ちょっとだけG

 どの本だったか忘れた。ウスペンスキーの孫引きがまだ自分に残っているかもしれないが。ああ、違う、注目すべき人々との出会いだったか、Gは人の幸せを voluntary workと言った。あるいは、voluntary sufferingとも。たぶん、Gの中にはこの言葉で表現すべき何かがあり、それを弟子たちに伝えようとした。様々な形態で。そして、私のようにGに触れることもない時空の人間にまで。
 Gの教えはある意味で非常にシンプルにできている。voluntary suffering = awareing = being = creating = creation = reality というか、そういう正教的なあるいはスーフィー的な何かだ。ただ、そうサマリーすることが危険だし、無意味だということをGは実際のマスターとして知っているし、彼は個々の教えしか残さない。あるいは知るためにワークを必要とするように残した。ワークによって知ることが可能になるからだ。
 しかし、Gのワークのなかで人々が眠ることをGは知っていた。Gはワークと人生をわざと衝突させた。人生はワークでもありワークでもない。人生がGの枠組みのワークであるなら、Gはかならず壊しただろうし、壊した。