
あれ⇒極東ブログ: [書評]男は3語であやつれる(伊東明)
にあったが、天然ピュア系の女が、すごい、とかつぶやくとこりゃもう
♪ ,,;⊂⊃;,、 ♪ (・∀・∩) カッパッパ♪ 【( ⊃ #) ルンパッパ♪ し'し' ♪ ,,;⊂⊃;,、 ♪ (∩・∀・) カッパキザクラ♪ (# ⊂ )】 カッパッパ♪ `J`J
なもので、だから男はそういう天然ピュア系の女を、どろどろと捜し求めているのでしょう。
そういえば、昔、帰国子女佃煮系のパーティでサラダを取り分けてあげたら、えらく褒められたことがあった。器用だというのだ、すげえ嬉しかったよ、愛しているよ、マイハニー。
そういえば、私は、サラダに関して褒められたことがほかにもあるな、愛しているよ、私の子豚ちゃん。
とか。
ああ、でだ、火元っぽい⇒H-Yamaguchi.net: 「男性をほめるのは女性の仕事」と言ってみるテスト
見たら。
あくまで印象論だが、日本の男性、特に若年層の男性の中に、自分に対して自信をもてないでいる人がかなりいるように思う。自分にはたいしたことはできないのではないか、自分は周囲に溶け込めていないのではないか、自分は女性にもてないのではないか、自分は(以下略)。
だって、それってべたな現実認識ってやつじゃないんですか。
現実認識が狂ってハッピーになるやつ、おかしいですよ。
追記
なぜかこの分野に全快あるいはすべての分野に全快あるいはいつでも全快。
なのか⇒女が男をほめない理由・男が女をほめない理由 | bewaad institute@kasumigaseki
ツウのブログウォッチャーなら
⇒スポンタ通信2.2: アルゴリズムの時代20:特権的発言者が自戒するナニサマ感…。そして、シンポジウムというフラットなアルゴリズム。
だが、私の場合は、「スポンタ中村って誰?」 「知らないよ」 「ブロガー? そんなの誰でも書いてるじゃない」
で、終わりである。
ツウのブログウォッチャーでスポンタ中村を知らない人はいない。ガチ。
国際的ジャーナリズムの世界でベンジャミン・フルフォードを知らない人はいない、ガチ。
いいないいな増田っていいな
増田⇒!!!!!!!!!!!!
増田の歳によって意味が違うんですけんどね、というあたりで、まあ、なんでも言える増田っていいな
ひまなこ見ていた かくれんぼ
おしりを出したこ いっとうしょう
夕やけこやけで またあした
またあした
いいな いいな
ますだって いいな
くだらんねたに ほかほかトラバ
ぶくまの かえりを まってるだろな
ぼくもはいろう ますだにはいろう
でんでん でんぐりかえって
バイ バイ バイ
バタフライの息継ぎかぁ
息継ぎをやめて形だけにすればというか、腹を丸めて背を持ち上げるようにウェーブするだけなら、バタフライはそんなにむずかしくなさそ。問題は息継ぎで顎を上げると身体全体の形が崩れることだろうな。
そういえば、二輪掻き的クロールだけど、息継ぎが比較的楽になってきたので、けっこうスピードも出そうと思えば出そう。まあ、無意味に出そうしてもいけないが。まあ、25mくらいで息が上がるみたいなことはなくなりそう。
どうして泳ぎが進歩するのかなのだが、どうも身体の無意識と水の関係のような感じがする。
蹴伸び、ドルフィンジャンプ×2で、25mくらい行きそう。まあ、なんか奇妙なコツみたいのがありそうだ。
女へのちょっとした過去の恋心には未練が少し残る
男などいずれ死に様があるばかり。あっぱれと思うか無念と思うか。
女は思い出のなかで歳を取らない。私の未練はちょっと綺麗だ。というか、歳を取るにつれ、そんなもんでいいんじゃないかと思うし、自然に、なにかと未練も忘れて消えていく。そう思えるだけ、女は私に美しい。
この話題も黙っておくべきなんで黙っておくけど
と言うだけの備忘に書いておく。
⇒はてなブックマーク - ぼやきくっくり | 「アンカー」ペルー日本大使公邸人質事件の真実
まあ、蛇足に一言だけいうと、私には何が話題なのかよくわからんかった。私の感覚ははてなユーザーと実はかなり違うのかなと思ったのも備忘の理由の一つ。
あと、少年が兵士化される問題は⇒極東ブログ: 世界子供白書2005を巡って
あと、フジモリについて過去触れたエントリ⇒極東ブログ: フジモリ元ペルー大統領の動向についての印象