産経社説 読書週間 本好き育てる漢字復活を

 GHQ漢字なんだけどなぁ。萎える。

 早期漢字教育を提唱し、実践した故石井勲博士は幼少期こそ漢字教育に適していると述べている。漢字は文字に意味を備えている。一字を覚えるのは一つの言葉を身につけることと同じなのだ。

 あれ、石井先生いつお亡くなりになったのか。ところで、この段落、石井先生は是とされるだろうか。するだろうな、公文と組んで儲けた名声を得たのだしな。と・ほ・ほ。

毎日社説 在日米軍再編 日米安保が大きく転換する

 ひやぁ無脳。

 沖縄では普天間飛行場の移設に加え、嘉手納基地以南の米軍用地の返還の計画作成も中間報告に盛り込まれている。なお、沖縄の負担軽減では努力すべきだ。

 なんにも考えてないだろ、この無脳。

朝日社説 補佐官起訴 米政権の信頼は戻るか

 こんな話にもパクつくのか朝日。

 ブッシュ政権は、米兵の死者が2千人を超えて混迷の度を深めるイラク情勢に加え、ハリケーンカトリーナ」への対応の鈍さや、側近のマイヤーズ法律顧問の最高裁判事への指名など失態続きだ。国民の支持率は大きく落ちている。

 「マイヤーズ法律顧問の最高裁判事への指名など失態」って書く神経がわからない。反対したのは共和党なんだよ。

イチホゲ

 英語で読みづらいが
 ⇒Telegraph | News | Shakespeare portrait is a fake
 シェークスピアの肖像は本人ではないらしい話。
 といっても日本人がよく見かけるれいの禿ポートレートではないのだけど。
 頼朝の肖像は別人、楠木正成もかな、足利尊氏も。信長もそうかな。この手の肖像ってけっこう別人。

ほぇ〜そーなんすか

 ⇒[R30]: 楽天は本当にAppleに対抗しようと考えたのか?
 ま、Apple云々の議論はちょっと勘弁してくださいね、っぽいのだが。

 しかしそうではなく、虎の子の1000億円をTBSに投じたのはなぜか?その理由をおなじみ、松本のコーヒー屋氏や、kenjimori.comが分析してくれている。要するに、もう楽天の「ショッピングモール」というビジネスは、寿命間近なのである。映像ビジネスに種をまいてそれが芽を出し育つまで、待ってられないのだ。そのことを三木谷氏本人が一番よく知っているのである。
 かつてネット・ショッピングには、信用できる決済システムと店舗へのトラフィック確保にネックがあると言われていた。楽天はそこに注目し、決済インフラの確立、そして「ネット店舗なら何でも楽天にある」と言わしめるほどの店数を揃え、「ネットショッピングならまず楽天」と消費者に連想させ、お客のトラフィックを確保することに多大な努力をかけた結果、大いに成長した。

 そうだろうか?
 決済インフラなんてものはまさにインフラなわでけで、むしろ、昨日もちらと書いたけど、出店をうまくマネージして楽天の内部に取り込むようにしたらいい。つまり、寺銭とか所場代ビジネスじゃなくて、出店者をアファーマティブに経営するようにしていけばいいと思う。
 昨日も書いたけど、有効期限付きポイントの無料配布なんかいい方向だと思う。それと、送料についてもっと抜本的な圧力を楽天がかければいいのに。たとえば、一定以上楽天から買う人はどの店舗でも送料はただですよとすればいい。
 さらに、AWSのようなシステムをさっさと作れよである。在庫管理もな。
 それと月間5万円以上買う顧客は別管理すればいいのに。
 やるべきことたーんとあるし、まだまだできる、と、私なんかは思うのだけどね。
 うまく言えないのだが、これは使えるってなブログをさっさと青田刈りして、それらをいわば「ミニ通販生活」化すればいいのに。どだい、本家の通販生活なんてものも早晩アフィリエイトに毛の生えたくらいのものになるかもしれない、…まならないけど。
 で、楽天がその方向に進むかというと、ま、合掌。
 あ、くどいが。

 だが、ネットでの物品購買が当たり前になり、決済インフラの信用性もほとんどボトルネックにならなくなった。またトラフィックGoogleを初めとする検索エンジンからが中心になり、SEOや検索連動広告を出せば単独でネット上で店を出しても十分トラフィックを確保できるようになった。そうすると、楽天に顧客リストを握られている既存店舗はともかく、新規に出店する業者が楽天の利用を検討する必然性はまったくない。ここが、オークションという「システム」そのもので顧客をロックインしてしまったヤフーと楽天の、大きく異なる点である。

 そんな社会はこないと思う。
 というか、そんな社会があるかも的IT幻想と現実のニッチになにか出てくると思うよ。
 ま、米国みたいに安物探しならFroogleが使えるけど、実質Froogleはイマイチ。価格.comの限界と同じ。
 検索エンジンなんてものは商品選びには使えないですよ(全然とは言わないけど)。
 やはりそこは目利き的なキーマンがノードになっていきつまりミニ通販生活…と話が循環でおしまい。

Appleと楽天のことちょっと補足…

 うーむ、どうも、うまく話が通じないっていう部分はありそうだ、とかいう私も楽天とTBSなんて話が通じている部類ではないので以下略。
 ほいで。
 video iPodなんだが…。
 これってPSPみたくその場で見る、というのもありはありだろうけど、すでにTV端子が付いているように、基本的な表示装置は別ですよ。というか、iPodの音楽利用も、日本だとまんま耳につっこんでしまうけど、米国では大半は自動車。あと、あれがオーディオシステムなわけですよ。あんなものの音質でとかいうの意見もありはありだけど、それなりにイコライズしてアンプすればそれなりにはなりますよ。ま、そんなわけで無線とかオーディオシステムとかに連動する。そ・れ・と、米国って説教文化(教会の説教)、なんで、けこう話を聞くツールだったり、ニュースを聞くツールだったり、朗読ツールだったりします。
 つ・ま・り、まだまだ基本コンセプトはベースっていうかライブラリ。ウエアラブル・ライブラリってこと。な・の・で、ビデオにしても、あれに貯めておいて、一階のディスプレイで見たり、二回の寝室で見たり(やつらは寝る前に本とかメディアに時間を潰す)、恋人の家でみたりって、いうふうになる。HDRがちょー小型化すると考えればいい。
 で、実際、米国での映像コンテンツはすでにポルノが動いているようだが(PSPも同じ)、基本はやっぱしテレビですよ。米国民ってテレビ漬けです。しょっぱいな。どこでも、ソープオペラっていうのがvideo iPodですよ、近未来的には。
 次。
 楽天、の、配送の問題。配送料が無料にならんとかいう人いるけど、あのですね、米国の通販はすでにもう五年くらい前から無料です。
 環境問題とかへろへろいう人がいるけど、こんなのは一義的にはロジスティックの問題ですよ。というか、そんなこと言うならみなさんっていう人間の運搬だって運搬なわけですよ。60kgから80kgの不定形な荷物と通勤なんて変わらないわけで、つまりやっぱしロジスティックの問題。
 あとは、戸配とノードとヒューマンな部分です。
 戸配っていうのはとにかくまだ強い。で、話を端折ると、ポイントは、さっさと地方をふててしまえばぁということだが言うにやばげだけど、ようするに、コンビニのセル、セルラーフォンのセルの原義だけど、コンビニのネットワークが地域をセル化すれば戸配はできるわけですよ。
 東京ではかなりできてきている。これは、ゴジラが眠っているようなもので、つまりですね、セブンイレブンがカスタマイズできると思えばいいわけですよ。「あれがおいらの台所」っていう人のは今でもあるけど、それは、なんか食うものねぇ的に冷蔵庫を開けるげに使っているのが現状だけど、そんなもの、外商っぽい顧客別対応になるというか(セブンイレブンはけっこう客を見てますね。もっと接客のうまい人を増やしてフロントにもってきてペイするモデルに移行すればいい)、いやぁあれです、PIMというか携帯というかああいうパーソナルな情報管理ツールにセブンイレブンが連動するようになるわけですよ。喰いたい物を出してくれる疑似おっかさんになるわけです。冷蔵庫からおっかさんへの変身。
 このイメージはさらに伝わらないかもしれないけど、あれ、オフィス街とか今でも弁当屋がくりだすというほのぼのとしたアジアの光景が見られるわけだけど、さて弁当買いに行くかなんていうのは、前日にセブンイレブンにオーダーした弁当を取りに行けばいいわけです。まずい昼飯屋で食うよりすきっとしたスペースがあればオーダーの弁当のほうがグッドです。ついでにいうと、もうオフィス対家庭というダイコトミーはなくて、どっちも同じセブンイレブンのセルなんです。
 どうもうまく伝えてなげっとなので、ま、また。あ、そうだ、で、このセブンイレブンによってセル化するっていうことが通信PIM連動でさらにロジスティックのコストをゼロに近づけるのですよ。
 本なんかさっさと米アマゾンみたいにサワリの部分を携帯PIMで覗かせてあとはぽちっとなとしておき、夕飯の惣菜をゲットにセブンイレブンに寄ると本も一緒についているというわけです。こうしたことは今でもやればできるし、けっこうやるとそれなりに以下略。

Web2.0が完膚無きまでにわからない

 ぐぐってみたらぐーぐる先生はここを嫁と⇒Web2.0 とは −7つの分類と要素MAP | 近江商人 JINBLOG
 これとかもとか⇒O'Reilly: What Is Web 2.0
 だけど、これが、わからん、完膚無きまでにわからない。オスマンサンコン2.0のほうがわかる。
 オントロギーとかの話はどうなったのか。
 Google Baseはようするにこれか?⇒極東ブログ: オントロジーのW3C規格化は無駄
 わからん。
 DOM3とかCSS3とかはわからないでもない。
 ってことは、Web3になるとわかるか? な、わけねー。
 っていうか、なぜ、みなさん、Web2.0とか話題なのか皆目わからない。
 Britannica Online --> Wikipedia とかって悪い冗談としか思えない。

『若者の人間力を高めない非国民運動が大嫌いだ宣言2.0』2005年10月30日

 
 「だめ連」なんだからだめでいろよという世間の思惑もものともせず、「だめ連」的圧力団体っぽいPAFFは今月10月26日、「若者の人間力を高めない非国民運動」なるものを発表した。直接的には10年来変わらない彼らの「だめもいいじゃんのはずなのにやたらと人間とやらを連呼する」っぽい宣言のなかには、「人生」や「友人」や「恋愛」や「生」という言葉があふれている。やれ、「人の生とは労働だけではない。友人と談笑したり、映画を見たり、読書をしたり、音楽を聴いたり、旅行をしたり、恋愛をしたり、生とはもっと豊かなもののはずである」うんぬん。
 まるで人生を有意義に生きないことがこの世の極悪であるかのような脅迫にさらされた、なんとしても若者をこうしたドグマに落とし込もうとするイデオロギー中心主義ともいえる執念めいたこの文言に、私はうす気味の悪さを感じざるを得ない。ある種の無気力や働けないことは個人の問題でしょ、人間なんて救いようもない孤独なもんでしょ、うぜーよ君たちってことが徹底的に貶められる。
 そこには、90年代半ばから、個人の生き方の問題でしょうざうざ言わんでよってってことを、資本の要請によりなされた雇用の流動化の結果もたらされた構造的な我々若年層の雇用問題としてすり替える醜悪な詐術が見え透いている。さらには、ここで宣言されている人生賛美の文言の裏面として、社会構造的にもたらされたフリーターや野宿者、それにニートと呼ばれる人たちの存在を代理の社会的正義と欺瞞的に規定して他者を倫理的・道徳的に抑圧する思想があるのだ、と私は明確に指摘しなければならない。
 そして今日、この運動の一環として「若者自身」を参加させ、とりこむ形で「だめ連」的な運動とかメーリングリストとか実施される。ブログでも書いて糞トラバ百発受けろってーの。なのに、この活動を主催する彼らの頭でっかちで小うるさい小オヤジもどきが、「アルバイトなどの非正規労働はまさに体制側の利益のために作り出されてきたし、これからも増えていく傾向にある」とか吹くわけだ。彼らはそういうものを「立派な」イデオロギー信奉者に変えてしまおうとしているばかりではなく、ただそのままの貶められた状況の中とかぬかして、そこに人生の喜びだとか恋愛だとかを無理やり望せようとしているのだ。そうすることで当然彼らの利益も上がるのだから、こんなせこい集まりまで作って頑張るのもうなずける。
 しかし、人の生とは理屈だけではない。一生懸命仕事をしたり、人を陥れてその報いに自分の人生の末路に転落したり、大金もってからテレビ局を買ってみようかなぁとかほざいたり、ひきもこって、はてなブックマークを稼ぐブログのエントリを書いたり、幼い子どもを残してくも膜下出血に襲われたり、生とはもっとわけのわかんないもののはずである。しかし、これらは必ずしもある理念の結果としてもたらされるものではない。一部の弁のたつ香具師とか偉そうなことを吹くやつらに生の意義の理解を強要される覚えなんてさらさらないのだ。それに、「我々」なんておぞましいこと言うなよ。「我々」なんてねーよ。それに前もって言っとくけど「絶望しているな」とか言うな! 絶望もまたうぜー傲慢の形態だし(一人の人間が世界を裁けるわけない)。
 はっきりしておきたいのは彼らの望みと私の望みはまったく別のところにあるということだ。私が彼らの望むような方法で他者を「支援」したりすることはないし、そうする中で無為な思念のすり減りの連帯に喜んで入っていくこともない(日々無理やりつきあわされるとしても)。「我々はもっと働くのではなく、もっと自由に生きるために集まるって」なやつらはほっとけ。っていうか、そんなの近寄るなよ。もっと孤独になれよ。うんと孤独なった一人の人間だけが一人の人間を愛する可能性を得るかもしれないからだ。
 ここに私は、この「若者の人間力を高めない非国民運動」でいわれる「人の生」が押し付けの人生の意味づけにすぎず、連帯の名のもとに人を器官化していくものであることを喝破し、はっきりとこういってやろう。
 
「大きなお世話だ! 余計なことすんじゃねー!」
 
finalvent
追記
 2005.10.31 9:45 誤記、直し。