散人先生 それこそ男でありサムライなのだ。

散人は出された食べ物にいっさい文句は付けないぞ! 出されたものは黙って食べる。それこそ男でありサムライなのだ。たかが食べてしまうものにこだわり、底の浅い蘊蓄を傾けるのは、さもしいし、カッコワルイ。日本人は分不相応に食にこだわりすぎで、みっともないと感じる。

 禿同!!!
 とかいうと、オメーは食のウンチク言うじゃんかとか言われそうだが、私だって、「出されたものは黙って食べる。」…ちょっと違うか。しかし、言ってしまえば恥ずかしいなとは思う。
 かくして、私は毎朝、馬の餌を食う。

今日の新聞各紙社説は…

 意外といえば意外だと思ったのは、中部国際空港のネタが今日の主眼だったこと。ま、そう言われてみればでもあるが。そして、どれも社説として面白いものでもない。中部国際空港をヨイショしているいる分にはいいが、関空や成田の惨状はどないするねんみたいな領域は大きい。このあたりの問題は、と、言いつつも自分で明確なビューがあるわけでもない。
 読売が遅れて京都議定書に触れた。どってことない。このどってことない感はなんだろうと思う。
 というか、いわゆるアルファーブログっていうんですか、論壇系っていうのか、どうでもいいか、いや、オメーさんだよなのか、エキサイトブログのリストを見ても、どうもみなさん議定書発効には一顧だにしてないふうである(PVの取れるネタではない)。批判ではまるでない。というか、ブログの底辺というのも言うにまずいのだが、総量で言えば、議定書に触れている件数は多いのだろう。だが、たぶん、薄い。
 この問題は、ある意味で、マクロ経済学的な問題でもあるのだが、そっち系の人の発言はあまり見かけない。というか、これをいうとうんことか失笑とか飛んできそうだが、通称リフレ派というのはある意味であたりまえに学部レベルの話を杓子定規にやってみましたということではある。これは他分野でも言えて、theoreticalな部分をしっかり見て現状の批判というのはありうる。ま、だからレベルが低いんだよという言う気はないが(当方の低さを自覚もしているしね)、そういう問題ではなく、もう少し環境問題を経済学の枠組みで議論があってもよさそうなものだが見かけない。その間隙にエコノミストとやらはつけいる。
 話が社説からそれたが。

日経社説 3国際空港は民間の知恵を競い合え

 当たり前のようだが…

 どの空港も単独ではアジア各国の大規模ハブ空港と互角に太刀打ちできない現状では、とりあえず3空港の総合力で対抗するしかない。

 これは話の筋が違うと思うが。
 つまり、ハブとの太刀打ちが求められているのか。

毎日社説 教職員殺傷 なぜ母校が襲われたのか

 皮肉でいうのではないが、なぜ大阪なのかが先立つ疑問だろうと思う。
 そしてそう考えるとこの社説がいかに空想的かわかるだろう。

 いったい何が少年の心の傷となったのか、その過程と社会的な背景を可能な限り解明する必要がある。そのことが遠回りに見えても、学校への襲撃を避けるための手掛かりとなる。

 これが結語ではだめ。

読売社説 [量的緩和政策]「デフレ克服は日銀の重い責務だ」

 量的緩和政策の継続は、ごく当たり前のことだが読売のような大衆紙が言うのは少し心強い。

 量的緩和政策は二〇〇一年三月、デフレ克服を最大の目的に導入された。デフレ脱却を達成していない現段階で量的緩和政策を解除すれば、目的を放棄したと受け止められる。市場の変動で一時的に目標を下回ることは容認されるにしても量的緩和政策は堅持していくべきだ。

読売社説 [議定書発効]「削減義務達成から次が始まる」

 スルーするかと思ったら、翌日出てきましたか(っていうか内部の突き上げか)。
 内容は昨日の毎日社説を薄めてお説教トーンにしただけ。

朝日社説 中部空港――ライバルは仁川、上海だ

 これはよくある話のパクリっぽい。パクリっぽい感というか考えてない感は結論が精神論だから。

新空港は3月の愛知万博の開幕、好調な名古屋経済を背に離陸する。ライバルは仁川、上海、チャンギといった空港である。小粒でも、サービスでは負けない。そんな心意気を期待したい。

キムタケ 週刊!木村剛 powered by ココログ: [ゴーログ]ホリエモンvsフジテレビ:抗争の果てにあるものは?

 いまさら言うなよだが、これ読みながら、キムタケは、自身を肯定するというかそういうクローズなブログしか相手にしなくなっているのだな。つまり、オープンSNSだ。なんてこった。

「10桁で終了」 円周率ついに割り切れる

無限に続くと思われていた円周率がついに終りを迎えた。千葉電波大学の研究グループがこれまでの円周率演算プログラムに誤りがあったことを発見。同大のスーパーコンピュータ「ディープ・ホワイト」を使って改めて計算しなおしたところ、10桁目で割り切れたという。10桁目の最後の数字は「0」だった。

 わはは。

香雪ジャーナル - はてなブックマークとMM/メモツール

 via id:yukatti:20050216#1108561200
 なるほど。というのと、私的には、はてなブックマークはけっこう個人的なツールですね。検索機能が便利だな、と思います。
 あるページを見ていて、… (1)個人的にローカルに記録しておく、(2)はてなブックマークに入れとく、(3)この日記に貼り付けておく … の3つあり、(1)の負担が減りますね。
 なにかこー、もうひとつ技術的な革新があるとビジネスツールかなと思うのだけど。

R30 京都議定書なんかどうでもいいよ、自然が一番

 どもぉ、という感じで、まず受けておくし、相変わらず、達筆だね。
 で、ま、わかっていると思うけど、そこで終わらないわけなんだよ。そこって、つまり、どうでもいいよ、でね。というか、そのあたり、自分がちょっと変節しちゃったんだよ、ってあたりなんだけど。と、書いて、別に反論ということではないよ。うまく言えないのだが。
 政治的に言えば、どこで、米国が転換するかでもあるし、対中政策の動向でもある。また、対サウジともいえる。ま、このあたりは、この2、3年結果として極東ブログで自己学習しちゃった面があるので、ま、それなりに書ける、けど、それほどは意味ないというか、まだ見えない。ちょい目先のところでは、原油のピークアウトの問題(ピークアウトなんかしないのだけど、その関連)。
 まだ、自分でもうまく整理できていないのだが、だから、うまく書けないのだけど、温暖化防止なんかある意味どうでもよくて、その排出権の市場が成立しちゃうかということでもある(存知のとおり米国では亜硫酸ガスではすでに成立している)。これがどう動くか。これはある意味で、遠大にして壮大な欧州における米国潰しなのだ。
 もう一つは、京都議定書について日本政府は表向きマジだ。表向きマジということは、これが政治のメカニズムとして動き出すということだ。あれなんだ、お役所っていうのは、文書を投下すると動かなければいけないようなシステムになっていること。別の言い方をすると、教育問題なんだか問題意識があってもだめだめなのはシステムが変わらないこと、また変わると阿呆に変わることだが、環境については、そういう訓戒的なものではない、ということ。
 ま、うまく言えないし、それほど危機感という問題でもないから、ま、現状はいいにはいいのだけど…。でも、ここは、たぶん、大きな世界史の曲がり角なのかもしれない(それほど確信はないけどね)。

はてなブックマーク - 英語力つけば「省エネ脳」に? 東大チームが実験 - livedoor ニュース

 また、君か的 orz
 ところでこのスキームなんだが

 研究チームは、右利きで19歳の東大生15人に協力してもらい、英語の不規則動詞の正しい過去形を瞬時に選んでもらう実験を行った。

 なーんだ的。
 英語の不規則動詞っていうのをルールとして記憶していて運用するのと、文法の感性(っていうかこれがUGの具現だろうけど)で判別するのでは、負荷が違うのは当たり前だと思う。いわゆる非文をよりわける能力はほとんど無意識に近い。

今日の文春・新潮は、そりゃあホリエモン…

 新潮もなかなか飛ばす飛ばす。IT関連の話はテキトーだが、TOB関連の話はあんなものだろうか。ホリエモン、すってんてんになるのだろうか。このわけわかんねー感がすでに大人物。というか、大看板。っていうか、所詮は看板。でも、メディアの流れがホリエモンの認識に近いだろうとは思う。ただ、それで経営なんかできないでしょというあたり、某山本さんの言うとおり。

はてなブックマーク - 2004年の国内広告費、インターネット広告が前年比153%の1814億円 - CNET Japan

 意外にしょぼいかも。っていうか、動きなし。
 と思ったら
 ⇒はてなブックマーク - 広告費4年ぶり増、ネットがラジオ抜く

「考えるヒント」より。

 人生を簡単に考えてみても、人生は簡単にはならない。道徳の問題を考えるに際し、良心の問題を除外し得ても、良心とは問題ではなく、事実なのであるから、彼が意識するとしないとを問わず、彼の心のうちに止まるであろう。例えば、あの男はスパイだと聞いて、私達は何故一種の嫌悪の情を覚えるのだろうか。スパイのうちにも正義の士があって、弁解するだろう。「社会の正義の為なら、嘘もつこう、仮面もかぶろう。(中略)」何やらおかしい、何かが間違っている。人間は、彼のようには生きられる筈はあるまい。(中略)感情の呟く言葉は、その種の不明瞭な言葉には相違なかろうが、良心の言葉とはそういうものなのではあるまいか。
 良心ははっきりと命令もしないし、強制もしない。本居宣長が、見破っていたように、恐らく、良心とは、理智ではなく情なのである。彼は、人生を考えるただ一つの確実な手がかりとして、内的に経験される人間の「実情」というものを選んだ。では、何故、彼は、この貴重なものを、敢て、「はかなく女々しき」ものと呼んだのだか。それは、個人の「感慨」のうちにしか生きられず、組織化され、社会された力となる事ができないからだ。社会の通念の力と結び、男らしい正義面などできなからだ。(中略)
 だから、私達は皆ひそかにひとり悩むのだ。それも、悩むとは、自己を審くものは自分だという厄介な意識そのものだから。公然と悩む事が出来る者は、偽善者だけであろう。(後略)