自分に投資という言い訳……

 歳を取ると言い訳なんだろうなと思う、自分に投資ってやつ。
 たいていの自分に投資っていうのはダメ。ダメな理由は簡単でして、その投資家が若いオメーだろ、である。
 これがだね、親とかおじさんとか親族とかが投資してくれるとうまくいく。だから、人生の成功の最大の秘訣は親を選べ、と。バーナード・ショー曰く、と。
 でマレにすごい人間というのがいる、投資に値いするような。でも、すごい人間というのは、すごくないと生きられないからそうなっているという変種なわけで、ようはその本人じゃなくて、そういう生存全体の環境なわけで、その環境全体がその本人に見ているかというと見えるわけないってば。というわけで、そこでうまく全体を見てその人を育てる人がいたらラッキー。
 中国人なんかだとそれを貴人との出会いみたいに言うわけで、彼の地の歴史とか書とか見ればわかるけど、いかに貴人と知り合うかというのが人生の分かれ目。で、そういう貴人とどうしたら知り合うか? これはよくわからん。言うまでもなく私は人生の失敗者だし。
 話を戻して。
 自分に投資というとき、それでもこれはダメだろと思うのは、対社会的な理屈かな(つまり言い訳)。自分に投資というときその自分が対社会的に価値があるようにと思い込むのだが、そうは問屋が卸さない的。
 まあ、問題は継続的な意志によるのでしょうけど、それほど人が持てないものはない。というのなら、環境が意志であるかのような環境を作って飛び込むしかないんじゃないか。えいやっと。投資というより、身投げというか。しかし、人生なんてそんなもののように思う。