実現化する能力

 五反田先生にまた失笑されてしまうが、これはなんとかならんのかと思う。
 これ⇒はてなブックマーク - 富を築くためにどうしても克服しなければならない16のウィーク・ポイント (手帳2.0)
 まあ、どうでもいいといえばいいし、ニューソートとか議論する気もない。
 で、「思考は現実化する」だが、これはある意味で、自己催眠的な技法だ。あまり書きたくはないが、人間の意識にはメカニカルな部分がある。そこをうまく制御すると、各種の成功が得られる。
 ついでだから言うけど、これは、あれ、環境管理型権力のようなものだ。自分がなにか成功目標を設定する、そしてそれに整合した環境管理型権力に自分ではめ込む。たとえば、英語の能力を向上させたいとする。そこで環境管理型権力的に勉強するしかけをつくる。勉強が惰性になればそして環境に馴染めば成功する。そりゃ、まじで一日100個英単語覚えるだけでもたいしたもの。問題は、人の心はそう動くようでそう動かない。裡の欲望というのがある。なので、このデシプリン的環境管理型権力には密かに裡の欲望を動かすのがポイントになる。べたな例でいえば、英語学校なりに通うとき、ひそかにその先生のおぱーいが見たいとか。まあ、「思考は現実化する」とかあたりだとその裡の問題はオモテの欲望というか努力でごりごりとやる。
 でだ。
 そういうショーもない成功術はどうでもいい。
 重要なのは、「思考が現実化するまでのプロセスにおける意志」の働かせかと自己報酬なのだ。もっと言えば、努力の技術だ。
 たとえば、あなたがサンピエトロ寺院の前に立ちたいと夢想する。それを実現化するにはどうしたらよいか。
 慣れている人ならこんなことはただの事務だ。
 しかし、慣れてないというかやったことない人には、知識と、意志という努力の技術が必要になる。
 知識を得る努力はそれほど難しくない。そして、たいていの努力はカネで代替する。
 しかし、問題は、思考と現実の間にある乖離こそが、あなたの努力を必要としているということを理解すること。
 意志と努力を動かす内的な技術を身に付けないといけない。
 まあ、難しく言うようだし、ちょっとこんな話は書くもんじゃないけど、高校生とかに重要な能力はそこだと思う。
 高校生には、だから、まず夢想させ、それを現実化させるための知識を与える、そしてそれを本当に実現するための意志の動かしかたを見つめつつ、努力の技術を学ばせる。
 臭い言い方だが、それが創造ということ。意志がゼロから何かを作り出し、意志に向けて対立させること(疎外こそが現実)。
 大聖堂を見るとき、それを構想した人々とそれを突き動かした歴史の惰性の力の背後に、意志と努力がどのように見えるか?