そろそろPHPに関してもう一言いっとくか

 ⇒PHP研究所 - Wikipedia

PHP研究所(ピーエイチピーけんきゅうじょ 英:PHP Institute)は、松下電器産業の創業者である松下幸之助によって創設された出版社・民間シンクタンクであり松下グループの一員。

 ⇒松下幸之助 - Wikipedia

 だが、第二次世界大戦中は世情から、ラジオ工場の流れ作業に着眼した軍の指令により軍需品を生産することになる。手始めに1943年4月には松下造船(株)を設立し、終戦までに56隻の250㌧クラス木造船を建造。次いで同年10月には松下航空機(株)を設立、強化合板による「木製飛行機」を終戦までに4機製作した。このため戦後はGHQにより制限会社に指定され、幸之助も公職追放になってしまう。
 しかし公職追放後、幸之助は「松下は一代で今の会社を築いたものであり、買収などで大きくなったわけでもない。松下は財閥ではない」とGHQに抗議を続けた。1946年11月、PHP研究所を設立。その後、松下電器労働組合GHQへの抗議もあり、制限会社指定を解除され、1947年に社長に復帰する。

 ⇒松下幸之助物語 | 創業者 松下幸之助 | 社史 | 松下電器について | 松下電器産業株式会社

真の使命を知った以上、一刻も早く使命に基づく経営に入らなければならない。そのためには全店員に松下電器の真の使命を心から自覚してほしい----。そう考えた幸之助が大阪の中央電気倶楽部に全店員168名を招集したのは昭和7年5月5日のことである。幸之助は、宗教団体の見学で、その繁栄ぶりに感嘆し、宗教の使命の聖なるを痛感したこと、ひるがえって自分たち生産人の使命について深く考えたことを順を追って話した。

 ⇒松下幸之助 成功塾 : 道をひらく「資料室」

 昭和7年3月、知人に誘われて天理教の本部を見学した松下幸之助は、教団の繁栄ぶり、信者の人たちの敬虔な態度や喜びに満ちて奉仕する姿に感動し、みずからの経営について改めてさまざまに思いをめぐらした。そして1つの結論を得た。
 「なるほど宗教は悩んでいる人を救い、安心を与え、人生に幸福をもたらす聖なる事業である。しかし、われわれの事業経営もまた、人間生活の維持向上に必要不可欠な物資を生産する聖なる事業ではないか。昔から、“四百四病の病より貧ほどつらいものはない”ということわざがあるが、貧乏をなくすためには、刻苦勉励、生産に次ぐ生産によってこの世に物資を豊富に生み出すことである。そこにこそわれわれの尊い使命がある」

 ちなみに。
 ⇒トッピクス第4回「雷門」

現在の雷門 松下電器産業(株)の創始者松下幸之助氏により寄進された

 参考⇒平斎の日記 - 浅草寺雷門と水戸黄門、金竜観音
 参考⇒極東ブログ: [書評]神の微笑(芹沢光治良)
 はてなはこれだものな⇒お手振りとは - はてなダイアリー
 正しくは⇒見る天理教修養科 授業―おてふり

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道をひらく: 松下 幸之助
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道は開ける 新装版: デール カーネギー,Dale Carnegie,香山 晶
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本当にいる日本の「未知生物(UMA)」案内: 山口 敏太郎