日経社説 スーダンの悲劇放置するな
パリで25日にフランス政府主催でダルフール紛争解決をめざし国際会議が開かれた。サルコジ仏大統領は「黙っていることは殺人行為と同じ」と強調した。その通りだ。
私もその通りだと思っていた。なので、知ったときに小さな叫び声を上げた。
そして、幾人かのブロガーはその時、それに答えて小さな叫び声を上げた。私はその人たちを信じる。そして逆のブロガーも見た。まるで「ダルフール」という言葉を禁句にしているように避けているブロガーもいた。
ダルフール紛争が始まったのは2003年2月。それから4年以上もこの悲劇に終止符が打たれないできた。紛争当事者がいずれも好戦的な姿勢を続けたうえ、国際社会の努力も不十分だったからだ。国連安全保障理事会はスーダン政府に一定の制裁も科しているが、主要国が一致結束してダルフール紛争に対応してきたとは言えない。中国がスーダン政府への圧力強化に反対し、足並みをそろえられなかったのが実情だ。
この点については、2003年2月時点の日本のマスコミ、ジャーナリズムを点検していただきたい。あるいは、いつからダルフール問題を取り上げたのかについて。
国連、アフリカ連合(AU)、スーダン政府の三者は今月、ダルフールの平和維持軍を増強することで合意した。だが、スーダン政府には、過去に国際的な合意を反故(ほご)にした経緯もある。国連、AUは増強部隊をできるだけ早く組織し、スーダンに受け入れを迫るべきだ。
経緯をある程度知っている者としては国連の関与という流れに苦い思いがある。当初はAUの強化でなんとかできないかと模索していたのだった。
読売社説 慰安婦決議 米議会の「誤解」の根元を絶て
読売が妙に攻勢に出ているのはなぜだろうか。この問題は事実だけをきちんと応答していけばいいのだろうと大筋で思う。日本人としてはこの問題は多国間だけの問題ではないことが忘却されているように思う。
晴天、これから曇るらしい
いろいろ考えないといけないことが錯綜して、ネットや世間への関心が減りつつある。いいことなのかもしれない。
極論すると読書なんで5年に1冊も読めば多過ぎ
とかいうとなんだけど。
冊数としてこなせる本っていうのは本の体裁をしているけど、要は情報を処理しているだけ。
「カラマーゾフの兄弟」とか「読みました」とかいう類のものではないし。
ある意味、私が20代くらいまでは、教養人になるべきというか、大学生ならこのくらいは読めという水準があった。
思い出すのは⇒世界文学をどう読むか?ヘルマン・ヘッセ(高橋健二・訳)? 復刊リクエスト投票
今では見かけない。若いとき、そのリストを全部読んだれとか思ったものだった。
あれから、なんだか30年近く生きているわけだけど、結局、あああの本読んだなと自分と一体化できるものは5年に1冊くらいなものか。もうちょっとあるか。
「薔薇の名前」とか名作には違いないけど、これってメタ読書の感じはある。ある程度読書をした人が、なんかサロンでおしゃべりするような。
薔薇の名前〈上〉: ウンベルト エーコ,河島 英昭,ウンベルト エーコ |
ちなみに、私は極東ブログのプロフに愛読書のリストを入れてある。このリストについては黙っていようと思ったけど、ちょっこし言及。
これ⇒愛読書 : 極東ブログ
と引いたのは、もっとありそうに思うし、今だったらこのリストを組み替えてもいいかなとも思ったが、なんとなくこれはこれで終わっている感じもある。
ついでにこれも黙っていたけど。
これ⇒The Big Read 偉大なる200の文学作品 - 1-10
しかし、むしろこれから自分がどう本を読んでいくかだなみたいには思う。
単純にいうと、50歳を過ぎた生き様みたいのを模索していく上で本当に助けになる本を少し読みたい。
フォースよ、永遠なれ
聞き書 宮沢喜一回顧録: 御厨 貴,中村 隆英 |
さて、これは少し違う観点からですが、我々が戦後に経験したもう一つの忘れてはならないことは、プラザ合意だと思います、一九八五年(昭和六○)年の九月には一ドル=二四○円程度とドルが強すぎたので、日・米・英・独・仏(G5)の大蔵大臣がニューヨークに集まって、ドルを下げようという合意をしました。
私が、「どのぐらい下げるつもりだったのか」と聞いてみても、みんな、確たる見当はないが二一○円ぐらいになればよいと思っていたのではないかと思います。しかし、実際には八五年の暮れには円が一九○円台に急騰しました。
コンピューターの進歩で瞬間的に投機が可能となり、それにデリバティブが加わると、毎日、一兆ドル単位で取り引きするようになります。どこの国の大蔵大臣も、「為替レートはファンダメンタルズ(経済の基本条件)を反映している」と言いますが、相場がこう激しく動くと、それは大変に疑わしくなります。ファンダメンタスズがそう変わるわけはありませんからね。震災や不景気、政治が不安定と言われる日本の通貨が上がり、ニューヨーク市場で史上最高の株高をつけた好景気のアメリカの通貨が下がるわけを、きちんと説明できる人はいないでしょう。
このようなことを、いつまでも放っておいてよいのかと思います。「投資はいいが、投機はいけません」などと私も大蔵大臣のときに言った憶えがありますが、通貨安定は二十一世紀までに何とかしなければならない課題の一つです。
でも、どうにも、ならんかったし、そして……。
またやってら調査
⇒性交渉めぐり国際調査 回数、満足度で日本最下位|欧州|国際|Sankei WEB
フランス公共ラジオは27日、世界26カ国で行われた性意識に関する世論調査の結果、性交渉の年間平均回数が最も多いと推定されるのがギリシャで164回、最下位は日本の48回だったと伝えた。
ちなみに⇒極東ブログ: 日本人の平均年間性交回数46回、既婚者のセックスレスは30%
日本人は週に一回、とか、なんとなく思って答えるのでしょうね。
ついで増田を貼っとく⇒性欲って大事!
ああ、ついでに余談でも書くかな。
ちょっと放言モードっつうことで。米国人女性に限定されないのだろうし、マジで議論するとめんどっちいのだけど、彼女たちは、性欲を持つということが女性のアイデンティっていうある種の強迫がありげ。これに対して米人の男性はというと、大半はけっこうべたなマッチョイズム、日本人的には却下の部類。
で、女性が性欲さえあればいいのかというと、どうもそのあたりに自我のコントロールとかアウト・オブ・コントロールの微妙な問題があり、れいのアリーmyラブでも、アリーがガススタンドの兄さんのなにげにやっちゃうとか、あれは性的にいかんなこりゃというより、自我のコントロールの問題っぽかった。
話はずれるが。
欧米人の性欲っていうのは、どうも、食欲に近いところがあるっぽい。これがどうも私などにはわかんねーのね。食事っていうのは旨いものを少量食うものであって、うはぁ食ったぁ満足っていうのはどうもね。中略。で、やはり日本人というのは、懐石料理ならぬ懐石おセックスってやつでしょうか。華道といいますか。精進料理にならって精進おセックスとかも。精進せーよ。
どさくさまぎれでいうと、チンコ力というのは、腰じゃなくて、大腿筋と関係があるんじゃないだろうか。つうことで、ヒンズースクワットスクワットスクワットつうのはよろしいじゃないだろうか。いや、若い人は関係ないか。
そういえば水泳なんだが、依然、バタフライが面白い。私の水泳だと脚をあまり使わないので脚の訓練にはならないな。困ったもんだでもあるが。で、胴体から脚への大きなフラップを打つ感じはわかってきた。これも腰っていうより、なんつうか腹というか背骨全体のスイングのように思える。
D・H・ローレンスの詩に、ああ、タイトルとか忘れてしまったが、おセックスをしようよ蛇たちがそうするように、みたいなフレーズがあったが、蛇の交尾というのはどうなんでしょうね。
ああ、ぜんぜん関係ないが今日、ツバメを見た。きれいだった。いやすっかりおセックスの話が続きませんな。