日経社説 投資立国への道のりは遠い
そりゃ、村上欽ちゃんを叩くからだよ。
産経社説 プーチン政権 G8の国の品格がほしい
産経だめだめの例。
産経社説 テロ対策法 実効性ある法の仕組みを
民主党もある程度すり寄っているのでプロパーなところでは合意は可能ではないか。
毎日社説 原爆症認定 血の通った審査方法に改めよ
そして明日はアスベスト。
読売社説 [3月期決算]「攻めの経営で増益5年目に挑め」
よくわかんないが、量的緩和の効果ってこういうことだったのでは。
朝日社説 歩道橋事故 被害者と泣く検察に
詳細がわからないが、こういう朝日の社説は是。
朝日社説 拉致家族 共感の輪を広げたい
おや、世論に迎合?と思ったら、標題と内容は違って昔の朝日節でしたか。
しかし、北朝鮮への態度には隔たりも大きい。横田さんたちは制裁で圧力をかけるべきだと言い、韓国政府は融和的に臨んで解決していこうとの立場だ。
どちらか一方の方法だけで展望が開けるとは思えない。やはり、対話と圧力を組み合わせて解決を迫るのが現実的なアプローチではないか。
拉致問題だけを動かそうとしても難しい。北朝鮮の核問題や日米との国交正常化などを含めた包括的な戦略が必要だ。
それには日米韓の連携が欠かせない。そういう大事な時なのに、日本と韓国の政治関係は凍りついている。こんな関係にしてしまった両国の政治家の責任は極めて重い。
HAHAHA、サヨクのテンプレな、これ。
現実論としては、圧力と制裁は別。圧力は意味があるが、制裁は意味がない。
それと、実は、この朝日の議論はとんでもねー目くらましなのな。つうか、この問題の背景にあるのは、中国に流入する北朝鮮難民なわけなのだよ。
questionモジュールは単に壊れているだけか
よくわからんが。
カワセミさんココログ撤退……
⇒カワセミの世界情勢ブログ: ブログ移転しました
RSSを入れ替え。
ココログぅ、大石先生だけが怒ってんじゃねーぞ、と。
いざというときなんか言う……
ブログを始めたころ、でもないか、それなりに、いざというときなんか言うためのツールであったらなという思いはあった。今それがあるかというと微妙。基本的に自分というか自分の発言なんかはゴミ。政治的に見ると、無。
でもそれなりのPVがあれば、だからこそそれを阻止するためにウジ虫がわいてくるというのは経験したしっていうか、ゴミ溜でひっそりしているとウジ虫もわかない。
ちょっと言葉を端折ると、ウジ虫さんの敵に私は見えるのかもしれないけど、私はウジ虫さんの敵ではない。そんなたいしたもんじゃないってばさ、私とか。
で、じゃ、というと、次に思ったのは、きちんと違和感を言うということ。
実際にやってみると、きちんと、というのは難しい。
なんとなく違和感というのはある。
話が逸れるが、PVのあるラインを超えるごとに何かを捨てていかなくてはいけないわけで、そのあたりのバランスが難しい。
率直にいうと、サヨクさんブログが失敗しているのは、その捨てる部分への思い切りの悪さなのだろうし、そのなかで生息するというバランスということなのだろう。
ブログがどういうメディアであるかというのは、PVによってクラス分けされるという側面がかなりあるのだろう。
あと、ブロガーもまたある線から上はメディアなんで、そのあたりは必然的なバランスに組み込まれる。簡単にいうと、有名人ブロガーっていうのはある部分が言えなくなる。そこを言うとすごいスクラムみたいのが出てくるというのもブロゴスフィアのエコロジー(生態系)なのだろう。
話がそれるが。
共謀罪とか教育基本法とか……こんなの「いざというときには」に自分の認識では入らない。まあ、そのあたりの状況認識と発言というのは、結果として、実はPVからのリダクションかもしれない。つまり、そういう発言を見たいというPVを維持できる層があって、その期待に応えているだけというか。
一円にもならないのに……
主要なテーマじゃないんだけど⇒BigBang: すさまじく消費されていくこと------永遠に?
やがて何人かのブロガーが疲れ果てて、あるいは書く意味を見失って、ブログを閉じて去って行く。
何のために書いているのか。1円にもならないのに。
何のために書いているのか。名誉にもならないのに。
この空間に消費され尽くし、体中に傷を受け、留まっていられるのは、いったい何年が限界なのだろうか。そして何本の記事が限界なのだろうか。そんな御託を並べている間にも、僕はこうして記事を書き、あるいは人のブログに、無謀なコメントを残す。
で、ぶくまのこれ
2006年05月17日 BigBang ↓ 訂正。「100万にもならないのに。」(嘘嘘) アフィリは記事を書くたびに潤う仕組みじゃない。やってる人ならわかるけど、こんなもん入らんよ。趣味の領域。
2006年05月17日 unagi_pie がっつりアマゾンやらアドセンス張っておいてそりゃねえだろ。>何のために書いているのか。1円にもならないのに。
現状、ブログのアフィリエイトは「100万にもならないのに」どころかではある。
で、話だが。
ブログで食えるか論リターンズなんだが。
結論はすでに出ているわけで、しかも、近未来的に変更もなさげ。
先日、ちと人とこの手の話をしていて、アフィリエイトとかでブログの対価になるか、と。
意外とごにょごにょ試算してみると、現在のアフィリエイトっていうのは適正な価格っぽい。
これを端的にいうと、ブログのエントリのお値段は、それにアフィリエイトをくっつけたときの収入とそれほど変わらない。
過程を書かないと話にもならないのだが、単純にいうと、有名でもなく誰にも依頼されたわけでもなく、ネタもない原稿って、お値段はゼロ円なわけですよ。
で、おカネっていうのは誰かが出すわけで、問題はその対価のマーケットの構造なわけです。それは、けっこう適正。
投げゼニについても現状失敗したと見ていいけど、竹熊さんとこみたいに、アーカイブの基金求むみたいのには使えるでしょう。つ・ま・り、対価としてではなく。
対価が発生するのは、投げゼニじゃなくて、市場が必要。で、現状、アフィリエイトしかない。で、そのアフィリエイトの市場の機能はそれなりに現状で問題ない。
しかし、と。
もっと原稿料みたいに収入にならなのか、という疑問を持つ人もいるだろうが、それはエントリにそれ自体に価値があるという幻想があるわけで、もっとというなら今を超える市場というかインフラないとダメダメ。
テレビ雑誌メディアというのは広告からきちんと回収できた。新聞は戸配のシステムとしては近未来的には問題ない。NHKという戸配のシステムはどうか、とりあえず近未来的には問題ない。
むしろ有料メルマガだが、これは、ぶっちゃけ、宗教みたいなものでしょ。信者500人から1万からげて年収500万というユニット。これをどれだけ倍にするかだが、基本的にメルマガの情報は漏れ漏れになるので、1000人くらいの奇篤なコアで支えられる。わしズムとかもそうか。
現状、フツーの本だと2000部売れない。なので、出もしない。が、ビンボでもよろしの出版の鬼が(たいていサヨクだが)いて、2000部で本が出る。このうち、1000部をプロ市民が行政をつっついて図書館に買わせてというあたりで、これはモデルとしては基本的に煎餅や太陽法的な仕組みの変形。
まあ、アフィリエイトじゃない広告がブログに付けばいいのだろうけど、その動きはない。っていうか、電通とか博報堂的なリーチというか対効果ではお値段がつかない。
おカネとご縁……
まだあった⇒週刊!木村剛 powered by ココログ: [ゴーログ]お金に縁がない人の法則
特にご指摘していらっしゃるように、「一生懸命に働いている→生活が楽しく、豊かにならない。→楽しく、豊に生活している人間は悪い事をしているに違いない!」という思考回路に陥ったら最後ですね。
ま、どうでもよい、と。
もとネタの⇒収入の増やし方 その1|小売店で働く社長の日記
そこで、自分の戒めも含めて、ある本からお金に縁がない理由を引用してみます。
パターンはおおむね3つです
1.悪いことをしなければお金持ちになれないと考えている。
2.お金よりも大切な物があると考えている。
3.金を持ったらロクな事にならないと考えている。
ま、それはいろいろ。
カネにご縁というのは、実はごく単純。入るを増やして出るを制するというだけ。ほんと、これだけ。
たいていの人が金持ちにならないのは、入るを増やすを考えて、出るを制するをしないから、か、あるいは出るを制しているのにどっかでパトラックしちゃうから。
で、普通の人は入るを増やすはできないんですよ。難易度95%。運5%(そのくらいの運は誰もあって見逃すのが人生)。問題は出るを制するがどれだけの難易度か、と。で、消費というのは欲望なんですよ、結局。
サラリーマンなら誰でもわかると思うけど、入るは増やせませんてば。では出るはどうかとこれもダメダメ。じゃ、どうするかと天引きの積み立てするといい。5年くらいやるとえ?というくらい貯まりますよ。なぜそうしないかは、その分が入りだと思っているからです。
あと、入るが増えたら最大の問題は税金。
自分に投資という言い訳……
歳を取ると言い訳なんだろうなと思う、自分に投資ってやつ。
たいていの自分に投資っていうのはダメ。ダメな理由は簡単でして、その投資家が若いオメーだろ、である。
これがだね、親とかおじさんとか親族とかが投資してくれるとうまくいく。だから、人生の成功の最大の秘訣は親を選べ、と。バーナード・ショー曰く、と。
でマレにすごい人間というのがいる、投資に値いするような。でも、すごい人間というのは、すごくないと生きられないからそうなっているという変種なわけで、ようはその本人じゃなくて、そういう生存全体の環境なわけで、その環境全体がその本人に見ているかというと見えるわけないってば。というわけで、そこでうまく全体を見てその人を育てる人がいたらラッキー。
中国人なんかだとそれを貴人との出会いみたいに言うわけで、彼の地の歴史とか書とか見ればわかるけど、いかに貴人と知り合うかというのが人生の分かれ目。で、そういう貴人とどうしたら知り合うか? これはよくわからん。言うまでもなく私は人生の失敗者だし。
話を戻して。
自分に投資というとき、それでもこれはダメだろと思うのは、対社会的な理屈かな(つまり言い訳)。自分に投資というときその自分が対社会的に価値があるようにと思い込むのだが、そうは問屋が卸さない的。
まあ、問題は継続的な意志によるのでしょうけど、それほど人が持てないものはない。というのなら、環境が意志であるかのような環境を作って飛び込むしかないんじゃないか。えいやっと。投資というより、身投げというか。しかし、人生なんてそんなもののように思う。
再掲、finalventのポリティカル・コンパス
これ⇒finalventの日記 - Political Compass
最近はもっとウヨ化していると思われるかもしれないけど、たぶん、私は、変わってないですよ。バランスとっているという意識もありません。
こういうところ保坂展人ってさ
⇒保坂展人のどこどこ日記:医療法案、強行採決。不気味なムード広がる
ついに厚生労働委員会で審議中だった医療制度改革法案が社民党の阿部知子議員の小泉総理への質問終了直後に、与党議員が「質疑終局・採決」の動議を提出して委員長席に野党委員が駆け寄り怒号が飛び交う中で、強行採決した。12時25分過ぎだった。ついに、「郵政民営化・国民投票」の結果得た巨大与党の議席を「医療切り捨て」に使ったのだ。本ブログを注視している読者は、共謀罪・強行採決との連動が近づいてきていることを直感されるに違いない。
保坂は医療制度改革法案ってわかってんのか? っていうか、現状はひどいぞ、なにかと。
参考⇒療養病床、削減の可能性
政府が社会的入院対策の切り札としているのが、こうした療養病床の削減だ。医学的管理が必要な医療保険適用型(25万床)と医療の必要性の低い介護保険適用型(13万床)の2種類があるが、区分けはあいまいで、医師の対応がほとんど必要ない患者が半分を占める。医師や看護師の配置が福祉施設に比べて手厚く、費用がかかる上、居住の場としては決して快適とは言えない。このため、2012年度までに医療型を6割に削減し、介護型を全廃する方針を、政府は医療制度改革法案に盛り込んだ。