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 春らしいいい天気だ。25度くらい上がるらしい。ちょっとした初夏の様相か。
 このところ、結局毎日泳いでいる。いつまでこんなことが続くのかわからないが、なんとなく身体に若いころのある感覚がよみがえって、なんというのか切ないような幸せの感覚がある。木の芽や風を見ながら、ああ、みんな生きていると思う。若い人たちが騒がしく通り過ぎふと老いた自分があるなと思うが、奇妙なリアリティの欠落もあって、なにか自分が映画のなかにいるのか、若い日の自分が30年後の自分を想像しているのが今であるかのような。
 森有正だったか、晩年、というか死んでしまったので晩年だが、たぶん定期講義のためだろうか帰国していたときだろう、多摩川沿いを歩いているとき、若い日とのアイデンティティを痛烈に感じたという記述がある。ああいうものが自分にもあるだろうかわからないが、自分にもちょっとこのところそんな感じがないわけでもない。

産経社説 【主張】温首相外交 今後の行動を見定めたい

温首相は天皇陛下に謁見(えっけん)した際、来年の北京五輪の開幕式に陛下、皇族の出席を求めた。しかし、平成4年の天皇ご訪中は中国による政治利用だったことが判明している。要注意だ。

 中国の外交とは内政問題。内政問題とは権力闘争。他に何か?

朝日社説 高校生の学力―格差を放置するな

 得点別の生徒の分布を見ると、数学と英語では高い得点の層と平均点以下の層に大きな山がある。勉強ができる生徒と、できない生徒がくっきりと二極化しているのだ。

 格差というより生き方の選択の問題ではないか。それに、数学は普通社会人としては必要ない。英語は学校の勉強では身に付かない。こんなテストでがたがた言うことでもない。

 学校で学ぼうとしない生徒は、なにごとにも意欲を欠き、生きる力も乏しくなりがちだ。

 そういうことを言う大人はただの馬鹿だ。人は世間から学ぶ。ある意味で、学ばなければ生きがたいから学ぶのであって、それはあまり幸せというわけでもない。
 言うまでもなく、仕事は人生ではない。人生の内で仕事をしている時間は短くもないがそう長くもない。人はまず一義に生きているのであって、学ぶことが重要なのはその生きることをどう支えるかということだ。抽象論でなければ、大人が青年や少年にどう関わりを持つかだけが問われている。
 
追記
 「数学は普通社会人としては必要ない」に反感をもたれる方が多いようだ。余談だが、私は専門学校で初等数学を教えていた。一応キャリアにわずかに数学の先生というのがある。そのあたりの実感的な苦労感もあるにはある。それとコメントで加えたが、数学と応用数学的なセンスは違う。このあたりはちょっと説明するのが難しい。カントールは前者に近く、フリーリエは後者に近い。この感じをわかっていただけたらと思うが。
 もうちょっと補足すると、数学と合理性は関係ない。数学は原理性とあとはその演算に関わる。ブラウワーの直観主義など合理的といえば合理的だが合理的でないといえばそう。まあ、ものを合理的に考えられるかは数学的な能力に関係はしているが、数学でなくても身に付く。というか、合理性というのは、きわめて人間社会的な能力。

実現化する能力

 五反田先生にまた失笑されてしまうが、これはなんとかならんのかと思う。
 これ⇒はてなブックマーク - 富を築くためにどうしても克服しなければならない16のウィーク・ポイント (手帳2.0)
 まあ、どうでもいいといえばいいし、ニューソートとか議論する気もない。
 で、「思考は現実化する」だが、これはある意味で、自己催眠的な技法だ。あまり書きたくはないが、人間の意識にはメカニカルな部分がある。そこをうまく制御すると、各種の成功が得られる。
 ついでだから言うけど、これは、あれ、環境管理型権力のようなものだ。自分がなにか成功目標を設定する、そしてそれに整合した環境管理型権力に自分ではめ込む。たとえば、英語の能力を向上させたいとする。そこで環境管理型権力的に勉強するしかけをつくる。勉強が惰性になればそして環境に馴染めば成功する。そりゃ、まじで一日100個英単語覚えるだけでもたいしたもの。問題は、人の心はそう動くようでそう動かない。裡の欲望というのがある。なので、このデシプリン的環境管理型権力には密かに裡の欲望を動かすのがポイントになる。べたな例でいえば、英語学校なりに通うとき、ひそかにその先生のおぱーいが見たいとか。まあ、「思考は現実化する」とかあたりだとその裡の問題はオモテの欲望というか努力でごりごりとやる。
 でだ。
 そういうショーもない成功術はどうでもいい。
 重要なのは、「思考が現実化するまでのプロセスにおける意志」の働かせかと自己報酬なのだ。もっと言えば、努力の技術だ。
 たとえば、あなたがサンピエトロ寺院の前に立ちたいと夢想する。それを実現化するにはどうしたらよいか。
 慣れている人ならこんなことはただの事務だ。
 しかし、慣れてないというかやったことない人には、知識と、意志という努力の技術が必要になる。
 知識を得る努力はそれほど難しくない。そして、たいていの努力はカネで代替する。
 しかし、問題は、思考と現実の間にある乖離こそが、あなたの努力を必要としているということを理解すること。
 意志と努力を動かす内的な技術を身に付けないといけない。
 まあ、難しく言うようだし、ちょっとこんな話は書くもんじゃないけど、高校生とかに重要な能力はそこだと思う。
 高校生には、だから、まず夢想させ、それを現実化させるための知識を与える、そしてそれを本当に実現するための意志の動かしかたを見つめつつ、努力の技術を学ばせる。
 臭い言い方だが、それが創造ということ。意志がゼロから何かを作り出し、意志に向けて対立させること(疎外こそが現実)。
 大聖堂を見るとき、それを構想した人々とそれを突き動かした歴史の惰性の力の背後に、意志と努力がどのように見えるか?

ちょっとだけG

 どの本だったか忘れた。ウスペンスキーの孫引きがまだ自分に残っているかもしれないが。ああ、違う、注目すべき人々との出会いだったか、Gは人の幸せを voluntary workと言った。あるいは、voluntary sufferingとも。たぶん、Gの中にはこの言葉で表現すべき何かがあり、それを弟子たちに伝えようとした。様々な形態で。そして、私のようにGに触れることもない時空の人間にまで。
 Gの教えはある意味で非常にシンプルにできている。voluntary suffering = awareing = being = creating = creation = reality というか、そういう正教的なあるいはスーフィー的な何かだ。ただ、そうサマリーすることが危険だし、無意味だということをGは実際のマスターとして知っているし、彼は個々の教えしか残さない。あるいは知るためにワークを必要とするように残した。ワークによって知ることが可能になるからだ。
 しかし、Gのワークのなかで人々が眠ることをGは知っていた。Gはワークと人生をわざと衝突させた。人生はワークでもありワークでもない。人生がGの枠組みのワークであるなら、Gはかならず壊しただろうし、壊した。

はてなQより プログラム言語の「深遠な世界」

 ⇒人力検索はてな - プログラマの方に質問です。 あなたはプログラム言語あるいはアーキテクチャの「深遠な世界」まで見えていますか?もし見えているのだとすれば、その世界を少しだけ説明し..
 プログラム言語に「深遠な世界」はないと思う。
 プログラム言語で表現しようとした「深遠な世界」はあるけど。

うーむ、読んでないのでなんとも言えないのが原則だが、小林秀雄の言葉ですかぁ

 これ⇒「 人生の鍛錬―小林秀雄の言葉: 本: 新潮社」

日本の近代批評の創始者であり、確立者でもある小林秀雄----。厳しい自己鍛錬を経て記されたその言葉は、没後二十余年の今日なお輝きを増し続け、人生の教師として読む者を導いている。人間が人間らしく、日本人が日本人らしく生きるためには、人それぞれ何を心がけ、どういう道を歩んでいくべきか。八十年の生涯の膨大な作品の中から選り抜いた、魂の言葉416。

 まじーなっていう伊予柑
 小林秀雄の名言というのはあるんだけどね、それはいちおうコンテクストを全部理解してサマリーとして記憶に残すならいいけど、名言だけ残しちゃうとまじーな、と。
 若い人向けならこれがいいんだけど。
 これ⇒「 兄小林秀雄との対話―人生について (1968年): 本: 小林 秀雄,高見沢 潤子」
 同じ⇒「 兄小林秀雄との対話―人生について (1970年): 本: 小林 秀雄,高見沢 潤子」
 プレミアかよ。
 あ! げろ安、発見であります!
 これ⇒「 兄小林秀雄との対話―人生について: 本: 高見沢 潤子」
 小林秀雄の妹高見沢潤子から見た像というのもそれはそれで違っているのだけど、それにしても、まあ、小林秀雄入門にはよいというか、わかりやすい。
 なんつうか、120円とかだったら衝動買いしてもいいと思うよ。

小林秀雄の読み方

 いわゆる近代批評の部分確立した小林秀雄というのは「モーツアルト」で終わりなんですよ。
 あるいはその延長というか。「ゴッホの手紙」とかけっこうどうでもいい。
 その意味ではこれが必読ですよ。

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小林秀雄: 江藤 淳
 小林が長谷川泰子関連のどたばたで自殺しようとした遺書まで含まれていて、そのあたりは圧巻です。よく小林がこれを公開したものだというか、このころ小林は江藤に賭けていた部分もあったのかと思う。
 ただ、江藤のこの作品は、作品としてみると、けっこうとほほ。
 この問題はこれとも関連。
 これ⇒極東ブログ: [書評]中原中也との愛 ゆきてかへらぬ(長谷川泰子・村上護)
 で。
 と、ちょっとウィキペディアを見たら苦笑⇒小林秀雄 (批評家) - Wikipedia
 小林秀雄の真価はむしろ、ドストエフスキイ論から始まる。
 これね⇒「 ドストエフスキイの生活: 本: 小林 秀雄」
 これがどのくらいすごい問題を秘めていたかというのは、これが必読。
 
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小林秀雄の流儀: 山本 七平
 山本は、小林がドストエフスキー論のためにどれだけ聖書を読み込んだのか詳しく解説している。
 で、端的にいうと、小林の課題はキリスト教なんですよ。正宗白鳥に取り憑かれていたといってもいい。ただ、このキリスト教とは何かがとてもやっかい。いわゆる信仰ではない。歴史というか進化というかそういうちょっと気持ち悪い何か。
 山本はその後の小林を理解しない。というか、わかっていて、「本居宣長」を避けたかったのがミエミエ。
 小林秀雄の仕事はそしてすべて「本居宣長」に結集する。
 のだけど、その前に、ベルクソン論があり、これがすげー難物。
 ただ、しいて「本居宣長」にバイパスするなら、これがかなりよく書けている。
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世界という背理―小林秀雄と吉本隆明: 竹田 青嗣
 でも、竹田はベルクソンを無視しているので、そこがやはり欠落してしまう。
 まとめると、ドストエフスキー論とベルクソン論の失敗、失敗と言っていいでしょう、その必然がどう「本居宣長」に繋がったかという部分が見えないと、小林秀雄論にならない。
 ああ、ちょっと放言的にいうと、小林は、歴史の必然性・悲劇性が終末論的な構造(つまりキリスト教)的な超越の構造を持つのはなぜか、それを人の生活・言語活動がどのようにそこの必然的に流れ込むのかという問いを持っていた。そして、その問いの最後のぎりぎりのところで、言葉が生み出す歴史の必然性のなかで、最後に個を、その死の隔絶性よって救い出すところにある。つまり、個の死の絶対性という悲劇性のなかで、すべての予定調和的な神学を拒絶しながら倫理を打ち立てようとしたところにある。

楳図かずお「14歳」的にはわかっていた話

 ⇒ティラノサウルスはニワトリと近縁|科学|カルチャー|Sankei WEB

約6800万年前の恐竜ティラノサウルスの化石からタンパク質コラーゲンの成分を取り出すことに米ハーバード大などの研究チームが成功、現存生物との比較でニワトリと近縁であることが分かった。13日付の米科学誌サイエンスに発表した。

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14歳 (1): 楳図 かずお
 ⇒14歳 (漫画) - Wikipedia

ビッグコミックスピリッツのトーンを捻じ曲げてしまったほどの楳図作品の後期の作風を語る上で、欠かせない傑作である事は間違いない。しかし、連載当時の編集部と読者からの評判はイマイチで、特に楳図作品を知らない若い読者からの反応が芳しくなく、往年のファンとの間で意見が食い違う事態に発展していた。この反応は確実に現在の休筆へつながっている。

 大傑作ですよ、マジで。

ある恋の物語(英)

 ⇒BBC NEWS | UK | Prince William splits from Kate
 ⇒ウィリアム王子とケート・ミドルトンさん、破局報道 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 サン紙によると、2人の関係は、王子が3月中旬、英国南部の陸軍施設で戦車部隊司令官になるための訓練に入ると、急速に冷えたという。デートの回数が「1週間に1度あるかどうか」に減ったうえ、王子が酒場で若い女性の体に触れている写真が大衆紙に掲載され、別の女性を深夜、兵舎に招待したことも暴露されたという。