R30 京都議定書なんかどうでもいいよ、自然が一番

 どもぉ、という感じで、まず受けておくし、相変わらず、達筆だね。
 で、ま、わかっていると思うけど、そこで終わらないわけなんだよ。そこって、つまり、どうでもいいよ、でね。というか、そのあたり、自分がちょっと変節しちゃったんだよ、ってあたりなんだけど。と、書いて、別に反論ということではないよ。うまく言えないのだが。
 政治的に言えば、どこで、米国が転換するかでもあるし、対中政策の動向でもある。また、対サウジともいえる。ま、このあたりは、この2、3年結果として極東ブログで自己学習しちゃった面があるので、ま、それなりに書ける、けど、それほどは意味ないというか、まだ見えない。ちょい目先のところでは、原油のピークアウトの問題(ピークアウトなんかしないのだけど、その関連)。
 まだ、自分でもうまく整理できていないのだが、だから、うまく書けないのだけど、温暖化防止なんかある意味どうでもよくて、その排出権の市場が成立しちゃうかということでもある(存知のとおり米国では亜硫酸ガスではすでに成立している)。これがどう動くか。これはある意味で、遠大にして壮大な欧州における米国潰しなのだ。
 もう一つは、京都議定書について日本政府は表向きマジだ。表向きマジということは、これが政治のメカニズムとして動き出すということだ。あれなんだ、お役所っていうのは、文書を投下すると動かなければいけないようなシステムになっていること。別の言い方をすると、教育問題なんだか問題意識があってもだめだめなのはシステムが変わらないこと、また変わると阿呆に変わることだが、環境については、そういう訓戒的なものではない、ということ。
 ま、うまく言えないし、それほど危機感という問題でもないから、ま、現状はいいにはいいのだけど…。でも、ここは、たぶん、大きな世界史の曲がり角なのかもしれない(それほど確信はないけどね)。