日経 春秋(2/15) : NIKKEI NET:社説・春秋 ニュース

 核でも拉致でも、これまで世界をだまし、欺いてきた北朝鮮。苦い学習を積んできた国際社会には、もう認知的節約は働かない。重油100万トン分のエネルギー支援を受けても、狡猾(こうかつ)なおねだり上手は、最終的な核放棄へはすぐ動くまい。合意内容の一から十まで、実行の厳密な検証が不可欠だ。

 話をよくわかっていないご様子。
 最初は5万トン。
 それと、その5万トンは日本ハズシの第一歩。

産経社説 ガス器具事故 危険への切実感が足りぬ

業者、行政、消費者がそれぞれの立場で危険への意識を高めない限り、悲劇は今後も繰り返されるだろう。

 ま、三竦みみたいな話にまとめて条件にするけどそれは無理ってもので悲劇は繰り返されるわけで、あまり意味のない提言。基本的にはフールプルーフでしょう。

読売社説 [合併基準緩和]「企業の国際競争力強化に生かせ」

 読売のスタンスがよくわからん。
 なんとなく変な感じがするのは昨今の公取三角合併の地ならしなのだから、それはいかんとかいう論調はないのだろうか。小泉政権のときはあちこちで変な勢力が盛り上がったけど安倍政権になってからはなんだか、どの勢力もめちゃくちゃな印象を受ける。

朝日社説 放送行政 大臣の命令はご免だ

 原則としては朝日の言い分は正しいけど、国際放送の話は法で決まっているので話が別。というわけで、全体的にはめちゃくちゃな社説。話を切り分ければいいのに。

いうまでもなく地球は滅亡する

 ⇒人力検索はてな - 地球の滅亡につながってしまうような問題を調べています。(例えば、酸性雨で、土壌や湖沼を酸性化させ、森林や湖の生態を破壊しているなど)そういったものについて、分か..
 ホーキングも明確に言っているがいずれ地球は太陽に飲み込まれて消滅する。ただ、それまで人類が持たないということ。彼はけっこうもたないと見ている。私はなんとか数万年は持つかもしれないなと思うことにしているので、数万年後の人間というものを構想する。
 ただ、それでも、いうまでもなく地球は滅亡する。
 それがどういう意味なのか若い頃はいろいろ考えた。老いて良いことはそんなことより自分の滅亡が上位の課題になってきたことだ。
 それにしても、必ず滅亡するとわかっていてなぜ地球生命は存在するのだろうか。
 これはちょっと思うことがあるが、トンデモとか言われるのも嫌なので略。
 
追記
 間違い訂正。最近の説では地球は太陽に飲み込まれないが有力。
 ⇒太陽 - Wikipedia

76億年後には中心核の温度は約3億Kにまで上昇し、ヘリウムの燃焼が始まる。すると太陽は主系列時代のような力のバランスを取り戻し、現在の11〜19倍程度にまで一旦小さくなる。しかし水素とヘリウムが2層構造で燃え続けるために燃費は悪く、その安定した時期は1億年程度しか続かない。やがて中心核がヘリウムの燃えかすである炭素や酸素で満たされると、水素とヘリウムの2層燃焼が外層部へと移動し、太陽は再び膨張を開始する。最終的に太陽は現在の200倍にまで巨大化し、膨張した外層は現在の地球軌道近くにまで達すると考えられるが、最近の研究では赤色巨星段階の初期に起こる質量放出によって惑星の公転軌道が外側に移動するため、地球が太陽に飲み込まれることはないだろうとされている。

 ま、その状態で生命が存続できるとは考えにくいので、人類的な観点から見れば、大した差はない。
 もう一点。
 ホーキングが地球で人類の生存はダメといったのは確かだけど、温暖化などの理由らしい。
 ⇒asahi.com:ホーキング博士「人類は他の惑星に入植すべき」 - ロイター芸能ニュース - 文化芸能

はてなQ 恋愛成就と高いところが関係しているようなスポット

 ⇒人力検索はてな - 恋愛成就と高いところが関係しているようなスポットを探しています。(例えば、こんな高いところで、●●をしたら、恋愛が成就するとか、恋愛成就を願うためには、こんな高..
 この手のネタは雑誌などにもよくある。
 私は、ちょっと不思議に思っているのだが、そしてすべての女性がと言わないが、ちっこい子連れのいそうな場所でデートとかすると、女性の意識がなんとなくほわわんと恋愛モード濃いになるのではないかと思ったことがある。昔の話じゃで。

ビジネスブログではないけどビジネス的ブログっていうか

 とても切れるブロガーとかいる。
 でも、一年保たないように思える。つまり、なんというか、自滅系。(理由を付けて去っていくのは自滅の証明ではないのだろうか。)
 あるいは一年は経過しても、定常的に書いてないというか、たまに書いていて人気というか。で、それっていうのは、いわゆるエクセントリックな手法を伸ばしているだけで、やはり自滅系の変奏ではないのか。
 ま、非難とかじゃないのだけどね。
 ブログというのは、それがとても切れるとか人気があるというより、ただ、続いているというのにけっこうな意味がありそうに思える。
 ま、そういうと自己弁護的に聞こえて嫌がられるのだろうけど。
 これって、でも、ビジネスに似ているわけで。
 ビジネスというのは、成功・失敗とかよく議論されるけど、現実的には、長く続けていればいいのですよ。というか、近江商人とかの智恵とか以前見ていて、たいていは凡庸なんなんだけど、存続の原理が優先されているし、そのための最適戦略がありそうに思えた。
 ま、もうちょっと思うことがあるけど。
 日本でもブログシーンが3年を越えたわけで、なのにいまだに匿名がどうたらブロガーどうたらじゃなくて、3年ブロガーとか、1年ブロガーとかいう層で見てもいいのではないかと思う。
 意外に、Google様はそのあたりのことがわかっていらっしゃるっぽい。

日本の仏教史はざっと見ているかぎり全滅かと思う

 のは、教義史と区別ができてないからだ。
 仏教史と限らないとも言えないこともないが。
 で。
 例えば、実際の寺院と見て回るとやたらと薬師如来とか観音菩薩が多い。なぜか。地蔵とかも多いなぜか。こういうべたな質問に仏教史が答えない。で、民俗学が答えようとするのだがメタになってとんちんかん。
 薬師如来については単純に病気平癒祈願というのはわかりやすい。
 では、観音菩薩はというと、これは呪法返し(つうかバリヤー))ではないかと私は思う。私が知らないだけかもしれないがあまりよい研究がない。ま、江戸以降というか近代では壷坂霊験記のようになるのだが。
 観音菩薩と観音経を一緒くたにしてはいけないが、後者の経典、実際には法華経の一部で、しかもその詩文の部分だが、これは古代においては呪法返しがかなりの用途っぽい。ということは、それに対応する呪法が存在したのであり、仏教というのは、この側面では呪法のエキスパート養成学だった。
 まあ、そういうのは仏教ではないとか偉そうな議論で隠れてしまって、現実の「仏教」の社会での働きの歴史が見えない。
 親鸞でもそうだが、善鸞事件は案外簡単な問題ではないのかもしれないと思う。また親鸞の関東教団の動きも現在は事実上継承されていないがあの教団がなんであったかはよくわかってないと思う。
 こうした問題の核心というのはあまり関心もたれていない。案外現代的な問題なのかもしれないのに。
 
追記
 ⇒薬師如来 - Wikipedia

東方浄瑠璃世界の教主であり、12の大願を発し、瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として信仰を集める。顕教系の如来であって、密教曼荼羅類には一切登場しない。しかし伝統的に天皇家と結びつきが強かった天台宗での密教では、薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主であることから、東の国の王たる天皇と結び付けられもした。また密教では、胎蔵大日如来と同体とする説があるが、これには天台密教において、顕教での妙法蓮華経に説かれる久遠実成の釈迦如来密教大日如来との解釈と、釈迦如来衆生救済の姿という二つの見方による。

 仏教教義からは薬師如来信仰が出てこない。では、こうした実態の仏教史がどうなっているかは、よくわかっていない。
 ここで薬師如来天皇との関係が興味深い。

徳川時代、初代将軍徳川家康が神格化され、神君と呼ばれるようになった。僧天海などの働きもあり、朝廷より、「東照大権現」の名が下され、東照宮に祭祀された。ここで、東照権現信仰が始まる。この場合、徳川家康薬師如来が日本の仮に姿を現したものとし、神仏習合の形をとり神社神道形式で祭祀を行う。

 つまり、そのポジションを家康が取り込む。
 天皇=神格化、とか、近代になって言われるが、こうした神格化の歴史の背景はそう単純ではない。

家康の呪術

 というのに一時期関心を持った。すっかり忘れてしまったが、ぼんやりアウトラインは覚えている。
 基本的に家康は呪法を必要としていた。おそらく秀吉の霊力の封じ込めであったと思う。
 意外に家康はアルケミストだったっぽい。神仙薬の関心を持ち続けたというか、彼の後家ごのみもそれの関連かもしれない。また死因も案外自家薬中毒だったかも。
 なぜ厭離穢土・欣求浄土なのかがよくわからない。
 普通は⇒岡崎市/徳川家康公について

 1560年5月19日、織田信長今川義元による桶狭間(おけはざま)の合戦は、信長が急襲によって義元の首を討ち取られます。 今川方の部将として出陣した家康公(当時19歳で、名は「松平蔵人(くらんど)元康」)は、織田軍の追撃を恐れ、尾張大高城から近臣18人とともに大樹寺へ逃げ帰りました。 しかし、前途を悲観した家康公は、祖先の墓前で自害しようとします。
 そのとき、大樹寺13代住職の登誉上人(とうよしょうにん)は、家康公に仏教の教えである「厭離穢土・欣求浄土(え(お)んりえど・ごんぐじょうど)」などを示し、家康公に切腹を思いとどまらせました。

 文献的には往生要集だが、その経緯がよくわからない。というか、それがどのようにエートス化したのか。
 それと天海。
 ⇒天海 - Wikipedia

天海としての足跡が明瞭となるのは、天正16年(1588年)に武蔵国無量寿寺北院(後の喜多院)に来てからである。このとき、江戸崎不動因の兼任でもあった。浅草寺の史料によれば、北条攻めの際、天海は浅草寺の住職忠豪とともに家康の陣幕にいたとする。これからは、天海が関東に赴いたのはそもそも家康のためであったことがうかがえる。

 ま、そうだ。

元和2年(1616)、危篤となった家康は、神号や葬儀に関する遺言を天海らに託す。家康死後には神号を巡り崇伝、本多正純らと争う。天海は「権現」として山王一実神道で祭ることを主張し、金地院崇伝は家康の神号を「明神」として吉田神道で祭るべきだと主張した。天海が2代将軍となった徳川秀忠の諮問に対し、明神は豊国大明神として豊臣秀吉に対して送られた神号であり、その後の豊臣氏滅亡を考えると不吉であると提言したことで、家康の神号は「東照大権現」と決定された。

 さらっと語れるが、このあたりに秀吉に対する霊力の問題も隠れており、それが現代人からはわかりづらいのだが、馬鹿みたいにマジな問題だった。
 ⇒徳川家康 - Wikipedia

家康の遺言により、始めは駿府の南東の久能山(現久能山東照宮)に葬られ、一周忌を経て江戸城の真北に在る日光の東照社に改葬された。神号は側近の天海と崇伝の間で、権現と明神の何れとするかが争われたが天海が勝ち、山王一実神道に乗っ取って薬師如来を本地とする権現とされ、1617年(元和3)3月9日東照大権現の神号と神階正一位が贈られる。

 ここに書かれてないのだが、確か、久能山では家康はミイラであったはずであり、聖体的な呪法の封印を意味していたようだ。
 これが日光に移されるについては、さらにいろいろ呪術が関与している。
 こうした呪術の空間が実は戦国時代から江戸期においてとても重要な権力の意味をなしているはずなのだが、まともな研究はないというか、民俗学になっておちゃらける。
 現代人にとって呪術がテクノロジーであることが理解でないせいだろう。
 
追記
 あー、もしかして、霊力とか実体的に考えて、finalventはトンデモとか言うなよな、まさかとは思うけど、そういう意味じゃないんだし。(てな追記をしないと誤解されるご時世かも。)

これが釣り芸だったらスゴイかも

 これ⇒分裂勘違い君劇場 - 「他人の生産性が向上すると自分の給料も増えるのか?」を中学生でもわかるように図解する
 ちなみに池田先生⇒池田信夫 blog 生産性と「格差社会」
 の、コメント欄⇒池田信夫 blog

勘違い君へ (池田信夫)
2007-02-15 13:03:37
 「分裂勘違い君劇場」で反論(?)がまたも長々と展開されているようですが、この記事で「TFP」と書いたところをちゃんと読んでよ。
 勘違いも1回ぐらいは芸のうちだけど、あまりしつこいといやがられるよ。

 ちなみに。

PPP puzzle (池田信夫)
2007-02-15 02:04:51
 要するに、この話は「購買力平価の謎」という有名な話のバリエーションなのですね。
 貿易財についてはPPPに近い価格が成立するのに、非貿易財やサービスの価格はPPPよりかなり高い。これはよく「内外価格差」として批判されますが、こういう現象は日本だけではない。
 これについての常識的な説明は、国内市場が不完全競争だから、という(私のような)答です。しかし、これは国内価格がどうやって決まるのかを説明していない。このPPP+αのプレミアムの部分が製造業などからのスピルオーバーだという説明はありえます。

 で。

しかし、これを「平均生産性で決まる」など表現したのが間違いのもとです。そういう合理的な決定メカニズムは存在しない。ウェイトレスの時給は、ハイテク産業から「補填」されてるんだ、とでもいえばわかりやすかったのです。しかも、このプレミアムは本来の生産性から乖離しているから、国内でも競争が激しくなると剥げ落ちるわけです。

 ま、そういうわけで、「ウェイトレスの時給は、ハイテク産業から「補填」されてるんだ、とでもいえばわかりやすかったのです。」ではある。というか、ま、そんな感じ。
 でも。
 現状はどうかというとという問題が、問題かもね、と。
 ただ、

集計的な労働生産性が賃金を決めるというモデルとしては、新古典派成長理論があります。しかし、これは均質な「パテ」モデルなので、ウェイトレスの時給と製造業の賃金の関係については何もいえない。要するに、彼が最初に立てた問題(職種間の所得の違い)に全社会の「平均」で答えようとするのが間違ってるんですよ。

 このあたりの経済学的な定見については、よくわからない、私は。
 インフラの効率(TFP)というのも、単純によくわからない。妥当な気がする。
 で、と。
 ⇒池田信夫 blog 賃金格差の拡大が必要だ

しかし、このような限界生産性から乖離した賃金決定は、各部門の生産性の格差が拡大すると維持できない。生産性の上がらないサービス業で製造業並みの賃上げを続けていたら、経営は破綻する。他方、労働組合は既得権としての横並び賃金を守ろうとするから、経営者はパートなどの非組合員を増やすことによって実質的な賃下げを行う。民主党の支持基盤である労組が没落した最大の原因は、彼らの「談合」的な賃金決定が時代の変化に適応できなかったことなのだ。民主党が主張しているような規制を行えば、労組の組織率がさらに落ち、自分の首を絞める結果になるだろう。

 批判でもなく、私としてはここが興味深い。
 もうちょっというと、たとえば、看護師の労働とか。その賃金を何が決定していくか。
 その前に。

こうした市場メカニズムの圧力は、今後さらに強まると予想される。その最大の原因は、中国である。前にもふれたように、中国からの輸入やアウトソーシングの増加によって要素価格が均等化し、付加価値の低いブルーカラーは中国の労働者と競争することになる。これまで生産性の低い部門に再分配されていた輸出産業の超過利潤は低下するから、多くの部門で「裸の生産性」が露出し、賃金格差はさらに拡大するだろう。

 私は経済学はよくわからないが、いわゆる物として取引される「物」がサービスの代替をしていくというか、サービスが物化していく傾向があるようには思う。
 あるいはサービスが情報化していく。その場合、情報化された部分によるコスト減がどう働くのかよくわからない。
 自分が馴染んだ学問領域だと、理論の部門と応用(applied)の部門は明確に分離されるのだが、経済学というのはどうなんでしょうかね。分離されていると私は考えていたので、こういうブログシーンは不思議だなとはちと思う。(ちなみにマル経でも学問的には分離されるのだが、実際の論戦とかではごっちゃになる。)

義理、ちょこっと

 ま、わかってない人もいるっぽいのでちょこっと。
 ⇒経学 - Wikipedia

経学の歴史は三分される。第一は漢代を代表とするものであり、第二は宋代を代表とするものであり、第三は清朝を代表とするものである。ただ第三の清朝経学は、漢代経学と同一であるとする立場があり、これに従うと、経学の歴史は漢代と宋代との二区分となる。概括すると、漢代経学は経書の字句解説を主とする訓詁学(後、漢代の訓詁に注釈を施す義疏学が発展し、それを総じて訓詁義疏学と呼ぶ場合もある)とされ、宋代経学は経典の趣旨(義理)を分析する義理学であるとされる。

 宋代経学は義理学。
 これが重要なのは、易経

本来は占筮(占い)の書であるが、宋代には人間の本質(義理)を講説するものとして義理易なる学問が提起された。今文には施氏・孟氏・梁丘氏・京氏の四家、古文には高氏・費氏の二家が存在する。現存するものは費氏系のテキストである。

 もうちょっとぶっちゃけて言うと、実際上は易の解釈が義理なのである。